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『星に願いを』(『ワンコは今日から溺愛されます』番外SS)

 ※BL小説


 夕暮れ時のテラスに大ぶりな花瓶を持ち込み、笹をいける。屋敷の敷地から、改(あらた)が自ら切って運んできたものだ。
「改さん。これは?」
 鈴(りん)は不思議そうに、自分の身長より高い笹を見上げている。
「鈴、今夜は七夕だよ」
「たなばた、ですか?」
 大真面目な様子で首を傾げた、そのふっくりした唇があまりにも美味しそうで、改は長身を屈めてちょっと長めのキスを盗み取った。
 唇を離すと、白桃のような頬が夕映え色に染まっていた。はにかみながらも嬉しそうで、じっとしていられないように体を揺らす。そんな様子を見るたびに、改は妻が愛おしくてたまらなくなる。

 鈴は幼少期から20歳になるまで、座敷牢と呼ばれる離れに閉じ込められて育った。改の週に一度の訪いだけが、文字通り鈴の命綱だった。
 狭い座敷と庭が世界の全てであった鈴のために、できることなら夜空の星だってとってやりたかったが、少年だった改にできることはあまりに少なかった。
 当時持ち込んだ笹は、目の前のものよりずっと小さかったけれど、共に折り紙を切って色とりどりに飾り付けた時間の眩さは、今でも瞼の裏に焼き付いている。
 愛されず、気にも留められず、ひとりぼっちだったあの頃を、今から可能な限り上書きして、鈴の日々を楽しい思い出で埋め尽くしたい。

「うん。子供の頃、一緒に七夕飾りを作ったことがあったんだけど、覚えてるかな?」
 改の言葉に鈴が勢い込んで頷くと、ビーグル犬にそっくりな垂れ耳が弾み、しっぽも左右に振れた。二人の思い出をひとかけらでも忘れるはずがないでしょう? とでも言いたげな様子に、思わず笑みを誘われる。
「去年は七夕のことを忘れていたからね。お互い大人になったけど、今年からはまた一緒に飾り付けをしようか」
 鈴がぱっと顔を輝かせる。熱心に頷く動きにつれて、また耳としっぽが勢いよく跳ねた。
 
 
 色紙で作った提灯に吹き流し、折り紙の得意な鈴が作ったたくさんの星。笹が華やかに彩られる頃には、群青色の空にまばらな星が瞬き始めていた。
 鈴が結びつけた短冊を、改は一枚一枚眺めていく。
『タエさんの腰が早く良くなりますように』
『ブランジェリ―ナカノのパンがたくさん売れますように』
『長谷井(はせい)さんと龍(りゅう)ちゃんが旅行に行けますように』
『改さんのお仕事が全部うまくいきますように』
 どれもこれも、人のための願い事ばかりなのが鈴らしい。
「鈴は、自分のことで何か星に願いたいことはないの?」
 それがどんなことでも、叶えてやれる自信も覚悟もある。そのために日々を重ねて、今の改があるのだから。

「ぼくのお願いは、もう全部叶ってるからいいんです」
「全部?」
「はい。改さんがぼくを助けに来てくれたあの日ね、ぼく、死ぬ前に一度でいいから改さんに会いたいって思ったんです。そうしたら、叶っちゃった」
 淡く笑んだ鈴の表情は甘やかだったが、改は胸にナイフを差し込まれたようになった。あの日、救出が少しでも遅れていたら、目の前の愛しい人の命は消えていたのだ。
「それから、想像もしていなかった素晴らしいことが次々に起こって、毎日夢を見ているようでした。今もそう。中でも一番は、改さんがこんなぼくでも愛してくれたこと。全部、叶えてくれたのは改さんですね」
 宵の明星より眩い瞳が、信じ切った様子で改を見つめ返してくる。成人でありながらまだ心身共発展途上にあるいとけなさに、愛される悦びを知った色香。正直たまらない。
 少年時代から求め続けてきたこの人を妻に迎えてもうじき一年経つが、彼にどうしようもなく溺れているという自覚はある。

 キスだけじゃ足りない。鈴をこのまま寝室へ連れ込んで、掌に吸い付く柔肌を隅から隅まで味わい尽くしたい。きつい肉筒の抵抗を押し切れば、内なる媚肉は甘く啜り泣きながら締め付けてきて――。
 そんな記憶を紐解いてしまうと、下腹が重くなってくる。兆した熱を散らせそうもなかったし、そのつもりもない。
 改は自分の分の短冊を手早く書いて、笹に結び付けた。
『今すぐベッドに行って鈴と愛し合いたい』
「俺の願い、叶えてくれる?」
 ハッと驚いた顔が、すぐに恥ずかしくてたまらない様子で改の胸へと伏せられる。細い背中を抱き寄せると、釣りズボンの後ろスリットから覗くしっぽが、承諾の合図に緩く振れていた。

<了>

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