見出し画像

『フローズンサマー 6』

※BL小説


 波立つ心は、バイトが引ける頃になっても収まってはくれなかった。むしろ、身体まで揺さぶられそうなほどに、波は強くなっていた。
 だらだらと時間を掛けて私服に着替える。少し前までは、駅までの短いデートが楽しみで、猛スピードで着替えたものだったけど。
 先に着替え終わった真人が、店の脇でひっそりと待っている。今日はそれすら癇に障った。何のために待ってるんだ。俺に触られるのも嫌なくせに。
「俺、今日寄るところあるから」
 真人はちょっとびっくりして、それからほんの少し傷ついた顔をした。
「そう。じゃあ、また明日ね」
 俺は駅とは逆の方向に、さっさと歩き出した。寄るところがあるなんて嘘だ。ただ、駅で別れる瞬間を迎えたくなかったのだ。期待なんかしたくないのに期待してガッカリすることの繰り返しに、俺は疲れてしまっていた。
 すぐ側のコンビニに入ったが、欲しいものなんかない。陳列棚を物色してから雑誌を立ち読みして、それからビールを買って店を出た。
 コンビニの入り口の縁石に座り込み、ビールを啜る。やけに苦くて、少しも美味いと感じなかった。

 小一時間も経った頃になって、俺はだるい気分で駅に向かった。真人はまっすぐ家に帰ったかな。突然訪ねて行って、驚かせてやろうか。それとも、誰か部屋にいたりして……まさかな。
 俺が急に訪ねていって、部屋に上げろと言ったら、真人はきっと困るだろう。
 ビールのアルコールが俺を大胆に、少々底意地悪くしていた。本気で真人の部屋を不意打ちする気になって、俺は自分の部屋に向かうのとは逆の、真人がいつも使う方のホームに向かう階段を上っていった。
 電車が去ったばかりの人の少ないホームが、一段上るごとに見えてきた。俺は遠くに見える人影を見て目を疑った。ベンチに座った真人が、じっと前を見つめている。目を凝らして向かいのホームを見つめている。
 俺は階段の途中で立ち止まったまま、動けなくなった。
 誰かを待ってるのか? もしかして、俺?
 それは次第に確信に変わっていった。真人は、俺が帰る姿を見ようと、ずっとホームのベンチで向かいのホームを見つめていたのだ。寄るところがあると言い捨てた俺が、この駅から帰る保証もないのに。
 決まり文句のアナウンスが流れ、轟音と共に電車が滑り込んできた。客が降りて、発車のベルが鳴っても、真人は動こうとしなかった。
 電車から降りた人々が、階段途中で佇んでいる俺を、不審そうに眺めながら通り過ぎていく。
 ホームは再びひとけがなくなった。
 真人は、向かいのホームを見つめたまま、彫像のように動かなかった。横顔が酷く寂しそうだ。
 俺は階段を上り、真人に近づいた。
「秋見くん」
 大きく瞠った黒目がちな瞳が、泣きそうに揺れた。
「ごめんね……ごめんね、僕……」
「真人んち、行ってもいい? 真人が嫌がることはしないから」
 俺の恋人は、こっくりと頷いた。

<5へ                            7へ>

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?