見出し画像

『エンタメ小説家の失敗学by平山瑞穂』を読んで

noteの海をさまよっていて、この連載にたどり着いた。

華々しい受賞歴を持つ現役作家が名出しでこれを綴る、最初はそんなに捨て身で大丈夫なのか……と心配しながら読み始めた。
読み進めるうちに、どうしようもなく震えた。

このエッセイは、作家の方が、己の著作を一冊一冊振り返って「失敗」の原因を考えていく、という作りになっている。
なんと戦慄すべき内容か。
やっていることも恐ろしければ、書いてある内容も恐ろしい。
字書き稼業に携わっている者ならどんな末端にいようとも、震え上がらずにはいられない。

なぜって、「同じことをやったら自分なら病むし絶対やっちゃだめだから! 禁止!」と思っているのに、脳裏には自著が第一作から一冊一冊浮かび上がってきて、あの時自分がこう考えてああだったから……と考え始めてしまうのをどうしてもやめられなくなるからだ。

小説家という生業の苛烈さと、作家の「それでも筆一本で生きていく」という覚悟の熾烈さ、どちらにより揺さぶられているのかわからないまま、息を止めて読んた。

うおお……、才能があって期待もされている先生でもこんな目に(戦慄)、あああおんなじことあったよあった……! 比べるのもおこがましいけど、ジャンルもキャリアも立場も何もかも全然違うけど、いろいろいろいろ身につまされすぎて胸が痛い、痛いよ……!!

全40話を読み終えて、ずしんと重くなったお腹を抱えながらわたしが最初にしたことは、平山先生の最新作とデビュー作を購入することだった。
純粋に、「この先生の小説面白そうだな」と思ったからだ。一気に読ませる文章の確かさも、ご自身でこんな分析しちゃうところも、自分好みな作風である予感しかない。
アマゾンのカートを清算しながら、わたしは考えていた。

小説家という職業は、一度でもついてしまったらそれ以前には戻れない、呪いみたいなものなのかもしれないな。

わたしはしがないBL小説家だが、わたしが小説を書き始めたのは、自分がいる六畳から世界に繋がれる方法を他に思いつかなかったからだと思う。
別に悲しい話ではない。書く、という手段が残っていて幸いだったと心から思っている。

呪いと言ったのは、自分の書いたものが本になって人に読まれる喜びがでかすぎて、自分のどこかが壊れるからだ。おそらくは、快感のリミットみたいな部位が損傷するのだ。
それぐらい、その喜びはでかい。

高校時代、大学ノートにひっそりと小説っぽいものを書いていた時も、デビュー前に、たいして読まれる当てもないBL小説をネットに投稿していた時も、脳内にしか存在しなかった物語を文字にしていくことが楽しくてわくわくして、自分史上最大級に歓喜していたと思う。
けれど、ひとたび商業作家になって超ド級の喜びを味わってしまった今となっては、「誰にも読んでもらえなくても執筆を続けられるか?」と訊かれれば、答えは間違いなくノーだ。

いいのだ。呪い上等。好きで罹患して、好きで治癒しないことを選んでいるのだから。
わたしには何の覚悟もないけれど、いつか今書いている作品が本になるというあの快楽を夢見続けるために、ずっと呪われたままでいたいと思う。

レビューとしてどうなのかという内容になってしまった。(わたしはレビューがとんでもなく下手だ。これについてもいつか書いてみようと思う)

これから作家を目指す方はもちろんのこと、作家として惑いや苦悩を覚えたことのある方なら、ぜひ読んでみてほしい。
どんな怪談より震えるから!


※こちらの記事は「my favorite」マガジンに入っています。お気に入りの記事や本を収容するマガジンです。少しずつ記事を増やしていければいいなと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?