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緩急のギャップ

〈この文章は1794文字です〉

こんばんは。蛍智宏です。

今日は、自分を見つめなおす出来事がありました。文章を書いていると自分を見つめなおすことはしょっちゅうですが、今日は特筆したいと思います。

今日は2つのミーティングに出席していました。

一つ目のミーティングは私がリーダーをしているグループでのミーティングです。私が資料を作って脇道に逸れないように進行していました。大人の方、冷静な同期、活動に定着してほしい1年生と、緊張感がありつつも決めることはちゃんと決めているつもりです。あまり雑談はせずに、やることやって終わるみたいなイメージです。

二つ目のミーティングはサークルの副委員長も務めている同期が開いたミーティングで、次年度のサークルの体制について話し合うものでした。が、私が一つ目のミーティング終わりに遅れて参加すると、ボードゲームを終えて雑談をしているところのようでした。

私を待っているという意味合いもあっての遊びだったようで、謝りつつ本題へ促しました。他の人の所属サークルに対する意見の中で、私が一つ目で行ったような堅いミーティングは苦手だから、遊びの時間を設けるとかして緩くやりたい、という意見が出てきました。コロナ禍でおしゃべりする時間も取りにくいので、雑談用の会があってもいいかもという意見も出てきました。そして、これらの意見は否定されることはありませんでした。

ここで、私は自分がいかに異端的な考えを持っているのか実感したのです。

私は、きっちりメリハリを付けたいタイプです。ミーティングであれば、会議の時間は会議の時間で、楽しい時間はその他の時間に取るべきだと思ってしまうのです。そもそも私は自他ともに認める堅い考えの持ち主で、ミーティングの中でも気にしすぎなことや面倒なことを口走ってしまいます。自分でも、こういうことを言ったら面倒だと思われるというのは分かっているのですが、必要な工程を省くとかを見過ごすことができません。自分でも時々嫌になってしまう性分です。

次に、私は自分の時間が大好きなタイプです。ミーティングをテキパキ早く済ませたいのは、ミーティングの参加者に自分の時間=楽しい時間を増やしてほしいという思いもあります。同期の皆はおしゃべりをする時間が欲しいようですが、私はミーティングで人との交流は十分だし、Twitterやnoteで話を聞いていもらっている気分になれているので、これ以上になにかを望むということはないです。

2020年春に緊急事態宣言が出た頃、多くの同級生が寂しいとか友達と遊びに行きたいと言っていましたが、私自身はケロッとしていました。大学の新聞部がコロナ禍の大学生を取材していて、私も対象になりましたが「これまでで一番自粛に強い」と言われたほどです。この時は誇りに思っていましたが、依然大学に行けない今でも他人との交流を積極的に取ろうとしないのは、自分でも人間として大事な何かを失いはじめているのではないかと、ふとした夜に心配になります。

最後に、私は雑談が苦手なタイプです。時間を埋めるための雑談ならともかく、雑談をするための雑談は意味が分からないレベルで苦手です。終わりの時間がを決めていなかったり、おしゃべりのゴールとかが分からなかったりすると、設定したくなります。ゴールが見えないと、歩き出すこともできないということでしょうか。

今日は自分流のミーティングと同期流のミーティングの両方を経験して、改めて自分を見つめなおすことができました。

私は、固い考えを持っていて、自分の時間が大好きで、雑談が苦手です。それ以外にも、心配性で、考えすぎるところがあります。これらの私の特徴は以前から自覚しており、自分の長所だと思ったり短所だと思ったりしてきました。

しかし、今日は同世代の友人とのギャップを強く感じたのです。あのミーティングに違和感を覚えているのが自分だけのようで、浮いた存在になっているのではないかと怖くなりました。

だから、これらの特徴を直さなくてもいいけど、緩い考え方の思考回路も持って、人との時間も楽しめて、雑談もできる。そういう、もう一つの道を選択することができるようになると、もう少し生きやすいかなと思いました。どうしたらそういう人間になれるのかは、これから模索していきます。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

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