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小説『吹っ切れた卒業』

〈これは小説です〉

廊下の人だかりはソワソワしている。今日は俺が勤めている中学校の卒業式で、ここは卒業式が行われる体育館前だ。昨日は「明日が卒業式とか実感なわー」などと言っていた生徒も、ここまで来ると髪型や制服につけられた花飾りの角度を気にしだす。

俺はこの学年の主任であって、どのクラスの担任ももっていない。朝のホームルームでは、担任から何か言われたのだろうか。それとも、担任の先生方卒業式後のホームルームまでそういうのは取っておくのだろうか。

そんなことを思いながら、俺は一人の女子生徒の方に目をやった。元生徒会長の宇佐美恭子だ。宇佐美は、少し勉強は苦手であるものの人望の厚さと真面目さで生徒会長を立派に務め上げた。そんな宇佐美には答辞をお願いしているのだが、大仕事を任された緊張に加え、卒業をする寂しさを感じているらしく、朝休み早くに俺を訪ねてきた。こんなに楽しい学校だったのに離れるのが寂しいとか、答辞を上手く読めなかったらどうしようとか、いろんな不安をいいつつ、もう既に泣きそうだった。そんな宇佐美を朝から慰めていたところだったので、少し心配になったのだ。目があった宇佐美は、顔の前でグーを2つ作って「頑張ります」とくちぱくした。

その後、体育館の中で司会をしていた教頭のアナウンスで、俺を先頭に体育館の中へ入場する。他学年の先生方、卒業生の親御さん、1,2年生の生徒のいる体育館の中に入った途端に、盛大な拍手が耳に入ってくる。学年主任として卒業式に出席するのは2度目、担任として卒業式に参加したことも6回あるが、この拍手を聞くと自分まで泣きそうになるのは初めての時から変わらない。

その後の卒業証書授与では、各クラスの担任の先生方が自分のクラスの生徒の名前を呼んでいく。その声を聞きながら、この学年の生徒との思い出をたどっていた。この学年は、ここ10年で俺が関わった学年のなかでは間違いなくダントツで仲が良く、とっても雰囲気のいい学年だった。

1組の生徒の名前が呼ばれていく。俺は体育祭のクラス対抗全員リレーのことを思い出していた。クラス対抗全員リレーも3分の2が終わろうとしているとき、1組は1位を走っていた。そんなとき、1組の最終走者がコケて、1組は最下位になってしまった。これは1組の雰囲気が悪くなるかもしれない、このコケた生徒が責められるかもしれないと、俺は少し心配した。でも、それは杞憂であった。1組の生徒がすぐに体を左右に揺らしながら「サライ」を歌いだしたのだ。はちまきを付けた体操服姿の15歳の少年少女が「サライ」を歌う姿は妙に滑稽で、その場はすぐに温まった。そして1組の最終走者の生徒は両手を広げながら、まるで長距離を走り切ったかのようにゴールテープを切った。あの団結力は、最終走者の彼を救っただろう。

そんな思い出に浸っているうちに、2組になっていた。2組はテスト期間になると、何人もの生徒が職員室までコピー機を借りに来ていた。俺がその対応をよくしていたのだが、やたら多いので理由を聞いてみた。「クラスの皆でテスト勉強の分担をしてるんですよー。私たちは国語の担当だから、テスト範囲の教科書をまとめてコピーしてみんなに配るんです!」そう教えてくれた。テスト期間に来るようになったのは夏休みが終わってからだったと思うが、確かに2組の成績は上がっていた。志望高校のランクを2つも上げた生徒が何人かいたはずだ。お互いに助け合って、結果を出す経験は、これからの人生でも役立つだろうと思ったものだった。

最後に3組の生徒の名前が呼ばれていく。3組には、野球部が多かった。俺は野球部の顧問をしているので、3組はよく気にかけていた。夏に3年生が卒業してから、新しく部を引っ張っていく2年生に俺はこう言った。「先代の3年生の先輩のように元気よく、部活動でもクラスでも率先して人助けをしていくように!」これに対して、新しい部長は「俺たちは先輩たちを超えられるでしょうか……。」と弱弱しく言った。情けないと喝を入れようかとも思ったが、言い分を聞いていると2年生からすると3年生は1学年しか差がないにも関わらず憧れの的のようで、まさかあんなすごい方々になれるとは思わないという恐縮したような気持であるようだ。するとここで情けないといってしまうと何だか3年生を貶めたような感じになるので「先輩方を参考にして、よりより部活、よりよいクラスを作っていこう」と締めておいた。後輩にも慕われる学年になっていたとはと、少し自分が主任をしている学年が誇らしくなった。

少し思い出に浸っている間に、来賓の議員の挨拶が終わったらしい。なんか新しくできた科学館に足を運べとか言っていた気がする。堅苦しい挨拶が終われば、次は生徒の番だ。2年生から送辞が送られる。1学年下の学年主任はベテランの国語教師であるから、送辞は完璧だろう。生徒会副会長の彼は、言葉を紡ぎはじめた。


「あれほど厳しかった冬の寒さも、今では暖かな春の陽気に変わりました。教室に差し込む太陽の優しい光が、新しい季節の訪れを伝えてくれています。卒業生の皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。在校生一同、こ心よりお祝い申し上げます。」

「先輩方は、僕の憧れであり目標です。先輩方との思い出はいつでも鮮やかに思いだされ、僕を楽しませてくれます。だから、今日は先輩方との思い出を振り返ろうと思います。」ここで彼はひと呼吸置いた。

「さくらーふぶーきのー♪」

そしてうたった。俺はびっくりした。が、近くにいた2年生の学年主任はもっとびっくりしたようで、ボールペンを落とす勢いでバインダーに挟まれた書類、おそらくは送辞の原稿、をめくっていた。あの歌は予定にはなかったのか。教師陣の驚きはさておき、3年生からは笑いが漏れていた。

「覚えていますか?坂上先輩。先輩がリレーでコケて、1組が1位を逃したときに、歌った曲です。実は、近くにいた2年生も一緒に歌っていました。」

1組の坂上はびっくりしつつも、「覚えてるよ!」と大きな声で返していた。あまり卒業式では見ない光景だ。

「2組の先輩方、先輩方が作ったテスト勉強のカンペ、実は生徒会室で保管しています。2年生の皆、これで来年のテストは100点間違いないなしだ!1年生の皆も、安心していいよ!」

そういうと、1.2年生はわっと湧いた。さっきの坂上の大声のおかげで、固かった会場の空気がほぐれたようだ。その一方で、隣の2年生の学年主任はバインダーに✖を書いた紙を挟み、さりげなくステージ上へ向けていた。早く本来の送辞に戻れということらしい。

「3組では、教室の中で消しゴム野球をして1年で3回も窓を割っていましたね。3組の教室だけ窓が新しいから、2年生の間では来年は3年3組に入りたい人が多いです。」

これには体育館中が笑いに包まれた。2年生の学年主任も、この空気のなかでは怒るに怒れず、もう諦めムードだ。他の先生方も親御さんや来賓の方がいる中で、どう止めればよいのか分からない。

「先輩方のような仲が良くて雰囲気のいい最高学年になれる自信は正直、ありません。でも、先輩たちを見習って、みんなで全力で楽しい一年を過ごしていこうと思います。先輩方とこれまで通りに会えなくなるのはさみしいですが、先輩方が戻ってきても変わらないなと言ってもらえるような学校にしていきます。」

こう言って、送辞は終わった。そして教頭が場を立て直すように「卒業生答辞 3年2組宇佐美恭子」と言うと、宇佐美は「はい」とはっきりとした声で言った。朝見た泣きそうな顔とは似ても似つかない笑顔で、宇佐美は壇上へ上がった。これは良い答辞が聞けそうだ。練習通り、保護者と来賓に礼をして、原稿も出さずにはきはきとした声で話し始めた。

「送辞、ありがとうございました。私は、今日の朝までこの学校を卒業するのが寂しい、みんなと離れたくないと思っていて、昨日から泣きそうになるのをこらえていました。」

いや、宇佐美。時候の挨拶はどうした。そんな原稿書いてないだろ。

「答辞には、この3年間の思い出や感謝をたくさん載せました。この答辞を読む練習もいっぱいしてきました。でも読めば読むほど思い出に浸って泣きそうになっていしまいます。読めば読むほど、自分じゃないみたいにすらすら読めるようになってしまって、自分の言葉じゃないみたいで寂しくも感じてしまっていました。」

宇佐美は、そんなことを考えていたのか。綺麗な原稿にしてやろうっていうのあ、大人のエゴだったのかもしれないな。先の2年生の学年主任よろしく、俺も軌道修正は諦めることにした。宇佐美の素直な言葉を聞きたいと思ったし、変なことは言わないだろうと思ったからだ。

「でも、さっきの送辞を聞いて吹っ切れました。私の言葉で話します。この3年間の思い出を。」

「私は夏のプールの授業が好きでした。暑い中のプールが最高っていうのもあるけど、プールの最後にある自由時間にお友達と話すのが好きでした。先生は自由に泳いだりしてほしかったのかもしれないけど、私は自由時間にプールサイドに指で絵を描きながら、休み時間にでもできる話をする贅沢な時間が好きでした。」

「私は秋に自転車で下校するのが好きでした。下校時間には薄暗くなっていて、自転車の影が道路に大きく伸びるのです。お友達と一緒で、テンションが上がっているとその影が大きいってだけで面白くて、しかも影が大きいってだけで笑っている自分に気づくとさらに笑えてきて。私たちの笑い声が響く帰り道が好きでした。

「文化祭では、私が実行委員長になって準備を進めました。私が忙しそうにしていたら助けてくれた仲間、相談を受けてくれた先生方、朝から夜まで準備があるなか支えてくれた家族。みーんなに感謝しています。文化祭の閉会式でも感謝は伝えましたが、改めて伝えたいと思います。」

「この学校を巣立つことをとても寂しく思っていたけれど、この学校に私たちが残したものがあることに気づきました。後輩たちから憧れだと言ってもらえるなんて、とっても嬉しいです。本当の答辞だったらもっときれいな日本語で表現するんだけど、あまり言葉を知らなくてごめんなさい。次に学校に来るときは、もっと大人になっていると思います。それまで、みなさん忘れないでくださいね。」

「えーと、卒業生代表 宇佐美恭子」

朝、頑張りますと口パクで教えてくれた宇佐美が、本当に頑張って自分の言葉を紡いだ。その結果が、この拍手喝采だ。これまでに出席した卒業式での答辞の中で一番拙く、一番拍手をもらっている。

卒業式後、宇佐美が俺に会いに来た。朝の緊張はどこえやら、「やりました!」と言わんばかりの表情だ。あれだけ練習と違うことをして、怒られるかもという考えは出てこないのか。まあ、それが中学生なのかもしれない。宇佐美は「先生がいたから、あんなに楽しく答辞が読めました」と、何割本当か分からないけど、嬉しいことを言ってくれる。

「ありがとう。これからは、もっとたくさんの言葉を知って、もっとたくさんのことを感じて、今日と同じ素直さで生きていくんだぞ」

俺がそう言うと、宇佐美は笑顔で一礼して、友達のところへ戻っていった。そして振り返り、顔の前でグーを2つ作って「頑張ります」とくちぱくした。

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