見出し画像

1.17の使命

〈この文章は1644文字です〉

こんばんは。蛍智宏です。

今日は1.17、阪神淡路大震災のあった日ですね。私は災害ボランティアサークルに入っているので、身の回りには1.17をきっかけにボランティアを始めたという社会人の方もいるし、実際に被災したという方もいるしと、この日に思いをはせる人が多くいます。私もその一人です。

私は2000年生まれで、震災後生まれです。災害ボランティアをしています。この世代、この立場の、私の阪神淡路大震災に対する使命とは何なのでしょうか。

阪神淡路大震災に限らず、災害が起きてしばらくさせると「風化させない」「忘れさせない」「継承していく」というスローガンが立ち上がりがちな気がします。その裏には、二度とあんな悲惨な思いをしてほしくないという思いがあるとも聞いたことがあります。これらの言葉には強いメッセージが込められているようですね。

でも残念ながら、これらのスローガンは当事者の方々がどれだけ頑張っても達成されない可能性があります。なぜなら、これらのスローガンは、その災害を経験していない世代の協力失くして達成されることはないからです。当事者の方々にどれだけ知ってほしいことがあっても、継承されようとする側がいなければ意味がありません。

だから私は震災後世代として、継承される側としての態度を示していきたいと思っています。

継承される側の立場ってどういうものでしょうか。私の思う像は2つです。まず、継承の場に赴くこと。語り部の方のいるイベントや施設に行って、耳を傾けることだと思います。幸か不幸か、私の周りには阪神淡路大震災を経験した人がいます。その方々は節目ごとに、当時のお話をしてくださいます。ありがたいことです。そして私がその方々にできることといえば、その方々のお話が私に届いていますよということを、ご本人に伝えることくらいです。

次に、継承する側に回ること。私たちが受け取ったものを、同じ世代や私たちの次の世代に伝えていくことだと思います。どういうことが起きたのかを伝えるかというよりは、そもそも興味をもってみようよ!という感じでしょうか。そして、災害のおぞましさを知り、当時の教訓を学び、これからに活かす心構えを作っていきたいです。

ボランティアをしていると、災害を経験していないが故の申し訳なさとか気まずさを感じることがあります。きっと感じる必要はないし、感じてほしいと思っている人は一人もいません。でも、色々考えてしまいます。そんなときに、経験していないからこその役割もあるのではないかと思って、前々から考えていたのが上のお話です。

最後に、私はこの1.17に合わせて、年末に新聞社の方に取材を受けた話をします。「コロナ禍の災害ボランティア」というテーマで、私の所属団体へ来た依頼を代表の方が私に振ってくださいました。そして私への取材を基にした新聞が出来上がり、その記事を母がFaceBookに投稿しました。すると母のもとにFaceBookでつながっているけど何年も連絡を取っていなかった大学の先輩から連絡が来たそうです。そこには「娘さんにありがとうって伝えて。こんな状況の中で、若い人が頑張っているのを見たら私も頑張らないとと思えて、涙が出てきた。」というような内容が書いてあったそうです。

私もこれまで色んな方の姿を見て自分を鼓舞してきました。が、今日初めて誰かを鼓舞する側に回りました。上で書いた「継承する側に回る」という使命は、これまで漠然と思ってたけれど漠然と思っていただけでした。でも、私も誰かに何かを与えられる側になれるんだという実感を得たことで、少し自分に期待できるようになりました。昨日の自分であれば「継承する側に回る」ということは書けなかったと思いますが、今日は書けます。

こうやって、誰かを励ましたり励まされたり、支えたり支えられたりしながら、私なりの使命を果たしていきたいと思います。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?