昭和40年代の横須賀下町の味
まだ子供だった頃、横須賀の百貨店の出入りの業者だった父に連れられて、横須賀の下町、いわゆる大滝町若松町辺りにはよく連れて行ってもらった。
そんななか、よく行った食堂が「志んどう」。路地にあった志んどうは定食屋というような感じの食堂だったと記憶している。
志んどうはもうないが、下の写真、ヒレカツの老舗「やなせ」の左隣にあった。
やなせはちょっと高級感があったのか、子供の頃に連れて行ってもらった記憶はない。20代後半になってから初めて入った。
志んどうでよく食べたのがソースカツ丼。カツの下にキャベツが敷いてあるカツ丼だった。
今でこそ、ソースカツ丼もメジャーになったが、当時は一般的には珍しかったはずだ。しかし、カツ丼と言えば志んどうだったので、ソースカツ丼こそがカツ丼だとずっと思っていた。
この時の印象が残っているのか、近くは鎌倉の勝烈庵、遠くは信州駒ケ根、大町までソースカツ丼を食べに行った。
家族でよく行った店がヨゼフ病院の下にあったレストラン「まどか」。店の中庭のようなところに小さな池があったような記憶がある。当時としては特に高級というほどではなかったが、結構おしゃれなレストランだったと思う。
店内にゆがんだミラーが設置されてあり、それが面白くてよくミラーの前に立っていた記憶がある。
その後、まどかは中華レストランに変わり、それが失敗したのか、じきに閉店してしまったように思う。
横須賀のシンボル的商業施設はさいか屋だった。だから、さいか屋のいわゆるデパート食堂に何度か行ったはずだがあまり記憶がない。ただ、お子様ランチの旗が○サだったのだけは覚えている。
○サは、さいか屋のかつてのマーク。
そんな子供時代にできたのが「べんがる」。当時としては珍しいカレー専門店だった。
子供時代にこの店に入ったことはなかった。それは、ベンガル=インド=インドカレー=辛い、そんなイメージがあったからだ。
ベンガルに初めて入ったのは20代後半だった。辛いと思っていたカレーはそんなに辛くなく、子供でも食べられる味だった。意外なほど敷居は低かったが、固定観念というのは恐ろしいもので、ずっと敬遠していた。
志んどう、まどか、さいか屋のデパ食などが消えてもベンガルはいまだ人気店として営業している。
横須賀でカレーと言えば、海軍カレーよりベンガルだ。
そういえば、三笠通りにだるまという食堂があった。何度か入っているはずだがほとんど記憶がない。
その他、入ったかどうか記憶はないが立花食堂、喫茶店ではササヤ、オリエンタル、横ビルの上の階にあったユングフラウなどという店もあった。
横ビルは今でもあるが、かつては月賦の丸井が入り上層階には映画館の横劇が入っていた。
そういえば、このビルの裏手に、札幌から麺を空輸して提供していた「三平」というラーメン店があった。この店には、父に連れられ何度か入った記憶がある。たしか、バターラーメンがあって、当時としてはとても珍しかったように記憶している。麺は西山製麺だったのだろうか?
当時入った店の写真は一枚もない。それが当たり前の時代で、店の写真を撮ったり、食べ物の写真を撮ったりする人などほとんどいない時代だった。
もしそんなことをすれば、変な目で見られていただろう。
当時の写真と言えば、家族を撮った写真、出かければ観光名所での記念写真がほとんどだろう。
だから、もう頭の中の記憶でしか残っていない。記憶とは、気づかぬうちに美化されていたりするので、おいしかったと言う記憶も、本当においしかったのかどうか疑わしい。
けれど、まずかったと言う記憶があればそれは本当にまずかったのだろう。
そこで、志んどうのソースカツ丼はというと、うまかったと言う記憶もなければまずかったと言う記憶もない。だからそこそこうまかったのだろうと想像する。絵的には記憶がかすかにあるが、これものちに食べたどこかのソースカツ丼のものにすり替わっているかもしれない。
いずれにせよ、子供の頃の記憶なんてあまりあてにならない。(笑)