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あやとり家族⑤

高校には車で行くと思っていた5歳の私

我が家のヤンキー姉ちゃんが高校に行き始めた。この頃の姉ちゃんは、たまに家にいると思うと、男女問わず何人もの友達を連れ込み、部屋でタバコを吸ったりシンナーだと思うがきっとそんなこともしていた。
夜中に抜け出しては遊びに行ってしまうことから家中のドアの鍵は厳重にされていた。だけど姉ちゃんは窓から外へ出るということを覚え、厳重な鍵管理も意味がなかった。そこで、見兼ねたじーちゃんが窓に鉄格子を取り付けた。しかしそんなことをしても無駄だった。鉄格子の僅かな隙間をスタイルの良い姉はすり抜けることができたのだ。結局何も変わらない日常が続いていた。

ある朝、「ブオーン」と車が入ってきて止まっているのが見えた。車高短というやつだ。また、そんな日に限っていつもは仕事でいない父が家にいて。
ここからバトルが始まった。

その車には男の人が乗っていて、なんでも高校まで姉ちゃんを送って行くために来たらしい。しかし、姉ちゃんは部屋で寝ていてそんな男が迎えに来たことすら気づいていない。
父は仕事に出発する直前だったが、足を止めた。車がきたことでブチギレたのだった。

はっきりと覚えているこの光景。父は靴のまま本家に上がり込み、姉ちゃんの部屋からパジャマのままの姉ちゃんの髪を掴み、引きずり出してきた。姉ちゃんは「痛えよ、何すんだクソ親父!」と大声で反抗している。それに腹を立てたのだろう。私たちの朝ご飯が乗っているテーブルをひっくり返し、もちろんおかずは床へ散乱。一生懸命それらを拾う祖母と母。私は遠くでその光景を見ているだけ、子どもながらに近づいてはいけないと感じた。
父は「お前は何をしているんだ!」と声を荒げ、掴んだ髪で姉ちゃんを振り回している。「今すぐ帰らせろ、早く行け!」と。さすがに反抗できなくなった姉ちゃんはそのままの姿でぶつくさと何か文句を言いながら、その車の男のところまで行って帰らせた。

私はその後の記憶はない。ただ、残っているのは高校は誰かが迎えにきてくれて車で行くんだ!っという間違った解釈。そして、私の朝ごはんがなくなってしまって、ご飯ですよというノリの佃煮と白米になったこと。

後から聞いた話だが、姉ちゃんはよっぽどモテたらしくその男の人も20歳を超えている人だった。15歳の姉ちゃんはモテモテだったという事実だけは今も理解できる。

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