放送作家 細田哲也

構成・脚本 / 99ANNのハガキ職人から放送作家 / 100名の作家チームを運営 /…

放送作家 細田哲也

構成・脚本 / 99ANNのハガキ職人から放送作家 / 100名の作家チームを運営 / 栃木県足利市出身 / 活動歴→hosodatetsuya.com

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  • ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。

    ラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』のハガキ職人から放送作家になった、僕の16年間の回顧録です。

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ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。1

  2017年8月5日は、僕が人生で2番目にたくさん泣いた日です。 同棲していたカノジョが言った「お金、足りてるの?」という一言がきっかけでした。それは僕自身がここ1年ずっと気に掛かっていたことで、怖くて目を背けていた深刻な問題でした。カノジョにしたら、週に2日しか仕事に出ていかない僕を見て心配にならない方が不自然です。 しかし、僕の仕事がフリーランスの放送作家という特殊な収入形態であること。つまらないプライドが捨てられずにいる僕の性格を理解して、ずっと言わずに我慢してく

    • ハガキ職人から放送作家、そして。最終回

      【放送作家16年目(38歳) 現在】 勢いで、過去16年の回顧録を書き上げたものの、さてここからどうしよう…。 静かに机の奥にしまっておくのも一つですが、やはり、モノを書いて食べている人間としては、どこかに出さなければ意味がないという気持ちもありました。 「ハガキ職人」も「放送作家」も、テレビやラジオの舞台裏を書いたとて、今や世間の関心を引くコンテンツとは思えません。しかも日々、情報が更新されているこの時代に、16年前の昔話など誰も喜ぶはずがない。 noteへの投稿

      • ハガキ職人から放送作家、そして。17

        【放送作家16年目(37歳) 2017年】 3月。僕は目黒区学芸大学に引っ越して、彼女と同棲を始めました。 きっと彼女は、この頃にはもう僕の状況に気づいていたのかも知れません。「私も家賃を払う」と言って、雑貨屋さんでバイトを始めます。 「プロ野球のシーズン中なのに、いいの!?」 「うん、早番にしてもらうから大丈夫!」と彼女。 やはり、何があってもナイターは見たいようです。 彼女は「せっかく同棲してるんだし、自炊をしよう」と言いました。一緒にスーパーについて行くと、

        • ハガキ職人から放送作家、そして。16

          【放送作家15年目(36歳) 2016年】 消臭力との日々は驚きと発見の連続でした。 彼女はプロ野球・横浜ベイスターズの熱狂的なファンで、試合のない(シーズンオフの)11月から3月の間に働いてお金を貯め、シーズン中の4月から10月は、試合を観戦するためにニートになるという超自由人。いわば「スーパー・ニート」です。 交友関係も広く、女友達とチェーンの居酒屋で騒いではカラオケに行って盛り上がる。ベイスターズ友達はもちろん、競馬仲間がいたり、釣り友がいたり、日曜日には「鉄腕DA

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        ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。1

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          放送作家 細田哲也

        記事

          ハガキ職人から放送作家、そして。15

          【放送作家15年目(36歳) 2016年】 仕事が落ち着いて自分のペースが掴めるようになると、体調は少しずつ回復していきました。一つのバロメーターとして、パソコンの画面を見られるようになり台本を書くスピードが元に戻ったのです。 あとは睡眠の問題だけ。酷い時期は抜けましたが、十数年に渡る夜型の生活が身体に染み付いているのか、どうしても「夜に寝て、朝起きる」という当たり前のことが出来ません。 こういった状態であることは、仕事仲間や親友にも誰にも相談することができませんでした。

          ハガキ職人から放送作家、そして。15

          ハガキ職人から放送作家、そして。14

          【放送作家10年目(31歳) 2011年】 そこから3年は、ほぼ仕事中心の毎日でした。作家10年目で、ある程度のレベルで書けるようになっていたことと、まだ30代前半で重宝がられたこともあり、僕は僕で金欠を味わった経験から仕事を断ることが出来ませんでした。 自らのキャパを大幅に超えた仕事量を抱えてしまったのです。 後輩の作家にお金を払ってネタ出しを手伝ってもらうも、そのクオリティに満足できず、結局は自分でやってしまう。僕は、何でも自分でやらないと気が済まないタチでした。

          ハガキ職人から放送作家、そして。14

          ハガキ職人から放送作家、そして。13

          【放送作家9年目(30歳) 2010年】 自分の通帳を見返してみて、改めてお金の管理がずさんだったことに気づきました。財布の中身が無くなるたびに口座から10万円を下ろす、それが月に7、8回。毎月の引き落としの中には家賃やローンのほかに、把握できていないものもたくさんありました。4年前に通っていたスポーツジムの会員費が、解約されないまま引き落とされていたり、好きでもないプロ野球球団のファンクラブの年会費やら、ほとんど見たこともない競馬チャンネルの視聴料まで(すべて僕が解約し

          ハガキ職人から放送作家、そして。13

          ハガキ職人から放送作家、そして。12

          【放送作家8年目(29歳) 2009年】 それは、ある放送局で会議をしていた時のことでした。 普段は滅多に会うことがない経理部の社員さんが、僕を訪ねてやって来たのです。 「細田さんという作家さんは、どなたでしょうか?」 「はい、僕ですが」 会議を抜けて話を聞くと、経理の方は困った様子で僕にこう言いました。 「実はですね。先ほど●●区役所から電話があって、弊社から細田さんにお支払いしている給料を差し押さえたいと言われまして…」 「はっ?!」 「税務課と言っていたの

          ハガキ職人から放送作家、そして。12

          ハガキ職人から放送作家、そして。11

          【放送作家8年目(29歳) 2009年】 東京都・中野では、あらゆるお店に行き尽くしました。キャバクラには芸能人の顔もちらほら。六本木や銀座に比べて格段にリーズナブルなこともあってか、若手の芸人さんをよくお見かけしました。 当時、中野では新しい形態として「ガールズバー」が出始めた頃です。 ガールズバーとは、カウンター越しに客と女性バーテンダー(と言いつつ普通の女の子)が対面して飲むというスタイル。「1時間3千円」「飲み放題」という手軽さと目新しさがウケて、人気でした。

          ハガキ職人から放送作家、そして。11

          ハガキ職人から放送作家、そして。10

          【放送作家7年目(28歳) 2008年】  また別の会議では、違う意味で苦戦をしていました。それは深夜のテレビ番組で、総勢20人規模の会議。そこに、番組MCのタレントさんからの紹介という形で、僕が途中参加することになったのです。  しかし、僕は完全に招かれざる客でした。  MCがゴリ押しで新しい作家を連れてくるのは、現状のスタッフ(作家)に満足していないから? そう勘ぐられたのか、僕に対する風当たりはやけに強く (新しい作家なんて要らないでしょ!)  そんな空気はガ

          ハガキ職人から放送作家、そして。10

          ハガキ職人から放送作家、そして。9

          【放送作家7年目(28歳) 2008年】     僕はゴールデンのテレビ番組の会議に加わることになりました。以前、お笑いライブでご一緒した先輩のHさんが、その番組のチーフ作家をやっていて一存で呼んでくださったのです。  その番組にはすでに6人の作家がいて、深夜枠からゴールデンに昇格したのを機に、(作家では)僕一人が新たに加わるという形でした。  Hさんに呼ばれてテレビ局に行くと、何の説明もなくポンと会議に入れられました。僕を含めた作家7人と、チーフプロデューサー(総合演出)

          ハガキ職人から放送作家、そして。9

          お詫びとお知らせ  ハガキ職人から放送作家、そして。

           皆さまへ  思った以上に反響をいただいて、嬉しさと戸惑いでいっぱいです。  ここで、どうしてもお伝えしたいことがあります。  僕は現在も、放送作家としての仕事を続けています。  廃業はしておりません。  ありがたいことに、まだ作家の仕事で食べられています。  そして、とても元気で健康です。  「廃業へ。」というタイトルを付けたのは、ここ数年、常に「廃業へ」という気持ちをもって仕事をして来たのと、少しでもインパクトのあるタイトルを、という厭らしさもありました。  

          お詫びとお知らせ  ハガキ職人から放送作家、そして。

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。8

          【放送作家4年目(25歳) 2005年】  1年目にサブ作家として出入りしていたラジオ局で、メインの作家として初めてのレギュラー番組が決まりました。新しくナイナイANNのディレクターになったGさんが、僕を別番組の作家として使ってくれたのです。Gさんは 「お手伝いとはいえ、ギャラが出ていないのはおかしい」 と初めて実際に動いてくれた人です。  本人からそう言われたわけではありませんが、ナイナイANNからは支払えないけど、別番組でギャラを出すからナイナイの方もお手伝いとは思わ

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。8

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。7

          【放送作家3年目(24歳) 2004年】  この年、初めてのテレビのレギュラーが入りました。深夜のコント番組です。会議は週に1回、2時間程度。ラジオの場合は台本を書いて収録にも立ち会いますが、テレビの場合は会議と台本の執筆だけで撮影に立ち会うことは、ほぼありません。ハガキ職人でネタを書くのに慣れていたこともあり、コントを書くのはそれほど難しくはありませんでした。パパパッと書いて提出して、それ以外の時間はキャバ嬢と遊んでいるか飲みでした。しかもその番組は定期的にDVDを出して

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。7

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。6

          【放送作家2年目(23歳) 2003年】  サブ作家をクビになり、仕事は週に1度ナイナイさんのラジオだけ。ヒモ状態の僕は、いよいよ暇を持て余してエロサイトを作りました。  タイトルは『手●キ名人』。当時、エロ動画の無料サンプルを紹介するサイトがネット上には乱立しており、僕はそれをよく利用していました。しかし、ページも動画も無数にありすぎて選ぶのが面倒。そこで思いついたのが、自分がハマっていたジャンル「手●キ」の動画だけを集めたサイトです。大学時代にHTMLというホームページ

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。6

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。5

          【放送作家1年目(22歳) 2002年】  サブ作家の仕事を続けて半年が過ぎた、ある木曜日。Bさんに呼ばれて別フロアにある会議室に行きました。ドアを開けると、そこにはナインティナインの岡村さんと矢部さんがいました。  Bさんはまたも唐突に 「こいつ、ハガキ職人の顔面凶器です。今週から、サブに付けますので」 とお二人に僕を紹介しました。  すると岡村さんが「そのトレーナー、俺も同じの持ってるわ」と僕の着ていたスウェットをイジってくれました。僕は緊張で何と返していいのか判ら

          ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。5