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【続編】メメント モリ II 二章 蝶の戯れ

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 都立国際大学のメインビルディングの正門付近は学生や職員の出入りで慌しいが、人影の少ない北門へ足を向けると、来訪者が大学の一般オフィスに出入りし、時折、外国人の姿も見える。
 直人は大通りから数歩、大学の敷地内に入り込むと、北門手前の建物の一階にあるガラス張りのオフィスのドアを押した。オフィス内は明るく清潔に保たれ、待合スペースには数人の学生がソファに腰かけスマートフォンで遊んでいる。大学案内資料請求に事前のアポは必要ないが、念のために電話を入れておいた直人は、受付カウンターに向かうとすぐに資料を受け取れた。
 ──キャンパスに入るなら大学案内か、それとも何かの行事──
 ふと、オフィス内に貼られた一枚のポスターが目に入った。
「ハロウィーン祭……」
 直人がそう呟いた時、オフィスのドアが開いた。
「コンニチハ!」
「ボンジュール! ブランシェ博士」
 親しげな話し声が聞こえ、直人は思わず声の持ち主の方に視線を向けた。 
 スラリとした長身に洒落たスーツを着こなし、長めのダークブロンドの髪を無造作に束ねた男がオフィスに入ってくる。男はオフィスのドアを開きにしたまま、連れらしき女子大生をオフィスに通すと、静かにドアを閉めた。西洋人は実年齢より老けて見えるが、この男の洗練された動きの中に若々しい仕草を感じた直人は、せいぜい三十代半ばぐらいの年齢だと察した。受付嬢が高揚した顔で応えている。
「メルシー、ブランシェ博士」
 女子大生は甘い笑みを浮かべると、エスコートされるように受付カウンターへと向かった。
 ──ここは国際大学だから外国籍の教員も自然にいるし、若くして〝博士〟なら有能な人なのだろう──
 雰囲気のある外国人の登場で遮られた集中を元に戻すと、直人はハロウィーン祭のポスターを見詰め、詳細を頭に入れた。開催日まで二週間以上もあるが、祭りに紛れてキャンパスに入り込んだ方が、学生だと偽るより安全なはずだ。

  開催日 10月26日 土曜日
  時間  午前10時から午後10時まで
  場所  都立国際大学キャンパス

  午前10時 マーケット&文化交流ワークショップ
  午後1時  仮装コンテスト
  午後3時  ホラーハウス、パフォーマンス
  午後8時 ハロウィーンナイトパーティー

 ふと、直人は後方から視線を感じた。
 ──見られている──
 緊張して顔が強張ったが、気づいてしまった以上、確認する必要がある。
 一瞬、躊躇ったが、さり気なく振り向いて確認しようとした時、
「院生ですか?」
 流暢な日本語で声をかけてきた。
 直人は表情を変えず振り返ると、ダークブロンドの男は受付カウンターに連れの女子大生を残し、直人の方へと優雅に歩み寄ってきた。
 ──見ていたのはこの外国人か──
 直人は確信したが、ここで怪しい動きはできない。
「いえ、大学院案内資料を請求しに来ただけです」
 そう云って直人が微笑むと、相手のグレーの瞳が一瞬、揺らいだように見えた。
「ピエール・ブランシェ、サバティカルで八月からこの大学に来てます」
 相手を恍惚とさせる笑みをうかべると、右手を差し伸べた。男の直人も顔を赤らめるほどの端麗な顔立ちの男だが、慌てて気を引き締めた。相手に先手を打たれてしまったら、こちらも名乗るしかない。直人は笑顔を返して握手をしたが、その容姿からは似つかわしいほどの力強いグリップで右手を握られた。その時、相手から放たれる不思議な気配を感じ取ったが、なぜか懐かしい香りがした。決して嫌な気配ではない。
「──佐々木直ささきなおです。ブランシェさんは日本語の発音がとても綺麗ですね」
 直人は用意していた偽名を使った。〝なお〟は直人なおとそのままで、〝佐々木〟は渡辺の母方の苗字を借りた。噓が下手な直人が考えた偽名であるが、少しは現実に寄り添っていないと、万が一名前を呼ばれた時に反応できない。
「佐々木直……」
 ピエールは握手を解くと、直人をまっすぐ見詰めた。
「ナオさんはワタシの友人によく似ていて驚きました」
 直人も握手をした時になぜか懐かしい気分になったが、相手もそう感じたのなら不思議な現象だと思ったが、
「その方は女性ですが、とてもよく似ています」
 ピエールは無邪気に微笑んだ。
 ──不思議でも何でもなかった! 母親似の無駄に長い睫毛と泣きぼくろが悪い──
 だが、他人に八つ当たりするわけにもいかない。直人は適度に会話を切り上げ、オフィスを去ろうとした寸前、
「どの学科に興味がアリますか?」
 ピエールが尋ねた。直人は一瞬戸惑ったが、もしこの男の所属が〝逸見寛〟と同じ学科であれば、可能性が広がるのではないかと考えた。
「──教育学科です」
 事前の調べで逸見寛は教育学科の教授であることが解っている。これは賭けであった。
「同じ学部です! ワタシは心理学科にいます。これも何かの縁」
 ピエールはそう云うと、名刺を差し出した。
 直人は名刺に視線を落とすと、そこにはフランス語で綴られた〝ピエール・ブランシェ〟という名前の他に電子メールだけというシンプルなもので、大学の名刺ではなかった。午前中、監察医務院で一課長に『渡辺叡治』の名刺を渡した時の事を思い出し、直人はピエールの名刺を素直に受け取ると、何気なく裏返した。

 Memento Mori

 カードの中央に綴られた一文と、有名な三枚のアヤメの花びらを束ねたシンボルが目を引いた。
「メメント……モリ?」
「クラブのコンセプトです。哲学に興味アリますか?」
 直人が顔を上げると、ピエールはそのまま真顔で続けた。
「クリスマス前にはフランスに戻りますが──」
「クラブって何ですか! ブランシェ博士!」
 突然、昂った声が会話に割って入ってきた。直人は受付カウンターの方角に目を向けると、先程からピエールの会話に聞き耳を立てていた女子大生が直人を睨んでいる。
「フフフ、秘密です」
 ピエールは女子大生の方へゆっくりと振り向きながら指を唇に当てる仕草をすると、何事もなかったように優しく微笑んだ。
「博士のクラブなら私も入りたいです! 紹介してください」
「哲学のクラブです。生や死について語り合うのです。それに残念ながらワタシが運営するクラブではありません」
「でも面白そうじゃないですか!」
 ピエールは困った顔をすると、
「紹介したいのは山々ですが、男子社交クラブですので、女性は入会できない仕組みです」
「何それ! 超怪しい!」
 遠回しに断られたことが気に障ったのか、女子大生はヒステリックにわめき散らした。
「マドゥマゼル、オフィスで声を張り上げてはダメです」
 ピエールは未だ直人の手中に収まっている名刺にさり気なく視線を落とすと、
「懐かしい匂いのするアナタをお待ちしてます」
 直人だけに聞こえるように耳元で囁くと、そのまま受付カウンターの方へ戻っていった。直人は驚いてその場に立ち尽くしたが、ピエールは興奮気味の女子大生を愉しむように背中に手を回しながら巧みに宥めると、その場を見事に収めた。
 ──感心している場合ではなかった──
 直人はピエールの名刺をポケットに差し込むと、ガラス張りのドアを引いてオフィスを出た。
 渡辺に指示され、わざわざ大学に足を運んだが、偶然にも〝大学関係者と繋がる〟という収穫を得た。ただ、哲学系の男子社交クラブというのが謎めいていて怪しいが、今月末のハロウィーン祭まで渡辺が待てないのなら、サークルに潜入して調査することも可能だ。
 直人はふと、ガラス張りのドア越しに見えるピエールの姿を見た。横にいる女子大生や受付嬢の相手で忙しそうにしているが、ピエールも直人の視線に気づくと手を小さく振った。
「花蜜を求めて移ろう蝶みたいな人だな」
 直人の口元に苦笑いが漏れたが、報告のために一旦事務所に戻ることにした。

【三章『作戦会議』に続く】



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全9話+補完エピソード5話(短編小説)


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