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私の推し面⑦【金野泰大 先生】

宝生能楽師が憧れているあの面、
思い入れのあるあの面…
そんな「推し面(めん)」を月に1回ご紹介していきます。
 
第7回目は9月、月浪能特別会で「石橋」を披く
金野泰大 (こんの よしまさ)先生。

――金野先生にとっての「推し面」を教えてください。
私は岩手県の盛岡市出身で、昔は南部藩と呼ばれていた地域で育ったのですが、宝生会の内弟子を出たころに、なぜ自分の故郷が「南部宝生」(宝生流の盛んな土地)と呼ばれているのかずっと疑問を持っていました。南部宝生の謂れを調べていたところ、ついに南部藩の面の存在を知ったんです。

そのきっかけとなった文献は、1956年に千葉常樹氏により刊行された「南部藩能楽史」でした。

南部藩に能が入った経緯を調べますと、豊臣秀吉の許可がないと南部藩として認めてもらえないということで、生まれが加賀の家来を前田利家のもとへ遣いに行かせたところ(※)、能や茶の湯、鷹狩などの接待を受けたそうです。
※前田利家と豊臣秀吉は仲が良く、前田利家が豊臣秀吉との間を取り次いでくれるかもしれないと考えたため。

南部藩でもこれからは能楽をやっていきたいということになり、能が盛んになっていったと記されています。
 
本によると南部藩に装束は1200点、能面は440面ほどあったそうなので、能楽が非常に盛んだったと思います。江戸城で能を披露したこともあったそうなんですよ。

「南部藩能楽史」

「南部藩能楽史」には南部藩の面とされる「小尉(こじょう)」のことが書いてあったのですが、驚くべきことにその面がこの宝生能楽堂で保管されていたんです!
ぜひ読者の皆様に知っていただきたく、今回、推し面として選びました。

「小尉」
「小尉」裏

この小尉は福来石王兵衛正友(室町時代の面打師)が打った本面(オリジナル)らしいです。宝暦14年(1764)に南部藩がその当時の宗家(宝生流の当主)に小尉を渡したのだとか。
 
盛岡からやってきたことを考えるとなかなかのエピソードがありますよね。

あごの辺りを見ると、
相当な年月使われてきたことが分かります。


――もう一つお持ちいただいた推し面についても教えてください。

鷹(たか)」という面になりまして、こちらは写し(=コピー)です。
かっこいいですよね。左右の違いがすごくあります。

「鷹」
「鷹」裏

「鷹」についての詳細は「南部藩能楽史」には載っていませんでしたが、南部藩のものであるという用紙を別で発見しまして、この「鷹」も南部藩から来たことが分かったんです。

南部藩が所有していた440面は、全部いろいろな所に散らばっていき、幕末になってお金がなくなり、売られてしまったものもあるそうです。なので、今は南部藩の面と言えるものはほとんど残っていないんですよね。
 
そのような状況の中、宝生能楽堂でついに2面見つけることができて本当に感激しました。私としては故郷からやってきたこの小尉と鷹が推し面です。

――9月、月浪能特別会の「石橋」で使う面のご紹介をお願いします。
獅子口(ししぐち)」を使います。金ぴかですよね(笑)
全く同じ面を本番で使うかは分かりませんが。

「獅子口」
「獅子口」裏

稽古をするときに、私の先生からは小面や増などの女面をかけて稽古しておけと言われます。
女面の小面や増は目の穴が小さいので、それに慣れておけばこの獅子口で本番をやっても大丈夫だよねということらしいです。
みんな基本的に稽古面は小面か増を使います。

今、まじまじとこの獅子口を見たら目や鼻の穴の大きさにびっくりしました。見えすぎるとかえって怖いです(笑)。
 
こっちは、稽古で使っている私専用の増です。獅子口と目の大きさを比べたら面白いですよ。

――月浪能特別会では「石橋」を披かれますが、どのような曲ですか。
簡単に言えば、極楽浄土に行くか行かないかの話です。
この橋を渡れば極楽浄土に行けるということで、僧侶が修行して挑みますが、童子から「ここの橋を渡ると危ないからやめといたほうがいい。」と止められるんですよ。
待っていると良いことが起きるということで僧侶が待っていると、シテ(獅子)が橋で自由自在に舞って帰っていきます。

――役をいただいてどのような印象をお持ちになりましたか。
お家元のお許しを得てシテを勤める曲なので、いよいよ来たなと思いました。とてもありがたいです。
 
――稽古をされていて大変なことはございますか。
シテには謡がなく、舞台に出てから約10分間ずっと舞い続けなければなりません。「石橋」にしかない型も多く、台に上って、面をかけて舞うのはなかなか大変ですね。
いろいろな先輩方から大変さを聞いています。

――今まで先生がご覧になった「石橋」の中で、印象に残っているエピソードを教えてください。
舞台を観てというわけではないのですが、私が内弟子だったころ、先輩の髙橋憲正さんが「石橋」のシテを披くときに、台を出すお手伝いをさせていただいたことがあります。台を舞台に置くときの角度などいろいろと教えてもらいました。そのときのことが印象に残っていますね。
 
舞台と言えば、去年の秋に家元が勤めた「石橋」の特殊演出の「石橋 赤黒(しゃっこく)」はびっくりしましたね。

私が9月の月浪能特別会で「石橋」をすることはすでに決まっていたので、家元の「石橋 赤黒」はどのようなことをするのか気になって観てみたんです。
通常の「石橋」の型とは全く違っていて驚きました。


――最後に読者の皆様に向けてメッセージをお願いします。
今回、「石橋」を披かせていただきますので、ぜひ観ていただければと思います!

これからも南部藩の面を探していきます!

日時: 8月18日(木)、インタビュー場所: 宝生能楽堂稽古舞台、撮影場所: 宝生能楽堂稽古舞台、9月 月浪能特別会に向けて。


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〈金野泰大 Konno Yoshimasa〉
シテ方宝生流能楽師
昭和58(1983)年、岩手県生まれ。2001年入門。19代宗家宝生英照に師事。初舞台「小袖曽我」トモ(2003年)。初シテ「吉野静」(2012年)。

 
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