「私の死体を探してください。」 第27話
池上沙織【4】
『白い鳥籠の白い鳥たち』の最終章が掲載されてからすぐに、一人の男が死んだ。佐々木絵美の父親の佐々木信夫だ。森林先生のブログにほとんど中傷と言っていいコメントをしていたのもこの男だったということがこの男が残した遺書から判明した。遺書には自分について書かれたブログの内容が事実であることを認めていた。
佐々木信夫の死により、ますます森林先生のブログは話題になった。編集部には電話やメールなどの問い合わせがさらに増えた。中には苦情もあったけど、それでも問い合わせのほとんどが『白い鳥籠の五羽の鳥たち』が出版されないのか? という問い合わせだった。
出版するとなると多くのハードルが待ち構えている。実際の事件を事件当事者がかいたのだからそのハードルの高さと多さを想像するだけでも気が遠くなったけど『白い鳥籠の五羽の鳥たち』は出版されるべきだろう。
あのあまりにも悲しい真実の結末と生き残った少女が作家の森林麻美だったという事実は読者を惹きつけるに違いない。
正隆氏も出版したいと言っていた。
まあ、正隆氏があの作品を出版したい理由は明白だ。
お金だ。
彼には収入を得る方法がない。
正隆氏は結婚してから数年で、創作活動をするという言い訳のもと勤めていた会社をやめている。それから十年近く働いていない。
正隆氏の実家はわりと裕福だったようだけど、森林先生のブログに書いてあったとおり、母親が有り金を全部はたいてしまったみたいだから、もう頼れない。
まともな人間ならこんな状況に陥れば、すぐに仕事を探すだろう。
でも、正隆氏はまともな人間とは言いがたい。東京のマンションを売ってしまったと噂で聞いたときに、働く気はないんだろうなあと確信した。
森林先生という金のがちょうを失ってしまった今、森林先生が今まで産んだ卵を最大限に利用しようとするのは目に見えている。
胸が悪くなる話ではあるけど、私との利害は一致している。
私も『白い鳥籠の五羽の鳥たち』を形にしたいし、サイコガールシリーズのプロットをなんとしても手に入れて作品を完成させたいのだ。
そんな風に決意を新たにしたところだった。最終章がブログに更新されてから二週間たっていたから、もう、森林先生はブログに何も書き込んでいないだろうと考えていた。いつも通り忙しくしていたら、神永編集長に呼ばれた。
「池上、まずいぞ」
「え? 何がですか?」
「ブログ見てないのか?」
「あれから何も更新されてませんよね?」
「いや。今朝がた更新されていた。俺も気づいてなかったんだが、池上が担当している香坂先生から電話があった」
「香坂先生ですか?」
香坂美央子先生はおととし新人賞を獲ったばかりの新進気鋭の作家だ。私と年が近いのでとても話が弾む仕事のしやすい人だ。
「香坂先生が森林先生のブログを読んでお怒りなんだよ。まあ、とにかく読め」
嫌な予感に血の気が引いたが、ブログを読んでから、今度は頭に血が上った。
ひどいと思った。
そして、悔しいことにやはり森林先生はすごいなと思った。
私との約束は守ってくれている。私と正隆氏の不倫には一切触れていないのだ。
一行も私と正隆氏が不倫関係だとは書くことなく、私にダメージを与えた
のだ。
自分の夫と編集者が不倫をしていると、他の作家が知ることになったところで、他の作家は恋人を奪われたり、夫がその編集者と不倫をするかもしれないと考えることはまずいない。
でも、森林麻美のパソコンのパスコードを担当している編集者が知っていた。という事実は他の作家にも起こりうることだ。
不倫をしていた事実より、パソコンのパスコードの方が重かった。
それにしても森林先生はいつから知っていたんだろう?
「池上、残念だがこれが本当なら、池上の人間性を疑われても仕方がないとは思う。事実なのか?」
神永編集長にそう聞かれて私は奥歯にぐっと力を入れてから答えた。
「事実です」
「どうして、そんなことをしたんだ?」
「どうしても、知りたかったんです」
「何をだ?」
「森林先生が誰と、どんなメールをしているかを知りたかった」
「それが池上の正直な気持ちならこう書かれても仕方ないな」
「……はい」
「俺はもっと他のことが暴露されると思ってたんだがな……」
「他のことって、なんですか?」
神永編集長は大きくため息をついた。そして、聞いたことのない低くて太い声でこう言った。「みんな知ってるぞ」
頭が真っ白になった。そうか。今更暴露するほどのことでもなかったのかと腑に落ちた。
それからすぐに私に移動命令が出た。総務部だった。私は退職願いを出し、会社を辞めた。
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