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【ダスカロスの教えに学ぶ3】「絶対無限の存在」と「永遠の存在たち」(「真理の言葉」第1章より)/【スピンアウト】西洋占星術について


「絶対無限の存在」と「永遠の存在たち」

「ダスカロスの教え」とはどのようなものか?……と尋ねられたら、それは真理探究のためのシステム(System for the Research of Truth) と答えたい。

用語56 真理探究のためのシステム(System for the Research of Truth)

秘儀的なキリストの教えによるこのシステムは、すべての偉大なる宗教的伝統として知られる永遠の真実を讃えると同時に、「キリストであるジョシュアイマヌエル教えと、新約聖書 にその基礎を置いている。私たちは、はっきりとした目的をもつ学び、エクササイズ、瞑想を通して、私たちの全存在にとってバランスのとれた進化と統合の道を探究し、道徳的、倫理的、精神的、神秘的側面を育てる。その方法は順序立って、安全かつ自明のものである。

「真理の言葉」330ページ

「ダスカロスの教え」は、バランスのとれた進化統合の道を探究し、道徳的倫理的精神的神秘的側面を育て、教えの内容が体系的安全かつ自明であるところを高く評価している。では、気持ちをピシッと引き締め! ダスカロスの講義録である「真理の言葉」を、1章から順を追って読み解いてゆきたい。

↑ のであるが、、、ダスカロス用語 に慣れていないひとは、第1章の冒頭で挫けてしまうかも、、、(;´Д`A

絶対無限の存在性(私たちが神として理解している)は、それ自身の自己充足性の中にあると述べてきました。これは何も必要としないことを意味しています。自己充足性の的確な本質を理解することは不可能なことです。また、絶対無限の存在性の中には、全なる智恵(まだ、表されていない状態)、全能性と、ご自身ご自身の中に表す意志の喜びがあります。この絶対無限の存在性、すなわち絶対無限の真実というものは、ご自身遍在性の中にあります。場所や空間という感覚はなく、絶対無限の存在性がないところはどこにもないのです。

「真理の言葉」12ページ

はじめて読んだときは「えっ?、なんのこと?」となり、それから約15年、、、いまだによくわかりません。なので、一から学び直すことにしたのであるが、全能の神から攻略するのはハードル高すぎ、、、というわけで、はじめて「ダスカロスの教え」に触れる方は、社会学者であるマルキデス氏の書いた「メッセンジャー」をおススメしたい(注:続刊はダスカロスの許可なく出版され、諸々の誤解を生む内容となっている)。

では、がんばってを説明してみよう。

ダスカロスは (絶対存在、絶対無限の存在、全能の神、父なる神)の特徴として、下記のようなものを挙げている。

絶対無限の存在性
自己充足性
意志の喜び
全なる愛全なる智恵全なる力
全能性
超知性
遍在性
多重性
生命
バイブレーション

絶対無限の存在」(長いのでシンプルにと呼ぶ)は、神自身神自身を現し、あらゆるものを創造しながら、必要とするものは一切ない完全に自己充足した存在。で、“” は自身に無数の神に似た “永遠の存在たち” (の中に 大天使たち や 大天使的人間 が含まれる)を有し(多重性)、“” と、“” に共鳴する “永遠の存在たち” の 意志の喜び から放射される マインド によって、 存在の世界 ……つまり、「永遠に存在しながら、同時に一時的にも存在する部分も含むすべてのものが存在する多様な世界」を顕現している。

以上、“” についてざっくり要約してみた。

じぶんの場合、これでほぼオッケーである。そもそも、制限の多い人間の思考と言葉で全能の神説明できるわけないし、幼少時から “” の存在に疑念を持ったことは一度もないので、「神さまサンキュー、きょうもありがと♬」ってノリで済んでしまう(^^;

わたしの疑問は、“” よりのものにある。

幼少時のわたしは、「空を飛んだり、なんでも考えたことを実体化できる」と信じていた。ほどなく「そんなことはできない」と知ったのであるが……それでも「諦めずトライすればできる」と思って高いところから飛び降りたりとかしていた。が、どう足掻いても「無理」とわかったとき、じぶんを否定するようになった。

ところが、「ダスカロスの教え」は、わたしが「あり得ない」と否定した信念を肯定した。実証的かつ論理的に非物質界エーテルなどの仕組みを教えてもらえ、3次元では飛べないがの中……つまり、サイキカル界 や ノエティカル界 では、自由に空を飛んでいることを思い出させてくれたのだ。そして、感情と思考がつくる エレメンタル は、「なんでも考えたことを実体化できる」という信念の正しさも証明した。さらに、かつてのわたしの「どうしてできないの?」に対する、ほぼ完ぺきな回答も得られたのである。

エゴとしての自己 (注:ここでいう エゴはエゴイズムではない) を開花させていない場合、7次元にいる “永遠の存在たち” のようなマインドの放射とそれによる創造創造エーテル の利用)はできないのである……永遠の存在たちが創った世界の内側で、日々与えられる一定量の「マインド」(の中に エーテル・バイタリティー も含まれる)を使い、許された範囲の「自由意志」を行使して、限定的な「創造力」を発揮するのみ……というわけで、3次元において エゴとしての自己 を開花させていないじぶんは、3次元の物理法則の枠から出られないのである。

マインド は、“” および “永遠の存在たち” の 意志の喜び を通じて放射され、あらゆるものになれるスーパーな素材。そして、意志の喜びについては、それを “” に対応させてダスカロスは説明している。

私たちは、顕現させる意志の喜びと比較することができます。それはです。生命です。もし、神聖なる、そしてあらゆるものを顕現化するがないとしたら、生命が現れることはありません。生命という2つの言葉は、同義語です。

さて、光について分かってきましたが、光にはまだがありません。実際、私たちは光自身や光の色を見ることはできません。しかし、光がプリズムを通ると、赤、紫、青、緑、黄色の光として分光され、初めて光をとして見ることができます。

神聖なるとは、絶対無限の存在におけるこれら永遠の存在たちの本質なのです。光には色がないと言いましたが、しかしこれらの永遠の存在たちは彼ら自身のを表すことになります。このことが、これら永遠の存在たちを 大天使の階級 に分類します。なぜそうなるのでしょうか? どのようにして分類されるのでしょうか? その答えは誰も知りません。彼ら自身も答えを知らないのです。彼らに「あなたはどうしてミカエルなのですか? また、あなたはどうしてラファエルなのですか?」と尋ねたとき、彼らから返ってきた質問は「あなたはどうして私たちの違いを理解できるのですか?」というものでした。彼らは彼ら自身の間に、何も違いを見ることができないのです。しかし、私たちは人間の観点から、その違いを見ることができるのです。このように、大天使は自分たちを大天使の階級に分類しているのです。一つひとつの階級は、その役割を完全にやり遂げ、宇宙を創造するために互いにつながり協力し合っています。ノエティックステート超ノエティックステート では、ミカエルラファエルを区別することができません。そこで彼らは全員同じで、類似した、色のない白なのです。彼らが次元を下りてくると、それぞれの色を得ることになります。

「真理の言葉」13‐14ページ

旧約聖書、創世記第1章 の「光あれ」が 意志の喜び ……それによって 存在の世界 が創られたならば、私たちの住む地球3次元(物質界)もまた神と永遠の存在たちの意志顕現であり、地球の自然物理現象の中にも正しく神と永遠の存在たちの意志(働き)が投影されているということになる。

西洋占星術について

わたしは天体人間精神に及ぼす影響に興味があり、それを西洋占星術で読み解くことを「趣味」にしている。

「趣味」なので、さほど凝ったことも、プロっぽいこともやっておらず、特定の先生に師事して学んだこともない。一般的な解釈に頼らず好き勝手にやってるので、いろいろ「変」だと思う、、、が、じぶんのやり方を簡単にいうと、出生時の天体配置(ホロスコープ)を、現在のパーソナリティー の基本パターンとみて、ジオセントリックを4次元的なパーソナリティー、ヘリオセントリックを5次元的なパーソナリティーを知る手掛かりとして使うというものである。

リーディングには恒星も活用していて、ジオではアングルおよびノードに絡む恒星、ヘリオでは惑星とコンジャンクションする恒星を重点的に観ている。なぜ恒星を重視するのかというと、恒星が自ら「」を放つものであるから……で、恒星を、永遠の存在たち意志の喜び3次元における表現と見做している。

惑星恒星には、「照らされるもの」と「自ら輝くもの」という決定的な差異がある。それは「分離の次元における自己」と「ワンネスの次元における自己」ともいうべき差異であって、わたしは恒星6次元(ノエティック・ステート)に対応させ、「恒星」(バイブレーション)を「人間の が有する光線」(個別化された自己性)として捉えている。

「肉眼でみえる恒星=人間の目にとして認識される恒星」は約4300個(主な恒星についてはリスト化)あり、恒星多様性6次元(ノエティック・ステート)に存在する人間の(6次元の自己)の多様性の 多重性)の表現と考えている。で、「今世のじぶんに縁のある恒星(複数ある)」=「今世において発揮される光線の種類と特徴」を知るツール として、ホロスコープを活用しているのだ。

さて、ここで疑問がひとつ。

それは、恒星寿命があるということ……

恒星が「」(意志の喜び)というの特性を有しながら、永遠に存在できないのは何故なのか? それについて自問してみたところ、恒星の放つ「」の本質は永遠であるが、分離の次元(3~5次元)に反映された段階で限りあるものとなる……という回答になった。また、別の考えもあって、6次元にあるひとつの7次元(コーザル・ステート)にシフトし、絶対存在である神との一体化(テオーシス)に至ると、恒星は3~5次元的に認知できなくなる or 超新星爆発などを起こして寿命を迎えるというもの。

わたしは「銀河中心」は7次元、「恒星」は6次元、「惑星系(恒星の重力により複数の天体が公転している構造)」は5次元、「個々の惑星とその周囲をめぐる衛星」は4次元に、「霊-エゴ-存在」である人間の 自己意識 をアンカリングする構造体であるとみている。ダスカロスは占いなどの迷信的で、エゴイズムを増長させやすい行為は容認しないが、存在の世界のあらゆるものに神が宿るという “真理” を論拠にした、天体とその配置が持つ象徴性影響力の探究を、頭ごなしに否定はしない……はず……と思うので占星術について書いているが……正統ダスカロス派(?)の皆さんには、いろいろ怪しくみえてしまうだろう (;´Д`A…

ダスカロスのサークル(いまは娘のパナヨッタさんが指導されているのだろうか?)は、いまも世界各地にあるらしい。

わたしは2009年か2010年、東京で開催された ハラランボス 氏の講義に1回だけ参加したが、それ以外でダスカロス関係のグループにかかわったことはない。今後も、独りで地味にやってゆく予定である。が、逐一意味を説明するのが面倒な用語を、ほとんど丸写しでネットに上げている のはさすがにマズイかも?……と感じる(権利者から指摘を受けた場合は謝罪し、削除します)。が、“真理” に著作権はあるのかという観点からすれば、イエスもヨハネもダスカロスも、笑ってスルーしてくださるのではなかろうかと……仄かな期待を抱いている。

さて、本題に戻ろう。

永遠の存在たちが、大天使の階級 に分類されるということはつまり、永遠の存在たち6次元(ノエティック・ステート)および7次元(コーザル・ステート)の管理者……ということになる。ダスカロスが、ノエティック・ステートや超ノエティック・ステート (6次元)では、ミカエルとラファエルを区別することができませんというのは、6次元という非分離次元の「一体性」を意味しているだろう。大天使に違い見出すのは、分離次元にいる人間の特徴であり、それは大天使だけでなく、人間に対しても「あのひとはわたしと違う」と区別することにも表出している。

差異を欲して世界を創り、そこに神の分霊である人間を住まわせたのだろうか? その違い、その区別が、世界と人間を不幸にしたとしても、それによる経験が不幸に勝るギフトとなると信じ、この世界を創ったのであろうか?

神さま、そうなのですか?

とはいえ、放蕩には嫌気がさしました、、、そろそろあなたの家に帰りたいです。