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【ダスカロスの教えに学ぶ10】真理、生命、愛について(「真理の言葉」第3章より)

ダスカロス は真理に関する学びを、彼自身の個人的な経験から得ていた。

真理とは何でしょうか? そしてその真理へどのようにして近づけるのでしょうか

私はこの課題が大変に難しいものであることを認めざるを得ません。私はこの課題について個人的に信じていることを出来る限り簡単な表現で話してみます。私が話そうとしていることは学問からのことではありません。これらは東西に拘わらず、書籍や学派・体系からのものでもありません。もちろん、私はたくさん学びました。書籍はガイドとして有効かもしれませんが、それ以上の何ものでもありません。私が話すことは、私の個人的な経験からのものです。

「真理の言葉」45ページ、太字化はNoelが実施

そして、いまは誰でも真理を知り得る時代になったという。

古代ギリシャ哲学、エジプト哲学、インド哲学などがあり、それらはすべて大変な深みを示しています。これらはすべて、真理への道です。キリスト教や、他の体系や宗教において、神話化の方法がよく取られました。これは素人による利用を回避するためで、真理隠すようにしてきたからです。現在はすべてが変わりました。真理とは存在しているもので、必ずあるものであり、すべての人々に帰属する財産なのです。人間は現在、自分たちの責任に向き合うことができます。さらに、科学が進歩しています。たくさんの町を一瞬のうちに、破壊することのできる原子物理学者もいます。危機は今ここにあるのです。

ですから、現代真理の探究者は、過去神秘主義者と異なり、もはや偉大な真理を神話で隠す必要がなくなったのです。誰かが真実の実体へ分け入り搾取し、その力が同胞たちに対して悪用されるのではないかという恐怖から解放されたのです。それより、私は、同胞たちを騙し搾取する他の多くの方法手段を危惧しています。例えば、武器について考えてください。

「真理の言葉」46‐47ページ、太字化はNoelが実施

昔は、真理を人々に教えてはいけない時代があったのです。古代エジプト時代でも、僧侶たちが人々に真理を教えると死刑になっていたのです。しかし今は、このようなエソテリックティーチング(内的な教え)を通して普通の人が真理を学べる時代になりました。エソテリックティーチングはとてものあるもので、正しく使わないと危険です。自分の利益のために人を利用したり、だますことができるからです。

また現代では、超能力を持ちたいと思う人がたくさんいますが、そういう能力があるかないかで人を評価するのは間違いです。超能力は黒魔術の人でも持っています。ただそれだけです。人間は エゴイズム をなくすことがいちばん大事で、奇跡を起こす必要はありません。エゴイズムがなくてがあればそれで充分で、それ以上何も要りません。

ハリー・ランバート著「私は何のために生きているのか?」280‐281ページ
太字化はNoelが実施

イマココにある切実な危機として、人類社会を蝕んでいる エゴイズム欲望-思考型エレメンタル)……それが逆説的に、エゴイズムから人類を救い出す 意識の目覚め を促してもいる。

真理の教えに耳を傾けよう。

真理という言葉はありますが、真理とは何でしょうか? 今まで誰かが何か真理について私たちに話してくれましたか? 親愛なるジョシュア(Noel註:イエス・キリストの人間としての名前)は、「私は道であり真理であり命である」と言いました(Noel註:ヨハネ福音書14章6節)。これら三つは、同意語で、そして彼は「私である」と言いました。そして、使徒であり伝道者である ヨハネ(ヨハナン)は、キリストロゴス について、「その光はまことの光で世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ福音書1章9節)といっています。結果として、この光、すなわち人間一人ひとりの中にある “自己認識” が、であり、真理であり、なのです。

しかし、それをどのようにして見つけ出すのでしょうか? どこから始めたらよいのでしょうか? どの真理を見つけるのでしょうか? 真理とは何でしょうか? 三次元の世界、すなわち世俗的な世界であり、私たちが今生きている世界では、真理を明らかにすることは不可能なのです。私たちは “相対的な真理” しか把握することはできません。しかし、それは真理ではありません。近年、伝統的科学が認識し始め、反物質 について学んでいる世界、すなわち四次元五次元の世界で真理を見つけることができるでしょうか? 四次元五次元の世界でも、真理の探究者は再び “相対的な真理” を見つけることになります。それはもっと輝いていますが、“相対的な真理” にすぎません。

真理はどこにあるのでしょうか? 真理とは何でしょうか? 人間はどのようにして真理へ近づくことができるのでしょうか? 真理は人間にとって、どのように有益なのでしょうか? 親愛なるキリストであるジョシュアは、明確に「あなたたちは真理を知り真理があなたたちを自由にする」と述べています。真理は何から私たちを自由にするのでしょうか? 私たちは奴隷で、真理が私たちを自由にする唯一の手段なのでしょうか? はい、その通りです。真理を知ることだけが、私たちの幻想や不幸から、私たちが活動する暗い混沌から、そして憎悪や無知から私たちを解放してくれるのです。

「真理の言葉」47‐48ページ、一部の太字化はNoelが実施

「真理の探究者」は、分離の次元(3~5次元)のさまざまな現象を注意深く観察し、そこに相対的な真理を見出してゆく。

例えば、「じぶんのが何らかの物体を固体認識するのはなぜか?」という疑問に対し、ダスカロスは次のように答える。それは「じぶんの手と物体の振動数密度がほぼ同じだから」……で、同じ手でもソレが物体より振動数が高く、密度の薄い エーテル の手ならば、物体を固体とは認識しないエーテルの手は、物体が気体液体になったかのように中をすり抜ける(4種のエーテルについては こちらの記事で説明)。

科学がいうところの「物質の状態」は、真理と相反してはいない。

現象真理を区別するポイントは「普遍性」なのだ。

例えば、人間のパーソナリティーは各個バラバラで、ひとりの人間のパーソナリティーから人類全体のパーソナリティーの共通性(法則性)を導き出すことはできない。が、人間の 自己認識性 はすべての人間に共通し、それは「時間-空間-場所」に制約された肉体やパーソナリティーを超えて働く法則であり、現象を比較することで明確になる相対的な真理といえる。

現象の裏で働く 原因法則 を知れば、この世に奇跡と呼ばれるようなものは何一つないとわかってくる。

生命とは偉大な真理である……とダスカロスはいう。

では、現象としてではなく、「原因としての生命” とは何でしょうか? 私たちは人生に関する限り、真実を見ることができます。その人生の特徴とは何でしょうか? 真理の探究者は、“生命” を見つけ出すために、そしてそれを知るために「原因の世界」へ分け入っていきます。あなたは “生命” が何だと思いますか? この “生命” を「全なる愛」と関係付けることができるのでしょうか?


さて、あなたは “” をどのように考えていますか? それは多くの場合、単なる性的欲望の表現としての魅力と幻想以上の何ものでもありません。これは “” ではなく、情熱です。私たちは “生命” を「全なる愛」と一緒にすることができるのでしょうか? 「全なる愛」とは何でしょうか?

私たちは、この世界の中で生命現象経験しています。私たちは一羽の小さな鳥を見て、学ぶことができます。それを手に乗せて、その心臓の鼓動を感じることができます。試したことがありますか? もし経験がなければ、何か小動物を手に取り、手で抱きしめて撫でて、その心臓の鼓動に耳をかたむけてみましょう。この心臓の鼓動を、何だと感じますか? これもであり、です。では、誰のでしょうか? 「全なる愛」はどこにでもあります。あなたの周りを探して、動物界や植物界で起きていることを観察してみましょう。真理の探究者は、すべての物事に注意を払っています。彼はすべてを学び、すべてを探究し、宇宙にある「全なる智恵」の前でひざまずくことでしょう。彼は真理生命と「全なる愛」を理解しています。“” という表現は、あなたを混乱させる可能性があります。私はその言葉をあまり使いません。なぜなら、私たちの世俗的な脳では把握することができず、実際の「絶対存在」の意味を狭めてしまうからです。

真理はどこにあるのでしょう? 真理はあなたのにあります。また、それはあなたの周りどこにでもあります。それはあなたのにあります。最も親愛なるジョシュアは、的確に述べています。「天の国はあなた方の内にある」(Noel註:ルカ福音書17章21節) それを発見しましょう。真理の探究者は、それを見つける努力を重ねてきました。多くの者が、それを発見しました。彼らはあなた方が発見できるように手助けをする準備ができているのです。

「真理の言葉」58‐59ページ、一部の太字化はNoelが実施

あらゆるものを観察しよう。

そして、現象の奥にある 原因法則 についてじぶんに問いかけてみよう。例えば、19世紀に作られた青いガラスコップ……

深く透明な青」に惹かれて買った。

ガラスはもとをだどれば二酸化ケイ素(SiO2)……それは地殻を形成する鉱物の一種で、他の物質と同様に大天使が マインド からそれを創った……が、人間大天使のように鉱物を創造することはできない。人間は土の中のケイ砂を集め、熱を加えてガラスをつくる。ガラスの色はどうやって出すのだろう?……ネットで検索してみると、さまざまな金属酸化物を混ぜてつくる ことがわかった。なるほど……ミカエルの赤は金、ラファエルの紫はマンガン、ガブリエルの青はコバルト……ならばキリストロゴスはガラスを透過する光……で、わたしはこのコバルトブルーの器にガブリエルを感じていたのか……と自問自答するのはひじょうに楽しい。絶対無限の存在の 自己充足性 はこんな感じなのかもしれない。

この季節の植物たちがみせる旺盛な生命力

裏山のみごとな緑のグラデーション

植物の中に入り、植物と一体化すると、そこに大天使を感じる……如何なるものからも学ぶことができるとわかると、人生から退屈と失望が消える。ただ、感謝喜びしかない。

無尽蔵なのだ。