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【ダスカロスの教えに学ぶ19】人間が創ったエレメンタルの神々/シンボル・オブ・ライフ(「真理の言葉」第9章および第10章より)

今回は、「真理の言葉」9章および10章の内容を考察する。


人間が創ったエレメンタルの神々

イエスキリストの教えを信じる “真理の探究者” は、絶対無限の存在 には名前や形はなく人間の思考で理解し得るものではないと知っている。

そして、さまざまな名前と形を持つ神々……つまり、人間の思考と感情が創り出した エレメンタル の神々はほんとうの神ではないことも知っている。

は人間が神と呼んでいるものではありません。神という言葉を使うと、絶対存在である神を低く評価することになり、を人間の尺度内に留めることになります。人間はたくさんの神をつくり出してきました。古代ギリシャ人はそれらの神々をデミゴッド(半神半人)と呼んでいました。エジプト人も同様でした。彼らは単純にエレメンタルをつくり出していたのです。

エレメンタルとは何でしょうか? 宇宙には マインド が存在しています。しかし、マインド神ではありません。それは絶対存在であるご自身を  キリストロゴスあるいは聖霊 として表現する時に使われる媒体なのです。絶対存在ご自身をもっと多くの方法で表現されますが、人間には二つの方法しか理解できません。大天使たち 神の表現を理解しています。しかし、人間はそれを知り得ません。私たちが知り得るのは、ロゴス性聖霊性という二つの神の特質だけです。私たちは唯一の神を信じています。それはであり、であり、聖霊なのです。

「真理の言葉」148ページ、一部の太字化はNoelが実施

ダスカロスは、古代エジプト時代転生を鮮明に記憶していた。

何千年も前、その探究において人間は「人間動物との間の関係は何なのか? なぜ人は動物として崇めるのか?」と考え始めました。彼らはそこに誤りを犯していました。古代エジプト人は例えば アヌビス のような動物神として崇拝していました。しかし、それは彼らを満足させるようなものではありませんでした。彼らは一体どうして動物として崇拝するようになったのでしょうか? なぜなら、動物たちが力強く生き、表現していたからです。生命現象の意味を理解する代わりに、彼らは単純に動物たちの姿や形態で認知してしまったのです。これが誤りでした。

ある日一人のヒエロファント(※)の地位にある神官この習慣を止めるべきだと感じた時まで、多くの動物神を崇拝してきました。彼はなぜ太陽が アモンラー として崇められるべきなの自問しました。そして生命について考え、なぜ生きているのか、どのように生きるべきかを考え始めました。アメノフィス四世(アメンホテプ四世)は、超越した意識状態の中で新たな洞察を得ました。彼の甥のコールアモン(Noel註:ダスカロスの過去世の名前)も神官の監督者でしたが、彼と同じ考えで共に多くの動物神、そしてアモンラーの信仰ですら排斥することにしました。彼らは「であり、無限のである」と主張しました。アモンラーの代わりに、捉えようのない無限の存在である 唯一の神アトン を崇拝しました。古代エジプト語でアトンは「捉えようのない」ことを意味しています。アメノフィスは自身に新たな名前「アケナトン」(Ankh-en-Aton)/アンクエンアトン/アトンにより愛された者)を与えました。そして、コール・アモンは「コラトン」(Khor-Aton/コールアトン)として知られるようになりました。

彼らは唯一の神アトンを崇拝するための新たな信仰制度の制定を宣言しました。この唯一の神あらゆるところに存在し、太陽にハートをもたらし、人間や動物にを与えてくれるものです。しかし、世界はまだ受け入れる準備が出来ていませんでした。アモンラー高位神官たち(アモン神官団)、アヌビス他の神々は、彼らの地位や収入を失うことを望みませんでした。そのため、彼らは両者を暗殺しました。コラトンは刺し殺され、そしてアケナトンは毒殺されました。これは真理を明らかにする開拓者にいつも起きてきたことなのです。

古代文明をひも解くと、たとえばアステカやインカやヒンズーの歴史に同様の物語が多々発見されます。アケナトン超越された意識状態エクスタシー)で真理啓示を受け、「私はアトンと共にいる。そして私に話かけている」(超知性 として)と言いました。

 インドの仏陀はどうだったでしょうか? 彼は超越された意識の状態で弟子に言いました。「何年もの間、私はを探してきたが、ついに彼を発見した」。弟子は「師よ、どこにいらっしゃいますか?」と尋ねました。仏陀は「私たちの中におられる」と答えたそうです。

(※)ヒエロファント:古代エジプトや古代ギリシャ時代に、秘教的な教えを書き写し、翻訳・伝達することを幼少より選ばれ訓練された者で、同時に高位聖職者としての能力と地位を与えられた者。

「真理の言葉」131‐133ページ、一部の太字化はNoelが実施

エジプト時代のダスカロスも、イエスと共にいたダスカロスも、彼が教え広めようとした真理拒絶する人々によって殺されてしまった、、、が、彼の直近の転生 では、83年の生涯を穏やかに閉じることができた。

現代社会はかつてのように、真理を学ぶことがリスキーなことではなくなった。人権意識が浸透し、信教や言論の自由が法律によって守られ、多様な価値観が容認されることで、考え方の異なる個人や集団との暴力的な争いを避けられるようになった……というわけで、現代における “真理の探究者”  は、「エレメンタルの神々」および「エレメンタルの神々への信仰」を否定しない。「あなたの信じている神は偽物です」といって批判しない。神ではない「動物神」を崇拝しない……けれど、「動物が持つシンボリックな性質」は有効活用する。例えば、「ライオン」を勇気や力強さの、「蛇」や「鷹」を生命力や智恵のシンボルとして捉えることで、潜在意識 や夢の分析力、エレメンタルのコントロール力を強化する。

ダスカロスは、彼に助けを求めてきた人々の “信仰” が「天使」(思考-欲望型エレメンタル)であれば受容し、「悪魔」(欲望-思考型エレメンタル)であればそれを非活性化し、求められれば(大声で触れ回ることも、強制することもなく)について、以下のように教えた。

私たちにとって、真理の探究の目的とは何でしょうか? 時間を過ごすためのものでしょうか? いいえ、違います。私たちはいろいろな世界や異なった次元やあらゆる宇宙知るために学ばなくてはならないのです。キリストは述べています。「あなたがいるから完全なのであるたとえ天におられる汝の父が完璧であっても」(Noel註:マタイ5章 48節のこと?)と。この言葉は強い説得力をもっていますが、命令とは言えません。そしてキリストは「神は霊である(Noel註:神)を崇拝するものは彼の霊と真理において崇拝しなくてはならない」(ヨハネ4章 24節)とも言っています。なのです。を知ろうとする者は真理において近づかなくてはならないのです。崇拝するということは、“向かって進むこと” を意味しています。

一枚の板にを見ることはできません。もちろん磁気(Noel註:刷り込みエーテル のこと?)を使ってイコンや像に植えつけることはできるかもしれません。これらすべては、人に仕えるもの(Noel註:エレメンタル)なのです。真実においてであり、私たちは真理においてのみに近づくことができるのです。

では、神でないものとは何でしょうか? イコン偶像現象を起こすエレメンタルのように、人間が神であると信じているものは神ではないのです。もちろん、現象は起こり得ることです。しかし、それらは何でしょうか? これらは多くの人々によるある形態や思考への専念と集中の結果であって、
この観念的なものが存在をもたらすのです。しかしこれは自動的に起きてくるため、人々はなぜ起きるのか、どのようにして達成したのか、あるいはそれが人々にどのように仕えるのかを知る余地がありません。このようなエレメンタルは悪魔的で破壊的なものか、あるいは善性をもち有益なものですが、決して神ではありえません

人間がいろいろな神をつくってしまったと言えるのではないでしょうか? それらをつくり出したのが、だと決して言わないで下さい。なぜなら、このことが絶対存在の概念を最小限度に留めてしまうからです。は私たちを創造してはいません。私たちは創造物ではないのです。私たちはなのです。私たちは延長体ぶどうの木の枝)なのです。(Noel註:つまり私たち)は(Noel註:私たちの 自己認識 ではなく)ジョージやマリーという パーソナリティー、そして 肉体サイキカル体ノエティカル体 を創造したのです。

「真理の言葉」157‐158ページ、一部の太字化はNoelが実施

ダスカロスの古代エジプト時代の話は、「シンボルオブライフ」に詳しく書かれている。

この本は入手したまま、長いことお蔵入り状態になっていた、、、その理由は、こちらで書いたもの だけではなく、受け取る準備ができていなかったというのもある。この本の内容は、エゴイズムマインド を誤用する性質)が優勢な状態で触れても無意味……あるいはマイナス要因にもなり得るので、容易には理解できないよう書かれているのだろう。

シンボル・オブ・ライフ、転生における3つのパターン

シンボルオブライフ」(注:カバラの「生命の樹」とは異なる体系)は守護大天使の導きに従い、探究者自身が経験を通じて学んでゆくものなので、Noelが勝手にアレコレ講釈すべきではないと思う……が、「人間形態に投射されたシンボルオブライフ」および「人間の転生過程」について、基本的なところをメモっておきたい。なぜなら、「ダスカロスの教えに学ぶ」シリーズ 終了後にやりたいことに関係するから(具体的なことはおいおい書く予定)。

人間形態に投影されたシンボルオブライフ
ダスカロスの著書にあるものではなくNoel個人が図式化したもの

シンボルオブライフ生命であり、宇宙創造の仕組みであり、神に似せてつくられた人間旧約聖書、創世記1章)の 3つの体 に対応するものである。

センター10は「肉体と物質界」、センターは「サイキカル体とサイキカル界」、センターは「ノエティカル体とノエティカル界」であり、各センターおよびセンターをつなぐパス(路)において “真理の探究者” は、“自己意識を目覚めさせてゆくためのさまざまなワークやレッスンを行う。それが、非分離の次元(センター~センター)および三位一体の神聖なる三角形(センター)に戻るための “” となる。

「永遠の祈り」にある、人間の転生過程について引用しよう。

1991年2月3日:シンボル・オブ・ライフのセッション

Q:亡くなるということと、転生の過程を説明してください。

D(Noel註:ダスカロス):亡くなると、物質世界(センター10)を去り、サイキカル次元(センター)に入ります。そこから聖なる勢力があなたを深い眠りの状態に入れ、あなたはセンター、そこからセンターに行き、そして再び10に降ります。あなたがセンターを通るのは、あなたが思考の人だからです。ここにはマインドとハートがあります。あなたは亡くなった後、センターまで上昇します。あなたは感情を乗り越えていません。あなたは今、寝ている状態で、守護大天使の助けによりセンターに向かっています。十字架の磔を通過しますが、深い睡眠の状態で(Noel註:“自己意識 なく)それを行います。そしてあなたはセンター、さらにまで降りて、再び転生します。

「永遠の祈り」110‐111ページ

これは、潜在意識 レベル(ヤコブの梯子 の第4段階)で生きているひとが肉体の死後、再び物質界に誕生するまでにたどる過程である。

Noelが簡略化して図示したものでダスカロスの著書にはない

十字架の磔” とは、守護大天使に伴われて 自己認識 の視点で行う「転生体験の総括」で、“自己意識 に目覚めていない場合は受動的で眠ったような状態で通過し(サイキカル体 → ノエティカル体という第二の死を迎え)てセンターに行く。そこからセンターに行って、つぎの転生で纏う 一時的パーソナリティー と 3つの体 を得る……ってことはですよ! 下記で訂正した転生サイクルもやっぱアリなのでは?……と気づいてしまった。

ともあれ、話を前に進めよう。

第4段階からひとつ上、第5段階(覚醒しつつある意識)レベルのひとの転生パターンは以下となる。

あなたがもう少し成長して、センター10とセンターで、自己認識(Noel註:“自己意識)を会得するようになると、亡くなった後に自己認識があるを経験し、センターに行き、そして復活に到達します。あなたは本当の自己認識を会得します。そうすると、再びセンター、そしてセンター10に降りてきます。

「永遠の祈り」111ページ
Noelが簡略化して図示したものでダスカロスの著書にはない

ここに書いてある “” と “復活” とは、一時的パーソナリティー に含まれる エゴイズム を完全に死なせる=非活性化することによって達する “自己意識 の覚醒である。それによって一時的パーソナリティーは 永遠のパーソナリティー に融合し、神聖なる計画 におけるじぶんの役割を知った上で、過去世の記憶を失うことなく物質界に転生できるようになる。

この段階から、さらに進化した転生パターンもある。この場合は、センター10の段階で、第6段階の意識(“自己意識)が目覚めていることが必須だ。

より進んだ転生ですと、センターとセンターを通過して、そこからセンターまで行きます(Noel註:第3の死)。あなたがセンターまで行くと、もうセンターそして、センター10まで戻る必要はありません。センターからセンターまで行き、そこから、そしてそこから10まで行くことができます。

センター永遠の人格現在の人格 です。センターはあなたの個性、あなたの ness(Noel註:自己認識 としての自己性)です。センターからまで行くことは不可能で、10から、そしてからという順序で行く必要があります。

センターで、あらゆる種類の意識を会得できますが、スーパー意識(Noel註:“超自己意識 のこと)は会得できません。センターにはあなたの ‐ ness があります。

「永遠の祈り」111‐112ページ
Noelが簡略化して図示したものでダスカロスの著書にはない

センターは「エゴ存在」が 人間のイデア を通過し、「自己認識」となるセンターである。“超自己意識第7段階の意識)はセンター聖なるモナドとしての自己)に属するものゆえ、センターからさらなる高みを目指して登っていかなくてはいけない。

以上3パターンをまとめ、「永遠の祈り」では以下のように説明している。

まずあなたは寝たままで(Noel註:“自己”意識なく)10から、そしてからに行く必要があります。のちに目覚めて(Noel註:“自己”意識を持って)十字架を通りセンターに行き、そして目覚めて戻ります。10から、そしてまで自己意識を持って上がります。そして、本当の 自己認識 を得たら、センターからセンターまで上がることができます。もしそれを望めばです。でなければ、から、そして10に降りてきます。

センターで、あなたは完全なコントロールがあります。物質感情想念マスターしています。あなたは3つの状態(Noel註:肉体、サイキカル体、ノエティカル体)のマスターです。そうなるとあなたはからから、またはからに行けます。実際、望む所はどこにでも行けて、センターでさえ行くことが可能です。

「永遠の祈り」112‐113ページ

センターに達した人間は、物質界に転生する必要がなくなる。ダスカロスが ノエティックステート(6次元)を「転生と転生の間に休みにくる次元」といったのは、3つ目のパターンのことを指していたのだろうか? 「永遠の祈り」に掲載された内容だけでは判断が難しいので、ひとまず保留(2023/11/1追記:“永遠の原子” について書いた記事での推察 が、現段階におけるひとつの結論…かもしれない)

ーーー(2024/2/13追記)ーーー

上述の「センターに達した人間は、物質界に転生する必要がなくなる」という説明は不充分であった。パナヨッタさんの「飛翔の翼」を読み、人間が辿ることができる上昇の路には “右側の路”、“中央の路”、“左側の路” の3つがあり、もっとも主要な上昇ルートとなるのは “中央の路” だということを理解。

Noelが簡略化して図示したものダスカロスパナヨッタさんの著書にはない

ーーー(追記おわり)ーーー

それと、シンボルオブライフにある十字架について補足したい。

十字架は、サイキカル体とノエティカル体をつなぐ太陽神経叢ハートセンターの間にあり、そこで “真理の探究者” はエゴイズム(「人-悪魔」)を “” にする(非活性化する)。じぶんがどのようなエゴイズムを持っているかについては、センター10からセンターに意識的にアプローチする “ヘラクレスの12の労役” によって悟る……と、ここまでにしておく。「シンボル・オブ・ライフ」を中途半端な理解で、軽々しく講釈してはいけないと思うので……

ともあれダスカロスは、わたしの歩く道を照らすであり、頼もしい先生であることは確かだ。

彼は約3350年前、エジプトのヒエロファントとして秘儀的な真理の教えをすでに身に付けていた。その後、いくつかの転生(その一つに プラトン がある)を経て、イエスのもっとも年若い弟子ヤスナイとしてエッセネ派の家系に誕生した。そのときの転生については、「ジョシュア・イマヌエル キリスト」に詳しく記されている。

興味のある方は読んでみてください。