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風の時代だからこそ、”ケセラセラ(Que sera, sera)”を。


『ケセラセラ』、という言葉を1度は耳にしたことがあるかと思います。

最近では、かの有名な歌い手さんたちのヒット曲の中にもありますね。

米国映画 ヒッチコック監督の「知りすぎていた男」の主題歌のタイトルから言葉は広がり、昭和32年(1957)ごろの流行語にもなったそうです。

ケセラセラは、スペイン語の「Que sera, sera」から派生した表現とされ、「なるようになるさ(Whatever will be, will be)」という意味。

現代では、”前向きにいこうよ”、と背中を押してくれる言葉の代名詞の一つとなっているようです。

今日は、そんな「ケセラセラ」という言葉と、占星術の星々たちのエネルギー、そして、今回は、私の過去の経験と想いもブレンドして、今、モヤモヤしている方の心を、ほんの少しでも楽になる『星導べの時間」をお届けできたらと思います。


■「ケセラセラ」という言葉との出会い

◎「もう、限界…」。毎日がブルーマンデー。

この言葉と出会ったのは、12年程前のことだったと思います。

ケセラセラという言葉自体は、ずっと以前から知ってはいましたが、その言葉を胸に刻み、深く自分の人生の中へ、じっくりと浸透させていくことになったのは、この4,5年かもしれません。

その言葉は、12年前の私には、どうしても”受け入れがたい”と感じていた言葉。

それを言われると、何故か腹立たしく、馬鹿にされているようにも感じたものでした。

当時の『私』は、本当に心身共に疲れ、カラッカラに”枯れている” 状態。

「枯れ女」寸前。

その頃は、銀行に勤めていた時期で、大学を卒業後の最初の業務であった貿易実務の知識を活かして、外国為替課で自分のスキルを使って必死で頑張っている時でした。

自分の知識やスキルを使えている事に喜びと誇りを感じてはいましたが、銀行という閉鎖的な縦社会の組織、何もかもが「グレー」に見えている世界で、誰も、何も信じられなくなっていた時。

不正防止の為、同僚、上司、職場の人間同士が「監視」し合あい、防犯上の監視カメラで見張られているような日々。

いつの間にか、この職場に来てから『人間不信』が加速し、自分の”言葉”と”感情”が、海の底に沈んで行っていることにすら、気づいていませんでした。

自分の経験、知識、スキルは活かせる。
でも、誰も、信じられない。

課内での足の引っ張り合い、アピール合戦、担当業務の取り合い・・・、そして極めつけが、直属の上司からの梯子外し…。

人間の「醜さ」をまざまざと見せつけられた時間。

『もう、限界……。』

ですが、担当のお客様から頂く「助かるよ」、「アドバイスを聞けて良かった」、「ありがとう」、「また、宜しくね」などの数々の言葉が、私の心を仕事へと向かわせてくれていました。

本当に素敵なお客様ばかりで、恵まれていたなと感謝しかありません。

そして、グレーどころか、暗闇の中に落ちていくような毎日の中、夜はうなされ、血尿や蕁麻疹と、いよいよ身体も悲鳴を上げ始めていました。

この時期は、頭痛など以外でも、アスピリンを常用していたものです。

学生時代は、陸上部であったため、メンタル面には自信があったのですが、流石に、淀んだ水の渦に飲み込まれ、沈んでいくことに、抗う事が出来ませんでした。


後に、占星術で過去を振り返ると、山羊座に「破壊と再生」の星である冥王星が、深い人間関係、組織を司る8ハウスの部屋に入り、私の生命力の太陽にもの凄いエネルギーを送っていた時期。

冥王星は「破壊」をもたらすような出来事を経験させる星ではありますが、その「破壊」は、私にとって、「”その生き方(=働き方)”は、本当に心から望むものか?」と、心の奥底を突き抜ける強烈なエネルギーを放ち、本来の生き方へと引き戻そうとしていたようです。


もし、この時の経験がなければ、今も、本来の自分(魂)をないがしろにしたまま、人生を”暗闇の中”で過ごしていたかもしれません。

そして、もし、この時期に占星術の知識があったなら、もう少し、上手に人生を歩んでいけたのではないかとも感じます。

◎導かれるように

そんなある日、藁をもすがる思いで、ある方のもとを訪れました。

たまたまネットで見つけた、「名前」からその人を鑑定するというもの。

その頃は、兎に角、「楽になりたい」「何かに頼りたい」との思いしかなく…。自分を見失っていました。

その場所は、仏具屋さん。

鳥肌が立ちました。
導かれている…とも感じました。

変な意味ではなく、私は、小さい頃から、お仏壇に手を合わせる生活が日常でしたので、ご先祖様の存在を、この時は、本当に強く感じました。

出てこられたのは、150㎝程の小柄で、色白の上品な雰囲気の70代の女性。


お会いした瞬間、涙があふれ出したことを覚えています。

一杯、一杯でしたから。


先生は、私の顔を見るなり、

「あぁ、あなた、お水が足りない。そう、お水、お水よ。
ペットボトルのお水でいいかしら。直ぐに持ってくるわね。」と。

占星術では、水星座が多い私の性質を、瞬殺で見抜かれたようです。

そう、この先生との出会いで、私は今、こうして文章を綴れているのです。


「ケセラセラ」。

先生が、いつも別れ際に仰っていた言葉。

その当時は、風のように軽く、火のように、いい加減に思えた言葉が、
今は、私の宝物となっています。


先生は、確かに不思議な力をお持ちでしたが、商売人でもある為、地に足をついて「人生」を歩むことの大切さ、心の持ち方を教えて頂いたと実感します。

私の中の醜い「エゴ」を見抜き、広い視野を持つこと、自律すること、自分を信じて「幸せ」な人生を送ることを願って下さっていたと感じます。

一杯一杯の時って、自分のことしか見えていないものですしね。


相手の言動が、実は、「自分の写し鏡かもしれない」、という事さえも気づかない。

職場や家族、友人、その他の人間関係での不調和は、どちらか一方が全面的に悪いことはないものです。

当時の私は、「お客様のため」、「自分のスキルアップのため」と、何を言われても笑顔で、フラットな立場を装い、自分の「正義」を貫こうとしていた姿が、実は、周囲の人々をイライラさせていたのかもしれません。


そして一番は、そこは「私がいるべき場所では、無かった」のだと、星たちは、必死で導いてくれていたようです。

その「大組織」から離れたことで、本当の自分を取り戻す旅が、始まっていきました。


◎「ケセラセラ」は、心のお守り

「ケセラセラ」は、”なるようになるさ”と、日常で相手を励ます時に使われる言葉。

ですが、目の前が真っ暗な状態では、「ケセラセラ」は、「ケラケラ?」、「オケラ?」みたいに聞こえ(※あくまで私の体感です。)ふざけているようで、腹立たしくなるかもしれません。

”なるようになるさ~”、をほんの少し丁寧に訳して、「物ごとは勝手にいいように進む」、「肩の力を抜けば、きっと、上手くいく」などの意味合いに解釈して、ポジティブに唱えることで、暗闇に、小さな光が差し込んでくるのではと、今は素直に思えます。

停止しているような状況の中で、自分を守ろうとする「戦闘モード」の時は、自分を空の上から眺めてみる。

人生は、自分の想い通りにいかない時もある。
その時間は、必ず、何かの学びの時だと。


◎出生図にある木星のエネルギーを活かして

「ケセラセラ」は占星術では、木星のような大らかなエネルギーだと感じます。

出生図にある木星の星座や場所は、その人が大前提として「善い」と思える世界を表し、良識や道徳心、良き思想や理想のようなもの。

何もかもが信じられなくなった時、自分の中にある木星=信念は何なのか、と問いかけて。

もし、その「信念(=心の軸)」と、今、目の前にある現実が大きく食い違っていたならば、「ケセラセラ」と唱えて、自分の信じる道を進んでいくのみです。

風の時代と呼ばれる、昨今。

天災、人災、政治経済の混乱、物価高騰など、人知の及ばない、想定を超えるような時代の荒波の中で、自分軸が大きく揺らぐこともあることでしょう。


風の時代だからこそ「ケセラセラ」と心で唱えて。


「大丈夫! 何とかなるさ」の楽観的思考半分、

「どうぞ、私の中の”真実”と繋がらせてください」と、導きも求めて。


新しい風が吹いてきて、ふっ、と心を軽やかにし、可能性に向かって一歩、踏み出していけることでしょう。

『ケセラセラ』を、自分を信じる勇気と共に、あなたに。

💎今日も最後まで、『星導べの時間」にお付き合いいただき、有難うございました。





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