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発達特性の子育て中ママたちと考えたいホントの「自己肯定感」ってなんだ

自己肯定感のチェックなるものが子どもの頃から学校で実施されていた。

「自分のことが好きか」といった質問事項に回答していくのだが、常に「他人からどう見られるか」ばかりが気になって行動していた私は、高学年ともなると「先生から良く見られる方」を意識して回答していたと記憶している。

当時、私の中ではあからさまに「自分が嫌いだと回答すると『心配な子』とラベリングされるのを避けるため、
また「謙遜すること=何よりも素晴らしいこと」「自分が好き=ナルシスト」という状態が入り混じって、

『自分のことは嫌いじゃないけど好きでもない』という微妙なニュアンスが伝わることを願って回答していた記憶がある。

もちろんそんなこと、先生には全く届いていないし、ただの私の独りよがりなのだが。


しかし、ママたちと話していると、自己肯定感というものは過去の私だけでなく、皆から誤解を受けている言葉なのだなと思う。

自己肯定感を究極的に高めよう、とは言うつもりはない。

だけど、発達特性のある子どもを育てていて、悩んでいるママたちにこの「自己肯定感」がなければ、子育てがとにかくしんどく堪えがたいものになりやすい。

誰かとわが子を比較してばかりで、自分やわが子を肯定することができなかったような私だけど、自己肯定感を高める努力をしてから子育ては楽になった。


だから自己肯定感って結構、いいもんですよと伝えたいのだが、齟齬が生じないようにしたいので、

ここでは私の過去の「自己肯定感」に対する勘違いと、ママたちと話しているうちに語られる「自己肯定感」を記載していく。

ほんとの「自己肯定感」って結局なんだ?を考えていきたい。


自己肯定感が高い=他者から評価されるような実績や知識、経験が必要だ

自己肯定感を育てるのに、素晴らしい実績を積み上げ、成し遂げて、他人から賞賛を受けたり、素晴らしい評価をされること、は必要ではない。

だけど、自己肯定感を育てるにあたって上記のようなことが必要だと思っている人は少なくない。

これは、自分と誰かを比較してその人より自分は優れているという結果から自分を評価する「社会的自己肯定感」を重視している人が多いからだと思う。

発達特性をもつお子さんは”周囲と比較した時に”「うまくいかない」と感じる場面に遭遇しやすい。

そんなとき、ママは苦手をどうにか克服させて、わが子の自己肯定感を下げないようにと、あれこれ先回りしてフォローしたり、大げさに褒めまくったり…

そうである、私も常々やっていた。

だけど、大人も子どもも本当に育てたいのは、
「社会的自己肯定感」ではなく、「絶対的自己肯定感」である。

絶対的自己肯定感とは、自分と誰かを比較した結果ではなく、ありのままの自分を受け入れ『こんな自分もOK!』と思えること、である。

社会的自己肯定感は環境や状況が変わると崩れやすいし、人への見下しが強くなりやすい。

本来伸ばしたい絶対的自己肯定感とは、ベツモノだ。

自己肯定感が高い=自己評価が高い

自己肯定感とはまた”ベツモノ”の「自己評価」という言葉がある。

自己評価は自分に対する評価のことなので、
「私は美しい」「俺は優秀」といったものを指す。

一方で、自己肯定感が高いというのは
「私は美しくはないけど、それはそれでいい」
「俺は優秀ではないけど、別に問題ない」と捉える。


つまり、自己肯定感が高い=自己評価が高い ではない。



だけど、自己肯定感が高く、自己評価が高い、はありえる。(逆もしかり)

ちなみに私は自己評価はそこそこに高いけど、自己肯定感がとてつもなく低いが、それに無自覚な人間だった。

学校では自分は優等生でいい子ちゃんで通っているから、その期待に反しないような生き方をしなければいけない、と無意識に自分を常に律して真面目に生きていた。

自分というものを理解していないので、自分の能力を実際より高く見積もり、うまくいかない現実に直面した時に

「おかしいな、私はもっと家事も育児も本当はうまくこなせるはずなのに」
「もっと笑顔で子育てできるはずなのに」
「夫のことを最大限に理解してあげられる良い妻でいられるはずなのに」

と現実と理想の自分を比較して焦りを感じる。落ち込む。

よってとても苦しい。


自己評価の話になりそうなのでやめるが、とにかくベツモノであることだけわかっていただきたい。

自己肯定感が高い状態とは自信過剰の状態である。

自己評価の話と繋がるのだが、自己肯定感が高い=「自信過剰」に見られないかを心配する人が多いので、別に記載することにする。

これは私も過去に感じていたことだが、自己肯定感が高いというのは、自信過剰のちょっと調子に乗った人…というイメージが先行している人が少なくない。

自信過剰とは自分の能力を実際より高く見積もっている(思い込み)ことによって、批判を受け入れられなかったり、他人に自分の言いたいことを押し付けたりしてしまう状態を指す。

だけど、自己肯定感が高いことと、自信過剰であることはこれまた、ベツモノだ。

自信過剰な人は誰かに褒められたり認められたりすることで自分を保とうとするが、自己肯定感が高い人は文字通り「自己で肯定」できる。


自己肯定感が高いとは常にポジティブである。

自己肯定感が高いと、ポジティブだと感じられる自分にも、ネガティブだと感じられる自分にもOKを出せる。

つまり、自己肯定感が高いからといって別にずっとポジティブなわけではない。

時には暗くじめじめと、鬱々とした考えをもつ私もいる。
いい。それも私だから。

それが自己肯定感が高いということ。


自己肯定感が高い=ただただ自分を認める言葉を伝え続けるだけで高まる。

自己肯定感が高い状態というのは、よく「ありのままの自分を受け入れられること」と表現される。

もう少し私の頭の中にある自己肯定感を詳しく話すと
「自分が思う「好き」「大切にしたいもの」が他人とは違うかもしれないけど、それはそれでOK、
自分が悲しいと思うとき、自分が怒りを感じる時、他人は同じように感じないかもしれないけどそれはそれでOK、
と自分を認められること」


なんだけど、あまりにも長いので、人に一言で説明するとき憚られる。

もう少し短い言葉で語りたい。

という感じで、私も分かりやすいと思って「ありのままの自分を受け入れられること」という表現で伝えてきた。
だが、これだと真意がいまいち伝わっていないかもしれないと最近思うようになってきた。


自己肯定感は確かに「ありのままの自分を認め肯定すること」である。

だけど、それはただ「私は素晴らしい」「私はそのままでいい」とひたすらに唱え続けるだけでは、高まらない側面がある。

頑張って自分にただ言い聞かせたって
これまで散々人と比較して生きてきた私たちだ。

心の中では

「どこが素晴らしいんだよ」
「どこがそのままでいいんだよ」
と矛盾を感じ続けることが起こる。

自己肯定感が低いということは、どこかしら嫌いだったり受け入れがたい自分がいるはずだ。


だから自分のことを肯定するには

嫌いだったり受け入れられない自分について、それがどんなところなのかちゃんと認識する必要がある。

何者か分からない自分や、自分の中でどうしても認められない自分がいるのに、そんな自分を閉じ込めて、見て見ぬふりだけをして「私は素晴らしい」「私はこれでいい」なんて心から言うのはとても難しい。

「子どもにイライラしてしまう自分」
「発達特性を受け入れられない自分」
「夫に文句や愚痴ばかり言う自分」

これらもリアルな自分だと認めた上で、成長・努力をしていく。

つまり、自己肯定感が高い人は「ダメだと思う自分も「自分だ」と認めつつ、自分がホントに大切にしたいもの、望むものに向かって行動できる」。






あの素晴らしい誰かになることはできません。
あなたはあなたでしかありません。

他所を見て自分は間違いか、正しいかなんてそんなことは考える必要、ほんとはない。

あなたは他の誰かのまねっこでもないあなたの人生を、自分らしく生きていっていい。

それができるようになったら、自己肯定感を確かに感じられる。





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