見出し画像

「どんぐりと山猫」と戦争

はじめに・・・
ネタバレになるだろうが、そこはお許しいただきたい。
本番を楽しみに、という方は、ここで読むのをやめても構わない。
この記事は、宮澤賢治「どんぐりと山猫」に対して侮辱している内容だと感じ取られてしまう可能性を秘めている。
もし、これを読んだみなさんが、そう感じてしまったならば、それは私の責任である。遠慮なくコメントで、匿名ではなく、個人の主張として発言をしていただきたい。


望まれるはがき、望まれない手紙

物語は1通の「はがき」から始まる。
この「はがき」が物語の始まりであり、終わりでもある。
主人公、かねた一郎の元に届く「裁判への出頭通知書」
彼は大はしゃぎをして、通知を受け取ったことを喜んだ。
そして裁判を解決した一郎は名誉判事となり、今後の裁判への再出頭をお願いされる。しかしはがきに書く文言を巡った発言によって(確定はしていないが)、物語の最後、2度とこのはがきが届かなかった、という事実が知らされる。
望まれた「はがき」が届かなかったのである。
この「はがき」については、8月27日に開催した「読む会」にて少し話題になった。
「もし、自分の家に、このはがきが届いたら、裁判に出頭するか」
おもしろいことに、YESとNOは半々に分かれた。
怖いもの見たさに行くという人や、興味のない広告チラシと同じようにゴミ箱にすぐ捨てるだろうという人がいた。千差万別な意見により考えを巡らせることとなった。
「望まれない文書」とは何か。
すぐ浮かんだのが「赤紙」であった。

聞こえてきた戦争の足音

ど、れ、み、ふぁ、そ、ら、し
幼少期から習ってきた西洋音階
耳馴染みな音達とは違う
聞きなれない戦争の足音
遠い国の話にしては
この国で聞いたことのある話のよう
どってこどってこどってこ
どっててどっててどっててど
話は違えど作者は同じ
この戦争の筋書きは誰が書いたものなのか
楽しい楽しいお伽噺の続きは
悲しい悲しい歴史の始まりか

「赤紙」

なんとなくの勘として、「赤紙」の話かもしれないと思い、無理やり「どんぐりと山猫」と「赤紙」を近づけようとしてみた。
それはなかなかに難しく、どうしても「無理やり」「理由」を付け加えることができなかった。
それでもマーチや戦時中に流行した曲を聴いたり、「赤紙」にまつわるドキュメンタリー番組を見たりした。
元々、「失われてしまったものへの回顧」というテーマを掲げて制作を始めていた。故人との対話や、衰退してしまった林業とのつながりを確かめるように。
だからある意味「失われた赤紙」と考えることもできたのだが、それだとあまりにも作品そのものと戦争を結びつけてしまっているな、と感じた。
答えが出ないまま、悶々としていた時に、突然あるニュースが日常に飛び込んできた。

「部分的動員令」による理由づけ

この発令によって「赤紙」の「無理やり」な「理由」がついた。
「どんぐりと山猫」と戦争。
「赤紙」は1899年から届き始めていた。
僕の記憶に根強いのは、太平洋戦争の時の臨時招集の「赤紙」だ。
だから、今回はこちらの赤紙をイメージして、作品を制作している。
「赤紙」が再び届いたら・・・。
そう仮定してみた。望んでいたはがきがこず、望んでいない手紙がやってくる。言葉の恐ろしさ、夢のような望んだ世界と望まない現実の世界、楽しかった記憶、不思議な体験。
動員されたら、僕の手元からこれらがこぼれ落ちていくのだろう。
ちなみに、太平洋戦争は1941年から始まっている。
「どんぐりと山猫」が収められている「注文の多い料理店」の発刊は1924年である。発刊された17年後に太平洋戦争が始まっている。赤紙が届き始めるのも、その頃だ。
なんとなくの勘だが、20年後にはもしかしたら赤紙が届いているかもしれない。そんな不安が働いている。今回は「どんぐりと山猫」で少しの幸せを夢に見ようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?