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【実体験】中国・深センで活躍するITエンジニア 〜海外ノマドワーカーから経営者を目指す〜

はじめに

今回のゲストは、新しい働き方で注目されている「海外ノマドワーカー」として中国・深センを中心にご活躍の荒木大地さんです!

Shenzhen Fan(深セン ファン)という現地のリアルな情報を発信するサイトを運営して4年目の大地さん。深センの現地情報をタイムリーに日本語で紹介してくださるこちらのサイトは、私もいつもお世話になっております。

今回のインタビューでは、プログラマーとしてのキャリア形成や、フリーランスとしての働き方を実現した経緯、これまでの今後の展望などを詳しくお伺いしました。

キーワードは「中国ビジネス」「プログラマー」「IT x 海外ノマドワーク」

気になる人はぜひ読んでねー!

SEになるための進路選択と新卒入社

フリーランスでプログラミングの仕事をしながら、Shenzhen Fanの運営をしている荒木といいます。2015年から上海に1年、その後は深センに住んでいます。

プログラマーになろうと決めたのは、SE養成(システムエンジニア)の3年制専門学校に進学した時です。
今でこそIT系の仕事は一般的に周知されていますが、当時はマイナーで、家族も「パソコンの仕事? どんなもの?」といった反応でした。
でも、専門的な技能を身につけたいと思い、大学ではなく専門学校を選びました。当時の僕のイメージでは、大学で勉強する内容ってなんだかぼんやりしていて、特に実用的なITスキルに関しては、大学じゃないかなと思いました。
今振り返ってみると、この進路選択はメリットもデメリットもありました。

まず大きなメリットは、当時通っていた専門学校は就職率がほぼ100%だったことと、採用フローがゆるかったことです。
プログラマーの仕事はたくさんあって、面接1回くらいで内定をもらえたような覚えがあります。まさにITバブルの頃で、いい時代だったなと思います。

新卒で入社したのはソフトウェアの会社で、出向先の会社の新しいシステムを次々と開発していくスタイルのため、会社で内勤というよりは、出向先のチームメンバーと一緒に仕事をすることがほとんどでした。実際のところ自社に戻ることは月に一度くらいしかありません。

あとこれは、IT系あるあるなんですが、プロジェクトベースでチームで仕事をするので、プロジェクトが終わるとチームは解散して、また別のプロジェクトで新たなチームで一緒に仕事をします。
プロジェクトの期間はさまざまで、短ければ3ヶ月ほど、長ければ2年以上の長期にわたる場合もありました。

プロジェクトやチームが変わるたびに仕事内容や役割も少しずつ違うので、フットワークが軽いというか、会社に所属したまま転職したような気分になります。

あの頃の経験と出会いが、今の自分に繋がっているように感じます。
いろんな人と交流をすることで、学ぶことがたくさんありました。プログラマーとしての技術のほかにも、仕事の進め方とか、優秀な人の仕事ぶりをそばで見ているのも貴重な経験でした。

最近は新卒でフリーランスとして生計を立てることを選ぶ人もいるけど、僕は新卒はできるなら一度は会社に所属してみるのもいいと思います。

仕事に限ったことではないですが、何事も基礎固めや土台を作ることを大事にしています。
僕にとっては、その土台が会社勤めで得た経験や人脈といったもので、フリーランスとして仕事ができる現状を築くことができました。

新卒で勤めた会社から、2社ほど同じような業務内容の会社に転職もしました。
プログラマーとしての仕事で「やってくれないか」とオファーをもらう形で、同じチームで働いたことがある人から呼ばれるとか、人とのつながりで転職をするケースでした。

上海出身の中国人の社長のもとで働いたこともありました。2年ほどでしょうか。
日本語ペラペラで、社員と同じように仕事をする社長でした。
この会社では、日本で就職したいという中国の学生を積極的に受け入れたりしていていました。働き者で人情味あふれる社長を見ていて、中国人に対するイメージが変わりました。
今思えば、この時の経験が中国に行くことを決めた潜在的なきっかけだったのかもしれません。

それから、日本での最後の会社の出向先であるPanasonicでも働いていました。開業したばかりのスカイツリーのふもとのオフィスビルの中の、オシャレなオフィスが懐かしいです。

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海外での生活、そして初めてのフリーランス業

その頃からなんとなく、「外に出てみたい」とか「海外に行ってみたい」という気持ちが大きくなりました。
最後の会社で10年近く働いた頃に、仕事を辞めて海外で暮らしてみようと決めました。
しばらくは貯金で生活して、仕事は現地で探してみよう、と思いきって退職しました。

さて、外に出ようとは決めたものの、どこに出ようかと検討しました。北米やヨーロッパも考えましたが、ちょっと遠いなと。
そして決めた行き先が、友人が住んでいた上海でした。こうして2015年に1年間、上海で暮らしました。

実際に上海に行ってみて、プログラマーの仕事を探したんですが、現地での就職はできませんでした。
というのも、僕の最終学歴が大卒ではないため、就労ビザ取得の要件に足りなかったからです。ここで専門学校を選んだデメリットがひとつあったなと感じます。
海外就職の就労ビザの要件は、大卒以上とされている国がほとんどであるため、僕が海外で就労ビザ取得は難しいという現実に直面しました。

もちろん大卒でなくても、語学力などいくつかの要件は必要であるものの就職は可能なので、実際上海の現地日系企業の採用面接を受けたこともありました。しかし、大抵は週6日レベルで働かなければならず非常に忙しい環境で、それだと日本のフルタイムで働いている時と大差ないことになるので現地就職は諦めました。

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さあどうしたものかと考え始めた頃に、日本のスタートアップ企業から仕事の依頼を受けました。
これも、以前一緒に働いたことのある人からの依頼でした。上海で暮らし始めて半年ほど経過した時のことです。

こうして初めて完全リモートワークで、上海にいながらITエンジニアとして仕事を受注しました。当時は日本のスタートアップ企業の社員という形でしたが、ここで完全なリモートワークという形ができあがり、その後友人の紹介で別の会社の社内システムを個人で請け負う運びになりました。

当時は香港企業のプロジェクトにも携わっておりマルチで業務を行なっていましたが、厳密に言うとフリーランスとしての仕事は上記の社内システムを個人で請け負った時からで、その後の主な収入源になりました。

ちなみに、「海外に行きたい」と思ってから中国に行くまでに、語学に関してはどうだったかと言うと。
けっこう前に、中国語をオンラインレッスンで勉強してみましたが、当時の仕事が忙しすぎて、帰宅してから勉強しても全然身につきませんでした。なので、中国語はほとんどできないまま上海に行きました。
その代わりというのもなんですが、英語は日常レベルで話せるように鍛えました。中国語学習の経験をふまえて、机に向かって勉強するよりも実践が向いてるかもしれないと思ったんです。
そして考えたのが、外国人のルームメイトと生活をすること。日本で2年くらい、アメリカ人、フランス人、チェコ人と共同生活を通して、英語でコミュニケーションがとれるくらいには会話に慣れました。
その結果、上海でも中国人より欧米人の友達のほうが増えました。

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上海での生活が1年経った頃、友達から「これから深センが盛り上がるらしいよ」とすすめられました。上海での生活は便利で楽しいのですが、どこか他のところにも行きたいな、と思っていた矢先だったので、軽い気持ちで深センに行ってみました。

最初に旅行で行ってみて、すぐに深センが気に入りました。まずは気候ですね。
南国の陽気なムードが上海とは全然違いました。上海の厳しい寒さと違って、冬もあんまり寒くないし。上海より住みやすいと思って、深センに引っ越しました。

さらに友達にすすめられたのが、これから深センの時代が来るから、深センのローカル情報を日本語で発信するメディアを作ればヒットする、と。
こうしてできたのがShenzhen Fanです。

その友達のアイデアでサイト構築を進めていきましたが、その彼は後に深センで起業し、今は新規事業立ち上げのため海南島に移住しています。海外では日本よりもフットワークが軽い人と出会う率が高く、同時に自分自身もフットワークがより軽くなりますね。

自社メディア運営で仕事と報酬を受ける側から創出する側へ

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(2019年9月17日 香港中文大学内で講演した時の様子。当時は香港デモ真っ只中とはいえエスカレートする直前のまだ平和的な抗議活動の時期でした)

これまではフリーランスでの仕事を受注することで生計を立てていたのですが、自分でメディアを運営することで、これまでとは違う働き方をしてみたいと思うようになりました。

深センの最新イベント情報を集めて記事にしたり、日本人向けの飲食店のプロモーションをしたり、本業のかたわらでコツコツと更新していました。収益化までは遠かったですが、幸い、フリーランスの仕事のほうは途切れることがなかったので、収入は安定していました。

こうして深センでの生活とShenzhen Fanのサイト運営が4年目に入ったところで、大きな決断をします。
Shenzhen Fanのサイト運営に専念して、仕事のメインに据えることです。

ただ単に仕事をするだけなら、これまでのフリーランスの形でもいいと思うんですが、これはあくまで仕事を受けて、お金をもらう側の立場なんです。
これまで働き続けてきた期間はずっとこの立場だったところから、Shenzhen Fanという独自メディアの運営をメインにすることで、仕事やお金をもらう立場から創出する立場になることに挑戦することに決めました。

これまでの自分の技術、知識、経験を最大限に活かして、雇用や収入を自分から生み出してゆき、新たなステップを踏み出したい人の助けになることを目指します。

これまでは長い準備期間というか、なかなか収益化できるところまでは至りませんでした。そのためメインの収入はフリーランスとして受注しながら、コンテンツの充実のために記事を更新していました。

そしていよいよ、 Shenzhen Fanのサイト運営を収益化するために、現地企業との提携など具体的な話を詰めていたところで、この新型コロナウイルス感染拡大の影響で大打撃を受けました。
主な取引先である深センの日系飲食店は、現地の日本人や日本からの出張者がメインの客層であるため、それが全部なくなったんですね。
お店自体が大変な状況で、広告出稿や提携どころではなくなりました。

こうしてのShenzhen Fanの大きな変革は方向転換を余儀なくされたのですが、それはそれで仕方がないというか、新たな発見やチャンスも見つけることができました。
ユーザーに親しまれる深センの現地情報を発信しながら、当初の目標である「仕事と報酬を自ら創出する」という働き方を実現するために継続していこうと思います。

【実体験】海外ノマドワーカーになるために

海外ノマドワーカー、プログラマー、フリーランスといったキーワードは、時間や場所にとらわれない自由な働き方として注目されていますが、実際にやってみると苦労や悩みもあります。

まず大前提として、会社で集中して働く7時間と好きなカフェで自由裁量で働く7時間は濃度が全然違います。さらに会社なら退勤時間になったら職場を離れますが(そうじゃない人もいますが)、フリーランスは昼でも夜でも好きなだけ働けるので、自己管理を徹底しないと際限なく働き続けてしまうパターンに陥ってしまいます。

IT関連の仕事を探すのにクラウドソーシングのサイトで案件を探すという方法がありますが、自分のイメージをお話ししますと経験を積むために少し試してみるのはいいかもしれません。しかし、玉石混合で多種多様な案件があるため、仕事をきちんと見極めないと超絶ブラックなものを掴んでしまうリスクがあると感じてます。

フリーランス業の理想は予算が潤沢な企業から受注することです。大手企業や景気のいい会社から仕事を受けると、同じ仕事内容でも待遇や単価がぐんと上がります。

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業務未経験の方は、働き方や仕事の受注の仕方を肌感覚で学ぶためにも、まずは会社に短期間でも(アルバイトやインターンの形であっても)所属して仕事をすることをオススメします。
僕も実際に、長い会社員時代で得た知識や経験、そして人とのつながりで今のフリーランスの仕事があると思っています。

会社で基本的な技術や働き方を学んだり、外部のプロジェクトに参加して人とのつながりが広がると、人に呼んでもらえるようになります。
いちばん理想なのは、「誰かいい人いないかな?」とチームのメンバーを探すときに「そういえばアイツいたよね」と声をかけてもらえること。
フリーランスの働き方や仕事の探し方はいろんな人の意見がありますが、僕の意見はこういう人とのつながりが大事だと思っています。

そのために必要なスキルはずばり「総合力」です。

プログラマーとしての技術がどれだけ優れていても、コミュニケーションが下手だったり時間にルーズだったりすれば、「誰かいい人いないかな?」というシーンで呼ばれることはないでしょう。
専門的な技術や知識があるのはもちろん、人柄や仕事への姿勢など、総合的な能力がフリーランスとして独立するには大事な要素だと思っています。

もちろん今の時代はコミュニケーションが下手でも前述のクラウドソーシングサイトがありますので、スキルさえあればそこから仕事を請けて場所問わずフリーランスで活躍できるかもしれません。

友人のフリーランスエンジニアは「UPTORY」(https://corp.uptory.jp)というエンジニアマッチングサービスで案件を請けていました。このサービスはzoomとSlackでクライアントと話を進める形式で非常時(炎上時)にはサポートもしてくれるそうで、安心して仕事ができるとのこと。
チームで行動することもあり、そこから人脈も広がるようです。しかしやはりコミュニケーション力など専門的な技術以外のスキルはあったほうがいいですね。


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職種に限らず、人脈を広げていく働き方の面白いところは、「リープフロッグ」(カエル飛び)と言われるような、いきなり新たなステージに飛ぶことができる点です。

本来この言葉はスマートフォンなど新しい技術によって新興国で新しいサービスが一気に普及していく時などに用いられますが、様々な人との関わり合いと自分の仕事やキャリアとの掛け合わせが、予期せぬおもしろいところへ連れていってくれることもあります。

現在は中国再入国が難しく、日本に滞在していますが、深センにいなくてもShenzhen Fanの運営ができるということを実感しました。とはいえ、深センの生の現地情報・一次情報を発信するのは現地にいないと難しいので早く戻りたいとは思いますが。

日本でも、深センでも、世界のどこでもShenzhen Fanを軸にして、雇用と報酬を創出するノマドワークに挑戦しようと思います。


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