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清廉缺落3:迷夢

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第三楽章:迷夢


B棟3階研究室、西日が照らす昼下がり、脳裏に浮かぶ虚像。その場しのぎの西日が熱帯魚の行く末を照らした。屋台の金魚すくいなんかで連れ帰る廉価な小魚類なんかと違い、これらの熱帯魚に至っては教授が手塩にかけた傑作であることは無知な僕にも分かる。愛でる対象、ペットの如き扱いだとかそういったものではなく、ただ単に彼らには価値があるのだ。

 傷一つ見られない血統書付きの猫のように丁寧に育てあげれば、彼らの売買だけで生活がやりくり出来るレベルまで到達可能だという。その先、自分たちがどういった役回りなのか彼らは理解していないのだろうが、水槽に埋め込まれて揺らめく彼らは未来を嘱望されている。世界のどこかで対価を引き換えに、煌びやかな身体をしならせて。その軌跡が、紫陽花から滴る雫みたいだと思った。



「おい」
「は?」
「目。死んでんぞ」
「…」



 早瀬はiPadさえも入ってなさそうな小さな鞄を机へと投げた。僕のようにブランドへの特段なる知識のない者でもすぐに分かる有名ブランドのそれは、廉価なテーブルに投げられた所為でカチャンと安っぽい音を立てた。鞄ごときに同情した。

 早瀬は偶に、この世の条理不条理を語ろうとする。

 それは老人の長々と無意味なスピーチなどとは異なり、瞳の奥や、呼吸でそれらを伝えようとする。いや、伝えたいだなんてはじめから思ってないのかもしれない。恐らく何処の誰よりも綺麗で、澄んだ心で、誑かしてもいないのに勝手に寄ってくる者の相手をしてやる、極悪善者だ。偽善よりも理に適っている。

 教授の個人的思考を百分間聞き続けたって、明日の糧にはならない。今日を丁寧に生きる方法も、信号で引っかからずに進む方法だって、有益な情報を得ることは出来ていない。ならば、なぜ、僕達はこうも利口に百分の拷問に耐えるのか。それは保身だ。言い訳をひとつでも増やすべく、僕達は此処にいるのだ。




 ゼミの課題を潰すべく、未だ使いこなせないMacのアイコンを凝視しながら齧り付いたコンビニのパンは小麦が舌をなじるような味がした。国産小麦使用と言われようとも、外国産との違いなんて舌で選別出来やしない。うんと腕を伸ばすと稲妻が走るが如く腕の付け根から指先までの神経に響くので硬い椅子に背を預け、一度だけと目を閉じた。向かいの部屋から有用性皆無の講義が垂れ流しになっていて、明日も明後日も続く摩耗に投影されていた。パソコンのスクリーンにも有用性無きレポートが打ち出されている。僕が生み出したそれにも猶予はないらしい。

 夢は微睡みの縁で、瞼の裏でみるものだ。そう決まっている。だが、あの日は脳裏に直接焼きつけられ、香り、或いは感触、音といった非現実的な現象まで投影されてしまっていた。

 あれは夢だと名付けるのが正解かと聞かれても頷けない。

 だが、僕が知っているその中でそれ以外のキーワードが甚だ浮かばない。Wikipediaで調べてもそれはそうだという結論にしか落ち着かない。ならばと夢に出てきた人への感情を検索すれば、知人を夢で見た際に愛を錯覚する現象のみがヒットした。掴んだ手には感触がこびりつこうとも、見ず知らずの象形、それは虚妄でしかないと自覚する。幻想だときちんと表記されている。その事実を噛み潰す度虚しくなる。靄に霞むごとく浮かぶ虚像の奥に、女は居た。確実に君にあのとき出会ったのに、僕の存在している世界に君はいないわけで、パラレルワールドなのではとレポートそっちのけで調査するも結論は変わらない。微睡みの淵で触れた感触へは二度と戻れない。





 帰宅後に諸々の事を済ませても脳内を逡巡するのはあの虚像。あの作り出した夜のなかで、僕は、閃光が走ったような鮮烈な痛みを経て、山手線から吐き出されてきた人々の群れへと身を投げ、 すり減った踵をコンクリートに擦らせて歩いた。渋谷駅を出てすぐの看板(渋谷憲章シート広告というらしい)を横目に、青ガエル跡地のあたりで佇んでいたのが彼女との初めのワンシーンである。佇んでいたというより、茫然と立ち尽くしていたという表現の方が近いだろうか。僕は、彼女の細い手首を迷わず掴み、そして走り抜けた。骨ばった手首、絡めた指先の感触が朽ちることなく残るこの掌と、それ以来俺の中に棲みついた君。そしてその瞬間から、僕は、この存在の、虚しき輪郭を深く愛するようになった。君に出会ってしまったことで、僕は果てなき世界を知った。愛はどこにも向かえないことを体内へと刻みこむ。

 大学、あるいは昼夜に機能し得る街を歩いてこそいれば、整った顔の異性に出会うことも容易い。女側からしてこちらがどこまで冴えない男に見えているかは想像に容易いが、こちらこそ失礼に値することを前提として、あの、感覚がこびり付いている、掴んだはずの手首から伝わる体温だけが愛しく思えてしまうのだ。通り過ぎてゆく美しい者を横目にしても、俺はこの、脳内に粛々と棲みつく君にしか愛を感じられなくなっていた。なんならば、もはや大学では同性の早瀬とばかり口を効くので僕が一方的な歪んだ愛を擦り付けていると錯覚する者も学内には―――云わばこの物語を読む者の中にも無論存在していようが、生憎そういった結末は用意されていない。そもそも生憎という言葉こそが合理的ではなかろうか。生きたナマモノの憎しみ、それ以上もそれ以下でもない短絡的で真っ当な言葉にはそうそうお目にかかれない。

 虚妄であろうが紛い物の摩天楼であろうと想うだけなら無償だろうと、彼女を最初こそ脳の片隅、あるいは目先に断片的に置いていただけであった。なのに、時を経ると僕の中で生きる虚妄に憎しみを込めても、この虚妄としてはこちら側への立派な感情などあるはずがないし、それはスマホやテレビのスクリーンでしか出会えない俳優やアイドルにガラス越しで話しかけるよりももっと馬鹿げているというのも、自分自身が出来ないのだから君の存在が他に理解可能な者は存在しないと分かっていても、僕でさえ推察さえもできない。生み出したのさえ僕ではないのだから、それは正しくもあるが。

 理解容易い断片的記憶でなくとも、この抜けきった炭酸のように狂おしく、愛しさを孕んでしまうというのは、甚だ可笑しな話である。己の中で存在し続け、愛を込めれば込めるほど脳髄から心臓、血液、爪の先まで、雁字搦めに纏うがごとく埋め込まれてゆく。ああそうだ、新月のように、そこに居るのに姿を眩ませる狡賢くも暗く光る月。

 ネットで仕入れた安物のまるいシーリングライトが呑気に光る。絞込みで【明日までにお届け】を検索したら一番上に表示されたので慌てて注文したものの明るさ調節の出来ない欠陥品。そんな代物でさえ彼女と相対する満月にすら思えた。

 普段ならこんな馬鹿げた具現を吐きはしないが、その淡き輪郭が浮かべば自己陶酔的思考さえ逡巡してしまう。こんなに僕はナルシストだったか。欲するものなど君にはないのだろうと思うと哀しい。寒さ、暑さ、快楽、あらゆる欲のすべてを君の代わりに自分でなにか欲さねばならない。僕だって、その輪郭、存在さえ此処にあればそれ以外欲求に変わるものなんてないのに、それさえさせてくれないなんてそれ以上のものなど無いのだろうか。だからまた、僕は君の代わりにリモコンを握りしめてエアコンの温度を上げる。それでも冷気が下へ下へと潜り込む。冷えきった空気には結果対応出来ず、炭酸が抜けきって涙とおなじ程度の温度まで生温くなったサイダーは、角砂糖を積み上げたみたいに角がなくなってしまっていた。



 この有り得ないほど理深い世界でニュートラルに藻掻く、その渦中にあるほどに体内を浸食していく狂おしき苦しみ。なんにも無駄なことなんて考えずに自分を愛し、近くにある存在を愛せる者で居られたらそれで十分楽なはずなのに、もう、それじゃ満足不可な状態まで来てしまっていて、罰を受けられればもういっそ楽なのに、そんな悪に認定して貰えるようなものでもないからずっと辛いのだ。

 裁ける愛を対価とするなら、僕は一体、どうやって不純物を濾過して生きていけば良いのだろうか。



 例えばのことだが、シンと黙りこくった空間にたったひとり放り投げられたとして、そこでは否応なく裂く様に秒針が空気も読まず粛々と煩く鳴り響いたとして、1秒につき進むことの出来るコマなど限られているというのだから、大それた罪なんてそうそう表面化できるものではないのかもしれない。

 渋谷や原宿に集まるアイドルファンも秋葉原に集まるアニメファンも、そこに対象が存在するに決まっている。それに比べて俺にとっては、象られたその輪郭こそが愛しき偶像だなんて誰が信じるだろうか。偶像崇拝の象徴、オタク文化というものは日本で生まれたというが、それらは近年許容されつつ未だ遠巻きに後ろ指を指す者も後を絶たない。そういった対象、文化の方が、生で愛すことの出来る確実なそれとして僕にはよっぽど耀きがあるようにさえ思えた。

 僕の今置かれている状況―――目の前に無い残像を、虚像を、根底から愛しているというこの状況というのは、市販の頭痛薬をコップになみなみ注いだミネラルウォーターで胃の奥へ流し込むつもりで飲み干すもそれさえ成せず、艶のなく白い二粒は喉につかえ、そこからはもう水を飲んでも飲んでもこびり付いた違和感や僅かなる痛みは喉奥に象られ、のたうち回るほどの苦しさにも追い込まれはしない。愛しさという非合理的な方法では誰も裁くことができないということ。やがて呼吸が浅くなり、息がつまるからこのつかえた喉に留まる異物まで掻き抱いた。

 感触がないのに感覚があるって地獄だ。

 薬は頭が痛くなってきて、酷くなる前に飲むのがお決まりだという。痛みの物質が生成される前に胃に到達していなければならないからだ。だけど、予防策として喉へと流し込もうなら、服用を過剰にすることはご法度で許されることではないと釘を刺される。痛みなんていつでもあって、僕はそれに従っただけなのに、何故なのだろうか。

 ぬるく残った炭酸は半分ほどシンクへと流し、下水へと流されていく、愈々汚水となった最後の一滴を見届けてから握っていた500mlのペットボトルを潰し、ゴミ箱へと投げ捨てるも失敗し、怠惰な心地でまたソファへと体を預ける。視線の先には止まってしまった短針に長針が重なり静寂が広がる。壁にかけた安物のアナログクロックは一週間に一度ほど、度々単三電池を四本も取り替える必要がある。人間なんて利益のない世界で粗雑に生きる象徴ではあるが、この時計までそれを放棄するのだと言うのだから哀しくなってくる。安価で仕入れた意味などありはしないと、最初からわかっていたけれど。

 投げ出されたスマホのロックを素早く解除する。赤いバッジに「3」としおらしく表記されたLINEのアプリをタップし、【週末限定!ハンバーグランチ割引クーポン】【お荷物お届けのお知らせ 受け取り日時や場所をご指定ください】【新商品入荷!人気ブランドとのコラボレーション必見】と上から並んだ新規メッセージを開封、下の二つは結局削除して、行きつけのファミレスのハンバーグランチ割引クーポンだけ残した。学食よりはマシな、月初に通うファミレス。三日前に届いた早瀬からの課題を教えろとの脅迫文は既読無視していたが、今更「知るか」とだけ返し、寝返りをうった。スマホのバッテリーの限界は刻一刻と近付いていく。

 弾かれるようにしてソファから起き上がり、食べ終わったカップ麺の冷えきった汁を飲み干してやると毒が回るように胃がもたれ、今更効き始めた暖房に包まれた刹那、鉛のように身体が沈み、そして瞼が同時にひどく重くなってそこで現実から遮断された。生産性のないバラエティ番組はやがて、酷似した番組へと推移していたことに気付く余地さえ与えられることはなく。




× × ×




  スマホの充電が2桁を切っていた。

 充電のケーブルを手繰り寄せ、まだ現実と微睡みの狭間をスクラッチの如く擦った眼で画面を確認すると時刻は一限の開始時刻20分前だった。諦めを余儀なくされた時刻よりも、赤く染まったバッテリーマークの方がよっぽど気になった。僕達の心電図は、稲妻に裂かれたスマートフォンのバッテリーマークが投影されている。

 同じくバッテリーの無くなったパソコンをベッドに放り投げ、タブレットに表示されたままのやりかけの課題を睨みながら、食べ終わったカップ麺の空をシンクに暴投、スマートフォンをポケットに滑り込ませたのを確認して無我夢中で駅まで自転車を走らせた。その甲斐あって、地下鉄への滑り込みにも成功した。立ち漕ぎで一気に風を切り、漫画のワンシーンを彷彿とさせる、ビュオンという音を切りつつ舗装されたコンクリートを颯爽と走り去ったものだから通りすがりの人にはもう何度も睨まれ、それを気遣っても居られないほど時間は押し、スマホのバッテリーは無いわけで、投げるようにして自転車を駐輪場に停め、それから電光掲示板に流れる次回の到着時刻を確認して階段を駆け上がる。飛び乗った地下鉄の優先エリア付近に立つ人からも疎ましい目で見られた。

 こんなに充電を気にしているくせにモバイルチャージャーを忘れて仕方なく講義室のコンセントを拝借するしかないなんて、自らの愚直な闘争本能を真っ当に否定したくなる。明日は雨でも降ればいい。

 こちらとしてはスマホのすり減った充電で頭がいっぱいだが、冬だというのに汗だくのまましゃがみ込みコンセントに向かう様が不審だったようで、冷たい視線を一身に受けた。講義室のチープなアナログ時計は馬鹿正直で呆れる。



 冷酷極まりない視線に紛れて、僕を呼びかける声が降ってくる。不審扱いする者に紛れて、それでも懲りず声をかけてくるのは此奴しかいない。昨日は昼食後、食べ終えた空の容器を粗雑に集め、ガチャンと大きな音を立て、「ごちそーさま」と一言添え、学食職員に空のトレイを預けて即帰ってしまった丁寧不躾な奴。僕はというと、少しは愛想良くせねば、と、そうは思ったものの、ほとんど皿に残したままのカツカレーの残骸を職員に突きつける無礼を気にやまぬことが出来ず、無駄な思考が逡巡して、結局逃げるようにして返却口へと置いた。早瀬は愛想の良い雰囲気ではないが、人を知らぬ間に底なし沼へと引きずり込む、呪いのような存在だなと思う。


「なにやってんの、お前」
「え」
「こんなとこでしゃがみこんでんの傍から見たらやべーけど」
「あァ、……充電。コンセント借りたくて」
「ほお」
「…昨日寝落ちしたんだよ」
「あ、女?」
「馬鹿言うな」
「どーだか」



 無意味な含み笑いが腑に落ちなかったが、充電に成功したから良しとする。大体、寝落ちでオンナに繋がる輩なんてお前くらいだよ。此奴がたった一言放った「どーだか」は、気だるそうにも聞こえたし、面白がっているようにも聞いて取れた。早瀬は多面体のようなところがあり、今日感じた感覚が二度と出会うことのできない万華鏡のモチーフみたいに刹那的である。いわゆる稀有な天然記念物程度の人間で、掴みどころもない。遠くから見れば大抵のものが綺麗に見えると、はるか昔何かの小説で読んだそれを僕は座右の銘のように慈しんでいたが、早瀬を見ているとそれは戯言でしかないと気付かされる。彼のような人間は遠くで見ようが近くで見ようが変わらない。ただ、今日の姿は明日には消えてしまう。カルトめいた異質物で、崇高に思えた微低音は、僕が生涯かけて捜索中の遺失物から生まれた。


「講義中スマホ無しで何すんの」
「は?講義受ける以外ないだろ」


 聞いてきたくせに、やはり早瀬は長机に突っ伏した。興味ないなら最初から聞くなよというテンプレートは恐らく機能しない。無駄が徒爾にイコーリングされない此奴は羨ましいなと思う。


「てか寝るな」
「寝不足」
「夜中中女連れ回してんのは誰だよ」


 女を連れ回して寝不足だと突っ伏したまま答える早瀬に、「夜遅くまでごくろーさま」と重ねて態とらしいイヤミを付け加えると、一呼吸の間を置いて予想外の言葉が返ってきた。


「何が?至って真面目だよ」


 余りに予想に反した言葉だったので凝視するも目が合うことは無かった。至って真面目。真面目とは。本気であること。誠実なこと。嘘でないこと。本質。あるいは真価――僕の心した真面目なんてたかが使えない奴の短絡的な不条理である。ならば、それなら、此奴がそう話すのさえもあながち間違ってないのかもしれない。早瀬はよほど、此処にいる、教授の自慢話をコツコツとパソコンに打ち込む輩より、この後塾のバイトで生徒を合格に導くよりマジメなのである。本気で結婚をゼンテイとしたオツキアイなんて彼の辞書にあるはずがないし、それは準じて僕の辞書にもない。ここが唯一xとyが交わる頂点な気がする。チャイムは既に二度目を鳴らし終え、レジュメが配られている。厭味を文壇に盛り込んだ教授の逸話は口頭のみならず、この紙切れにまで散りばめられている。


 数ヶ月前、横断歩道の端で早瀬を見た。隣の素知らぬ女は煙草を咥えた早瀬になにか言いたそうだったので眺めていると、男が女の口元に銜えるそれに重ねた。此奴にとっては手持ち花火の火を分け与えるに相当する行為でしかなかったのだろうが、女の恍惚が手に取るように伝播した。ギブアンドテイクの関係を具現したみたいに小さく燃える二本の煙草。この世を諦めたみたいに面倒な表情で煙を吐く男、ありきたりな一瞬に恍惚を覚えた女。

 自分自身をコントロールするための手段として、反しては相手の性《さが》を流すものとして、それは至って真面目な行為なのかもしれない。女を順当に、入国審査みたいに適当相当な相手をすることも、彼にとっては最大限の方法なのだ。奉仕ではなく方法。あるいは手段。結果的にはそれがあらゆる引鉄にこそなっていても、彼は責任を取ろとしない。予めセキニンなんて課せられてはいないからだ。勝手に産み落とした愛の機嫌は自分で取るべきだ。


「大切なモノはさ」
「ん?」
「ひと握りに限るんだよ」


 畳み掛けるようにして言葉を続けるから返事の代わりに瞬きをする。こうしてたまに、極めて稀に正論を翳すから意図がわからない。イチタスイチはニでしかないなどといった普遍的な事象には何一つ逆らわないくせに、例えば月が綺麗だとか、兎が寂しがり屋なのは偽情報らしいなどといった、そういった馬鹿馬鹿しい絵空事を剥がれ落ちた壁の塗料みたいに落とし始めそうな危うさもある。早瀬が大切に扱う崇高なモノが本当に存在することさえ俄に信じ難いが、振り翳した正論の回収は間違いなく発言者の責務であろう。


「所詮いつか切れるんだから」
「…だから拘んないわけだ」
「まあ、そうとも言える」


 そうとも言える。所詮いつか切れるという彼の言葉の意味はなんとなくでしか理解できなかった。だが、拘るものって何か意味を成すんだろうか。早瀬は不条理に理性が執着することを理解していた。愛し、注ぎ、それが過干渉と化し、軈てもうどうしようも無いとこまで膨らんで、それは自らの収集をつけることができない。だから形にしなきゃいいのだと、それを喉元に飼い続けることがどんなに薄情でも、僕らは生きるしかない。






× × ×


 今、僕はなけなしの生活費を稼ぐことよりも渋谷の真ん中で現実とあの世界の狭間を調整することの方が重要なのではないかと思わずにはいられないのです。貴方の世界とこの不躾不埒の根音のごとき世界はピッチが合わなければ倍音を作り出すことさえできない。

 先日、新宿東口を出て暫く進み、歌舞伎町ドン・キホーテ前の横断歩道待ちをしていたら、ホストの男性が大量のプレゼントを抱えているのを見かけました。それはそれは困った様子で、眉をひそめ、今にも棄ててしまいたい欲望がヘドロのように彼にはまとわりついていて、溜息など吐いていないのに曇りが見えて、可哀想だと思いました。このカワイソウという報われない同情に塗れた感情が、愛を与えたのに受け取っては貰えなかった送り主に対してなのか、匿名性の高い愛に埋もれる苦痛に魘されたホストに対してなのか、間もなくフリマアプリでSOLDのタグを付けられる品物に対してなのか、もしくはその辺に投げ捨てられるプレゼント全般に対してなのか、わかりはしませんが。

 あんなに人々に囲まれ、貪るように求められてきたクリスマスグッズも十二月二十六日からは値引シールがサンタクロースの顔面に貼り付けられ、セール品なのに手にも取って貰えなくなる。哀しき罪滅ぼしは、彼らの値引シールを少し顔面から逸らしてやることぐらいでしょう。それほど無力な僕達が、貴方の生きる闇の打開策など分かるはずもないのです。その癖、知ることを願うのは重罪なのでしょうか。

 あなたは今元気なのか、と僕が尋ねる。お元気ですか、と訊ねるのは、顔色が悪いが無事なのかと訊ねる方法の最善策なのだと電車の中吊り広告で知りました。失礼だと思うそのものこそが無礼なのかもしれません。などと言っても僕は、近年ネットニュースどころかSNSで見た情報しか信じられない不履行な人間なのです。それでは、御機嫌よう――




× × ×


 教授の話はテキストの受け売りで、まあ受け売りするのが彼女の仕事なんだから仕方ないことだけれども、多分この教授は納得させるのが不得手なのだろう。それは教壇に立つものとして致命的であるが、意味の無いことをそれらしく話すのがへたくそなのだ。尚、あまりにこの教授がテキストを褒めるものだから裏面を見ると、著者欄に明記されたのは同大学教授の名前で、それらの積み重ねで成り立つキャットタワーに手を貸す。目の前で読み上げられるだけのパンフレットのようなそれは、彼女の化粧品の購入代金にでも充てられたのだろう。世は意味の無いことくらいしか結局残らなくて、明確な理由が述べられてしまうともうそれはその場所が到達地点になってしまうから咀嚼不可の引き出物にしかならない。クローゼットの端に投げ込まれる不要物。教授というのは役者の類ではないか。騙せるか、ではない。当たり前のことを如何にしてナルホドと錯覚させるかに賭かっているというわけ。美容師の持つシザーで少しずつ切り揃えられていく毛先に比例して床へと広がる髪の束は、箒で掃き出しても散らばったまま。僕達の安否は毛先より世知辛い。

 煙草の煙のように薄い靄が視界の三分の二を阻んでおり、ぼくはこの世界を主観する権利さえ憚られる。緩やかな俯瞰でしか見ることが出来なかった。そしてモルダバイトになりたい。隕石落下の拍子に偶然生まれ落ちた宝石。日本語名にすると【無処理】と表現されてしまう気の毒極まりない鉱石に。

𝑵𝑬𝑿𝑻:第四楽章  白夜を裂く

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