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清廉缺落2:悪しき卯月


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《第一楽章》エンドロール



《第二楽章》悪しき卯月


ロック画面を上へとスワイプすれば暗証番号を求められるので、同数4桁を連打で解錠する。顔認証機能は当たり前ではあるが顔の情報を登録しなければならないという手軽と掛け離れた現状がどうも受け入れられず、未だ活用出来ずにいる。コンビニエンスは、時に先進と乖離する。
 時限爆弾ほどの緊張感も味わえぬ解除要請もそこそこに、ゼロ四つの数字を打ち込むと初期設定のホーム画面が表示された。


 ホーム画面にびっしりと敷き詰められたアプリたちが学生会館の啓発ポスターの如くこちらを嘲笑する。Twitter、Instagram、Amazon、Kindle、YouTube、時間割、バイト管理のスケジュール、受験の頃使った以来お世話になることもなくなった辞書アプリ、課題用の文字カウントメモ、AppleMusic、いつ入れたやら分からないなけなしのフィットネス、などなど。

 窓際の角席は学生の狙いの標的で、素早くリュックを滑らせるとバサバサと音を立てて中身が落ちた。テキストに加えてカバーのない裸のiPadやスマホで事足りるがゆえに一ページとして役立たずの手帳に記名程度にしか登場機会のない無機質なペンケース。なんの面白味もない量産型大学生の所持品は、Instagramのオススメに流れてくる「現役〇〇大生の勉強法」「大学生が持ってて良かったアイテム10選」などにも劣りはしない。

 このデジタル優勢時代―――ましてやワールドワイドのネット社会を作るだなんだとふかす教授が教鞭を取るくせに、未だにデータも論文もプリント配布だとかイカれてる。

 一枚一枚スキャンするこちらの身にもなってくれよ。この講義の教授はいつも寝癖がなおらず、朝霧吹きをかけてやった、キッチンで呼吸する豆苗のようにヒョロヒョロと伸びている。




「おは」
「…今日早くね」




 予鈴の響いたタイミングでスライド式のドアを開いてからたった二文字の挨拶を発したのは、大学に入ってから口を利くようになった男だ。

 入学式初日、僕の学籍番号と間違えてロッカーに荷物を投げ入れた迷惑な奴。

 アルファベットと数字の組み合わされた、囚人番号のような学籍番号を視線でなぞりながら、僕が一年前の四月一日、初めて踏みしめる廊下に並んだロッカーを確認していた時コイツと出会った。とても新入生とは思えぬ黒いレザーのロングコートをさらりと着こなした長身の男がズカズカと横を通り抜け、甘美な匂いを廊下に残り香として置いたまま、僕の目の前でバサバサと大きな音を立てながら豪快に凡そ二十冊はありそうな分厚いテキスト類を投げ入れた。手元に買ったものと全ておなじだったので、年齢などは不明だが、同学部同学科所属であることは理解出来た。

 無駄な書物を買わされた初日に見知らぬ此奴が付けた有り得ない凹みが、俺のロッカーには未だにしかと刻まれている。

 廉価な缶ジュースのごときロッカーの箱箱は確固たる凹凸を作り、気の毒にさえおもえた。あまりに自然と荷物を投げ入れるものだから目を疑ったが、番号は何度読み上げても僕のもので、蚊の鳴くような声で「ァの、」と声をかけたら淑やか優美な微笑を返された。今知る此奴には想像に容易くないが、あの微笑はまるで感傷的だった。そして怜悧に凍傷していた。あれは彼にとっての自傷で、自慰だ。今、彼が起こした他人のロッカーにテキスト類を投げ入れるといった行動にだいそれた意味が無いことくらいは僕にだって理解出来るので、事を詳らかにしたいなんて思ってない。あらゆる人間との関係が面倒にしか思えない僕にとって唯一業務連絡以外の会話を交わす相手となった。


 破天荒ではあるが、早瀬は兎にも角にもイケていた。


 間違えて彼が僕のロッカーに投げ入れたテキストの端々には「ハヤセ」と乱暴に書き殴られていた。それは「早瀬」のものもあるし、「はやせ」のものもあった。

 最初は漢字で丁寧に書き加えていたであろうそれらは既に所有者の傘下で丁寧に散らばる。散らばっているのに、持ち主の元であると名を書き殴られた紙の束は恍惚と艶めいて、ロッカーから怪しく角をチラつかせていた。

 学生会館での購入後、この歳にもなって早々にひとつひとつ記名するなどいやに律儀だが、ハヤセという名前の字列まで美的だと感じた。

 "イケている"という表現がもう死語であるならば、この表現が即座に鬱々としたものへと変貌を遂げるが。

 異性であれば耽溺を避けられぬであろう甘美でスパイシーな匂い、全身洒落たモノトーンのコーディネートにほどよく整えられたヘアセット、そして左右対称の耽美極まりなき顔面。

 同性であるが、それでもわかる。顔が良い。

 ペンでスっとなぞったようにシャープな輪郭、鴉の羽の如く濃く伸びた長いまつ毛。幅広の二重を飾った切れ長の瞳。形のいい唇。アンバランスに並べられたピアス。所々でピアスが刺されることのなかった小さな穴が、これもまたセンス良く散らばっている。


 顔面偏差値平均より日東駒専程度の僕と、オックスフォードレベルの早瀬。

 その美貌の証拠に、コイツと並んで歩くと表参道ですれ違う女の視線が途切れない。異性であればそれらを魅力として意識する可能性としてもあるだろうが、流石に洒落た奴であるという認識が精一杯である。通り過がりの女の視線は確実に彼へと向けられている。かつ、此奴はそれを自覚している。

 だからと言ってそれをステータスにはしていないし、何に対しても興味を示さない。本日の天気が嵐であろうと、雪に埋まろうと、地球がひっくり返ろうと、この世から昼という概念が無くなろうと、彼にとって全てどうでもいいのだ。

 此奴といると美徳が分からなくなる。

 そもそも美しいってなんなんだ。僕はいつから、レーザーみたいに、そんな馬鹿げた方法で美を一点に充てるようになった。小学生の理科の実験でももっと上手に一点に光を集めはしなかっただろうか。こんな薄情だったか、本当は愛なんて誰も知らない、というか存在しないんじゃないか、雨を忌み嫌うのと同じように、ぞんざいに扱うべきではなかろうか。

 早瀬は人生に悲観せず、期待せず、対等に呼吸する。

 此方が持ち得ないものをコイツは持っているし、僕の欲しいものを持っていなかった。おそらく、だから、互いに卑屈にならなくてすむ。改札に吸い込まれるほんの数秒で一列に列ぶ本能は、誰もが持つ端的な優性遺伝のはからいだ。だが此奴は、劣性遺伝子が働き、それらの列を俯瞰し、たった一本だけ残されていた改札の存在にいち早く気付く。それを毅然として、狡き独裁者との悪しき異名を持つ。


「課題、なんだっけ」
「え、お前今日は課題やんの?」
「さすがに留年はごめんだし」


 左側の口角をキッと上げて、いつもは堂々たる態度で課題を放棄する早瀬から出た一言二言に感心するもつかの間、「てかどのページ?見せて」などと聞き捨てならない言葉が続いたので長机に突っ伏した。

 ケチ、と呟いて早瀬も速やかに突っ伏した。

 互いの肘が当たるので起き上がると、本鈴が鳴ったのと同時に教授が入室してきた。僕は確信する。コイツがこの講義中に起きることは無い。


 此奴が夜中分の睡眠時間をここで確保している間にも、講義室の暖房は轟轟と唸る。教授のつらつらと読み上げられる説明は無きものとして吐き出された二酸化炭素に溶け、半分以上の生徒が早瀬と同じ体勢で突っ伏している。

 もう半分は下を向いてスマホ操作に夢中で、それらは当人からすると上手くやっているような態度ではありつつも、見事に教授からは筒抜けであり、そして見破られていることを実際生徒も見抜いており―――といった攻防戦が繰り広げられている。

 大学は、所謂静かなる裁判の朝廷である。

 音という音はウンと唸るエアコン程度のこの教室で、静という空間で、僕達は正を求める。人は音という音が爆ぜるほど慈しみ、それらが共鳴を止めた時音を探す。

 自分では無い誰かが作り出す音を手探りで模索し、耳鳴りでさえ本当は孤独と乖離するために人間がいつだか編み出した方法なんじゃないかとさえ思う。


 大学二年、とは、最も生産性の無い放浪者の塊だ。

 偏差値もランク付けするなら上部には並べない中辺文系私立大に通う僕達は、世間から爪の先で埃のごとく弾かれるくせに、首の皮一枚で幸か不幸か生きながらえている。これは僕達の、陳腐なエゴである。

 山手線沿線の立地はそこそこ便がよいが、かつ建てられて間もない。察しの良い者ならここで気付きはするだろうが、倍率が低く、適当な理由をつけて滑り止めとしてこの大学を決めた。本命には惨敗した。


 正月休み返上であんなに熱心だった塾の先生さえも、電話一本で不合格を伝えれば「そうですか」と一言告げられるだけだった。丸暗記したターゲットはひと仕事終えたような顔をして机上に虚しく転がり、使い切った青ペンはただの不燃ごみなのに、それなのに、数底知れない不要物の最中で僕は分別さえもできないのだから、なにもかも灰の煤だ。

 スマホの画面に表示されることのなかった受験番号の書かれた紙はその場でゴミ箱へと放った。
 だが記憶は破棄出来ないと知った。六桁の番号は未だに、素数計算のごとく脳内で逡巡される。キーボードに並ぶ数字を視線で追いながらどこまで割り切れるのか計算し、そして電話番号の如く証明写真の隣に羅列した六桁の数字を心ゆくまで割った。

 消したい記憶は消せないのに、行きつけのスターバックスは潰れ、フリマアプリが誤作動で消えた。




 結局滑り止めのネット広告に出てきたURLをタップし、出願を余儀なくされ、いざ実際入学してみればサイトのパンフレットに掲載されていた多角形の上等な建物はA棟、対して生徒の講義が行われるのは大抵大いに錆びれたG棟。

浪人生という道も拓かれていたはずだが、そうまでして人生の賽の目を増やす選択肢を出す程かと問われると肯けない。賽の目は選択肢にイコーリングされない。僕はいつも肯定よりも否定を逃れる方法を選んでは鏡花水月を求めていた。

 A棟を除く他の校舎は石灰化が甚だしく、階数を表す数字が時折煤けてみえなくなっていた。蛍光灯さえいつも何処かが切れている。

 地形上、入り組んだ細道に無理やり建てるしか無かったのだろう。G棟はA棟から数十メートル離れ、ましてや細道に建てたものだからとにかく狭かったし、今にも小さな罅から崩れ落ちてしまおうとも仕方ないとも思う。誰がこんな所に建てることを提案したやら分からないが、これは紛うことなき欠陥だと、乳飲み子同等の子供の思考ながらに思った。十八歳など、夜も世も知らぬタカがガキ。

 本命から不合格を勧告されただけでなく、新設の校舎でキャンパスライフなどという単細胞極まりない馬鹿な幻想さえもあえなく砕け散ったが、それでもアクセスだけはそこそこいい。




 × × ×



昼休みの学食はよく混む。

 陽の差すA棟の最上階は一面ガラス張りで、高層が故に都会の景色が一望できる。この学食は一年の時から利用しているが、特に窓際は争奪戦であり、昼休みが開始してしまえば一軍の集団に占領されてしまう。二限目がない日は先に座席を取れるがゆえ都合が良かった。カースト制度の名残は、すべての世界で存在する。それは小学生、中学生、高校生と順を追うごとに過激化するなどといったグラデーショニングされた順路ではなく、一定の砂の上で、ごく淡々と繰り広げられる。僕はいつも、それらの中間あたりで主観と傍観の狭間にいた。今だって、ついに勝ちとった窓際から集団を眺めているだけ。


 砂上で繰り広げられたそれらのごとく、今日も学食に並べられたメニューは変わらない。日替わりランチだけが静かなる変貌を遂げている程度である。

 毎日代わり映えのないメニューを視線でマーキングして、ワンコインの日替わりランチにパセリが添えられていることに辟易とし、大盛りサイズにも関わらず百円玉三枚で二十円の釣りが来るカツカレーを選んだ。

 パセリは存在価値が見いだせないから嫌い。栄養素が文壇に含まれていると言ったって、詰まりはこんな飾り付け程度の量では役立たないわけだ。僕はこうなりたくない。



 本日の日替わりランチが電光掲示板に流れていく隣で、ポツポツと綴られている固定メニューを眺める。

 きつねうどん、ミートパスタ、ハンバーグ、カツカレー、ハヤシライス。学食に置かれているテレビが映し出している昼のワイドショーでは、他大学の豪華な学食ランチが取り上げられているのに、それらの情報をメインディッシュに子供騙しのメニューばかり並べられているのか。

 それに納得できない者は空きコマか何かで外へと食事に出掛ければ良いだけの話なのだが、結果的に、学生に用意された狭い世界の中で、水槽の熱帯魚の如く泳いでいる。学食ごときになんの希望を感じているのかと嘲笑われそうなものだが、その世界は美しいと信じて、小さな宇宙をスイスイと。




 ―――たとえば君なら、ここで、何を選ぶか。



 空腹を満たしてやりたいとも思えば、満たすことで口角が少しでも上がった瞬間をこの目にできるなら、とさえ思っては溜息に溶けた。これらは僕の勝手な悲しき切望であるが、そんなことを逡巡してしまうのはあえなきケツラクがいとも簡単に表面化されていることの具現であろうか。

 僕は君に辿り着くために、この現実という世界で、君だけを欲したまま、生きていくということ。

 君まで僕へ決定権を託さないで欲しいけど、何が要らないとか欲しいとか、そんなこと此処で問うたって別に返事があるわけじゃないから、「ハイ、次、そこの、あー、あの、ねずみ色のトレーナーの子、はやく決めてね」と間延びした学食の職員から呼びかけられたのを合図に口から出まかせで、学内酷評のメニューを選ばざるを得ないのであった。大体、今時ねずみ色とか表現する人いるのか、などと無駄なことに感心している場合ではない。


 一卵性の双子だって嗜好は全然違うと言う。


 行動範囲だって、人間関係だって、性格だって当然異なる。ドアの開け方、横の向き方、爪の切り方、答案用紙の書き方まで、全部異なるのだと聞く。クリスマスイブの夜、同じようにサンタクロースが新型のゲーム機を一人一つずつ与えても、片方は先にクリアしてからアイテム類を収拾することを楽しみ、もう片方は一つ一つ攻略を確認しながらアイテムを集めつつ時間をかけてクリアを目指すらしい。そうやって同じ胎内で育ち、ほぼ同時に生まれ落ちた人間さえゲームクリアの方法さえ違うというのだから他人同士に類似点があるはずもないわけで、そういった点を考えれば、あの時振り向いた君の一瞬の昏い瞳が、僕のと交わるごとく重なったのだって、幻想だったんだと解釈できる。元恋人は甲殻類アレルギーだった。



 小銭を手先で弄りつつ会計を済ますと、流れ作業のように運ばれてきた皿をトレイに載せ、ウォーターサーバーで水を汲み、シーザーサラダドレッシングを切り損ねられたキャベツの千切りにかけてやれば、瞬く間に浸されていった。

 上澄みが乾いたままだから終えるタイミングを無くしたがゆえ注いだのに、いつしか底の方はドレッシングの海に染まっていたらしい。



 ちゃちなプラスチック製の皿にカチャカチャとスプーンを当てる。口にする前から浮いた油がカレーに滲み、掬いあげれば衣が剥がれ落ちた。値段相応であると思えばそれもそう。対価に期待は御法度だ。握りしめていた十円玉二枚の丸が掌に象られたのをなんとなく凝視していたら、剥がれた衣が音も立てずドロりとした茶の液体に浸食されていた。


「うわ、カツカレー」


 スプーンを利き手に捕らえたままで窓際から外を眺めていると、背後から歯切れの悪い声が降ってくるので思わず肩が跳ねた。七年連続学内ワーストワンを誇るメニュー、カツカレーは誰からも愛されないようだ。

 学食の篭もりきった空気を包むようにして人物の甘ったるい匂いが漂うので、声の主は即座に把握出来た。香水とカレーの混じりきった匂いなんて良質であるはずが無いが、コイツの場合は香水の甘い匂いがすべてを包んだ。不思議なもので、甘やかさは時に閑散とした空気を調和する。


「二限もう終わり?」
「ン、てか抜けた」
「まじかよ」


 とくに深く興味がある訳では無いので適当に流しはするが、此奴の考えていることはまるでよく分からない。

 そういった点では、此奴にまで彼女との類似点を探してしまう。向こうも恐らく俺の考えていることは推測し得ないだろうから、別にそれでいい。先程から掌に染み付いている二十円分のコインの感触が気持ち悪くて紙ナフキンで拭いたら、一層こびりつく気がした。

 隣に置かれた日替わりランチはパセリがふんだんに盛られたオムライスだった。ケチャップを適当に盛り付け、青海苔の如くパセリは散らばっている。ふんだんのパセリを諦めて口にするよりは、油が染みて衣が剥がれ落ちるカツカレーのほうが幾分かマシに思えた。

 もう衣などとっくに剥がれ落ち、齧りつくとパサついた舌触りとともに肉の繊維が口内にはりついた。早瀬は同じようにスプーンをカチャカチャと鳴らし、ものの数分でオムライスを平らげた。




帰宅して即座に玄関から脱衣所へ直行、手洗いという幼少からのルーティンを経てシャワーを浴び終え、エアコンの温度を5度ほど一気に上げる。コンクリート製の壁は空気中の冷気を吸い込み、年中つめたく冷え渡っている。風呂上がりの冷えた身体にTシャツの袖を通し、ソファに腰を下ろしたら思いの外ふかく沈み込むものだから躙るように臀を這わせ、床へと降りた。冷たく靱やかな質感が背を包み込む。ひとつ欠伸をして、それから目の前に置いた、やけに派手なカップ麺を傍観していた。

 スマートフォンの通知を確認しても大それた急用の連絡があるはずもなく、Twitterをタップすると普段と変わらぬタイムラインが広がっていた。そこまで興味もないくせに、家、虫眼鏡、ベル、手紙の順に左から並べられたマークを慣れた手つきで確認する。日常的に青い点が着くことの無いベルのマークの隣で佇む虫眼鏡を親指でタップすれば、只今のトレンドを席巻するは既に1月が本日で終わりを告げることに通ずるキーワード達が羅列していた。東京都のトレンドが行儀よく並ぶ。最近問題発言が露呈し頻繁にトレンド入りを遂げるお騒がせ芸能人の名称を除いては、「あと11ヶ月」「1月終わり」「通信制限解除」などといった平穏極まりない単語が並ぶ。それらの単語から潜ると、素知らぬ誰かの日常が転がり込んでくる。



 虚
 @jinseieasymodekibou
 ここからあと11ヶ月あるとか鬱
 28944000秒、ダルすぎで草。
 いっそ世界終了のお知らせとか来ねーかな
 21:37 2022/01/31


 ゆうた
 @soccer35790
 必修1個落としたから進級やばいかもw
 ってかもう今年始まって31日も経ったらしい
 実質もうすぐ正月じゃん。あけおめ。
 21:39 20XX/01/31


 naaao♡@春からA大経済
 @naaaochan1226
 もう1月終わりで2月らしいってことで笑
 改めて!春からA大の経済学部行きます!
 春から同じだよって人、心細いので
 私と友達になってやってください(。´・ω・)ノ゙笑
 学部違ってもオッケーです!
 21:43 20XX/01/31


 310
 @hibinemuindaga
 留年確定。人生終了のお知らせ。
 21:43 20XX/01/31


   r
   @0619liptatoo
   踏み躙られたくなんてないのはお前だろ。
   お前の世界から4月が消えればいい。


 桜
 @sakurakittosakukana
 一般まであと6日!健康管理しつつ追い込み。
 自分に負けない。
 21:45 20XX/01/31


 労働撲滅委員会
 @uchinonyankokawaiibot
 早く通信制限解除しろよ。
 すでに仕事行きたくない。
 上司、自分の憂さ晴らしで逆ギレした癖に言われたら一度で学べとか何時代だよキモ
 21:47 20XX/01/31


 ヤマモト
 @yama_moto3104
 いいか若者達よ。受験落ちたからって悲観するな。人生なんて長いもので、そのうちの一部だって考えたら学生生活なんてたかが数年。そんなことより就活の方が大変なんだから。何百社にES書いたってどうせ丁寧にご健闘祈られるわけだし、そんなところでグズグズ悲観して増してやこの世の終わりなんて顔→
 21:56 20XX/01/31


 ヤマモト
 @yama_moto3104
 すんなよ。人生長いんだから。
 22:06 20XX/01/31




 いやヤマモト、14文字ぐらいなんとか削ってひとつのツイートに纏められなかったのか、しかも9分間の空白で一体何をしていたのかと脳内で指摘を入れざるを得ないが、どのようなツイートを読み流している時でも乾いた無の表情でその流れを追っていくだけだ。

 必修をひとつ落としたのが真っ赤に血塗られた嘘でも、受験生がTwitterに落とす澄みきった決意も関係ない。どうでもいいもの同士の赤の他人。いわば共犯者。

 入学前から友達作りに必死な新入生が学部違いであろうが構わず繋がって結局二度と顔を合わすことがなくとも、逆に名前と顔だけ無駄にSNS上で知ってしまったせいで何かの拍子に出会ってしまった時気まずくとも、それもこの堕落世界ではありがちな構図で、また来年彼女と同じような新入生が量産されていくだけだ。仮に同じサークルに所属するようなことがあったとして、予めTwitterで繋がりがありましたねなどと互いに種を明かすだろうか。


 SNSの世界は常に同等の日常である。
 いたってフェアな世界。


 それをいつも平坦でつまらぬと感じる者もあろうし、逆をいえば、いつも忙しなく騒ぎ立てているのをある種のルーティンとして傍観的な考えとして置くこともあろう。どこかで小さな火種を起こし、何かが炎上していて、そうすればトレンドを瞬く間に席巻して、竜巻が巻き上げていくみたいに傍観者をまた結集させて、集められてきた者たちは何が炎を上げているのかも分からなくて、だけど竜巻に巻き上げられているフリをして、こうやってネット世界の新規ビルディングは建設されてゆく。それが悪いだとか、こんな世界変えるべきだとか、そういったパッションに溢れた考え、僕は甚だ所持してない。そんな世界なのだと受容するだけのこと。見たものだけを信じるなどといったアナログ世界よりは余程かマシでは無いかと思う。情報の新規ビルディングはもう二日後には老朽化認定を迎え、再び新しく建設されたビルに協調を擬態する。今日この世界を疎み恨み果てた者の裏には、今の世界を祀りあげる目出度い者が存在する。僕なんかみたいに、目にできない非対象物に愛を狂ったように注ぎ込む不良品はそんなタイムラインでもそうそうお目にかかれないが、SNSは今を生きるアンビバレントの具現ではなかろうか。


 ぼうっとタイムラインを眺めているとタイマーが現実へと呼び戻すので、慌ててキッチンへと戻る。スクロールしていただけなのに親指が痛い。スクロールしかしてないのに腱鞘炎になって、やめられない簡単なスクロールでそれさえ悪化してしまいそうだ。STOPを押し忘れ、ある一定の周波数を保ったまま同じ間隔で鳴くキッチンタイマーは、誰よりも巧妙であると僕は思う。

 たかが薬缶でお湯を沸かしただけで、カップ麺が出来るまでのたった3分、それは生産性がなく、世界でいちばん長くて退屈である。

 時の潰し方が正解が分からず漠然とTwitterか発泡スチロールを眺めるほかないので、僕はいつも、2分もすれば電子音が鳴るのさえ待たずリビングへとカップ麺の筒を連れ帰る。

 テレビリモコンを手にし、適当に番組を変えて現れたバラエティ番組を凝視するもあまりに生産性がないもので哀しくなってきた。

 人が哀しくなるとき理由は二手に分類される。

 一方切なさ。もう一方は愛しさ。この時感じた哀しさとは、それらの両方に当てはまらなかったことを自覚してまた哀しくなる。この感情は恐らく欠陥。

 くるんと捲れているフタをゴテイネイに剥がしながら、そんなバカげたことを逡巡しつつ生産性を求めてチャンネルを回してしまった自分は、かつての己へのオマージュなのであった。





 ――愛していた書店を喪った。

 愛しさのあまり、一年に数回しか訪れないようにしていた渋谷の書店。渋谷には週一度のペースで訪れるが、その場所だけは敢えて避け、たまの悦楽を求めて訪れれば欲を込める度にコツコツと鳴る音が気を癒した。分かった気になれた。

ある四月の、春にしては冷え込む風が流れ込む雨の日、重く伸し掛る青い空気で吸って吐いての呼吸がうまくいかない日だった。目の前を歩く朱色の艶やかな傘をぐるりと手元で回す少女を視線の先で追いながら、角を曲がっていった少女の傘から雫がバタバタと落ちるのを眺めた。そうすれば簡単にHUMAXまで辿り着く。もう少しだけ爪先を鳴らしながら進むとコンクリートの段差が見え、ガラス張りのドアが透ける。雨の雫に四月を投影したゆるやかな太陽光が反射し、ひとつ瞬きをすると地面光を呑み込んだ。一歩進めば限りなく迫った。だけど、そこはもう求めていた世界なんかじゃないと知る。新しい雨が降り注いでいた。

移転先の同店はグレーの床に黒の棚、それらの内観は変わらずとも存在し続けた。つめたくシャープなコンクリート製だったはずの床は同色の柔らかなフロアシートへと形を変え、態とらしく足音を鳴らすを試みるも閑にそれはシートに吸い込まれた。専門書の数は文句無く、あらゆる情報は此処に集約されていた。だが、つめたく鋭い、あの、美学のシンボルともいえる空間は消えていた。曇り空に柔和な風を纏ったような、そんなエゴ求めてなんかない。愛は昇華されない。




 大学最寄りまで乗り換えのいらない駅近く、必要なものだけを置くことが出来る程度の衣食住を保つギリギリの広さのマンションの一角は最低限のものしか入れられていないのに、この狭い世界で最低限生きるには、この程度であってもそう不利なものでもないと悟った。

 築年数もそれなりなので不具合がないかと尋ねられれば首を縦に振るには時間がかかってしまうものだが、さほど生活に大きな不自由は無かった。実家は金に困らず、いわば我が家柄を考えると本来であれば困窮することもなく不自由無い部屋が与えられたところではあるが、ギブがあればテイクを強いられる世界であることに辟易としていたゆえ、なけなしのバイト代でやりくりすることを選択した。

 やる気に満ち溢れていた頃は学内図書施設の補助バイトに精を出した。キャンパスライフなどという新生活の高らかなファンファーレに打ちのめされ、それらで凌いでこそいたものの、無論、大した収入も得られず、採点のバイトも掛け持ちした。ネットであらゆるバイトの種類を検索し、手当り次第に手を出し、全て一度ずつでやめた。こんなフツーの詰まることのなき大学生の象徴―――を体現しても結果的に僕の将来は生憎保証されている。肩身が狭くはないか、と訊ねられても別になんの芯も感じられないし、かといってそれでは輝きに満ちているかと訊ねられてもそれはそれでどうであろうかという否応なき心地である。悩みを掲げてセイレンケッパク、本能に忠実な大学生活を生きられる者に羨望を向けぬかと尋ねられると否定はできない、かくいえば掲げられた悩みを咀嚼する者は相違の思いがあるのだろう。僕はいつも、明日を俯瞰でしか見ることが出来ない。


 出来上がった筒をローテーブルに置き、そしてまた生産性のないバラエティ番組を凝視した。この司会者はいつ見ても最後を「…ハイ。」で締める。僕はそれらを鼻先で揶揄するくせにテレビのスイッチをオフにしてしまえるほどの割り切った答えが出せず、傍観を極めた。

 バラエティやお笑いカルチャーに於いてどこで笑えばいいのか分からないこの厄介者のために、それに対する答えとしてきちんと要所要所で笑い声のSEが入れてある。このSEを入れるエディターは、果たして堪えきれない笑いとともに仕事を進めたのか、果たして、緻密な計算がゆえ秒単位で笑い声を入れたのか、そちらの方が気になった。

 そういった人間の手間を無駄にしてしまうのもなんだか気の毒にさえ思えて、SEと同じタイミングで笑ってみようと試みるが、いつまで経ってもタイミングが合わず馬鹿馬鹿しくなってきた。

 馬鹿な行動を起こしている時、人はなぜ無力だと自覚できないのだろう。

 無謀なチャレンジは諦め、いつの間にか湯気のたたないふやけた麺をすすりながら、味気もないスパイラルを飲み込んだ。生産性が無い。平らげても腹が満たされない。かといって他の何かを腹に流し込みたいという欲もない。欲が生む無欲は、時に哀しく虚しい。

 冷蔵庫から出した炭酸飲料が萎えた声でプシュゥと啼いても、窓を開けた刹那、天使の羽根の如きカーテンがのたうち回り、心地よくもなんともない鋭い風があわよくばと流れ出してきても、暖房の効いた室内で飲酒も赦されないこの中途半端な年齢の餓鬼。

 囁かなるルールを、今時おいそれと守る馬鹿も居ないのだろうが、さすがに一族に穢れを付ける訳にはいかぬから、粛々と守り抜いているというだけ。

 空気が循環される気配もなく、散らばった感情ごと一緒くたに飲み込み、強風にはたったの1分として耐えかねてすぐに窓は閉めた。部屋の澱んだ空気が循環されることは無かった。炭酸が抜けた飲み物はもうなんの答えも持つことの出来ない春の雨を想起させる。冬に流しこむ、よく冷えた炭酸はひどく酷薄であった。



 酷薄な微炭酸が、僕の中に存在する芯に律する悪しき欲望を疼かせた。

酔うことの出来ぬ無能な炭酸。

その芯とは、この身体の、肢体の、隅々を支配する、ある春に襲われた白昼夢である。夢オチで終わる卑しい物語、それら諸々にたいそう悪寒が走るという僕が、今、このように不確実な虚妄を話し始めているのだから心底呆れてしまうものだ。僕はこんな馬鹿げた人間だっただろうか。いや、それもこれもあの日あの靄の中で出逢ってしまった、ある女の所為ではないだろうか。この、今繰り広げられている日常というスパイラルは白昼に執り行われた深夜の空虚によって操られているせいで、描く愛はいつしか等しく曲がってしまったのである。



𝑵𝑬𝑿𝑻:第三楽章  迷夢

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