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明日やろうと思っていたはずの『明日』が来なかった話

私は事故で寝たきりになる前、実にたくさんの「明日できているはずのこと」を置いてきた。
ほんのささいなことから、人生に大きく関わる大切なイベント事まで。
もうこの話になると悔しくて悔しくて。
涙が止まらなくなる。
…そういう気持ちで今この文章書いている。

「もしあの時普通の人生を送れていたら…。」これだけは言えること。
確実に普通の人生の方が幸せだったであろう。
今生きている『人生』の方があの日に置いてきた『人生』よりも幸せになる事はまず無いが、
できるだけ今生きている『人生』の方を良い人生にすることに精一杯尽くすことにしている。それ(今生きている『人生』を出来るだけ良い人生にすること)は実現可能なことだと私は確信している。

そして私の現在の職業である作曲にしても執筆にしても、
続けていることの意味は、頭の中にある作品を目に見える形に遺していきたいからである。

私がどれほど音楽を考えても、思いを考えても、それを言葉や音の高さにして表す事がなければ人に伝わる事は一生ない。
これはこれで不思議なことなのだけど、
せっかくこういった不思議な状況(若くして病気で寝たきり)という普通の人が生きている上で滅多に経験できない経験をしているのだから、これは生かさなければいけない。生かすべきだ。

私にしか描けない音楽があって絵があって詩があって文章がある。
こういったところは強みにしていきたい。

私は「明日は必ずしも来るとは限らないことを知っている」
明日が来ない事を知っているからこそ、今の私からあの時の私へ伝えられることがある。
「毎日が地球最後の日だと思って生きなさい。」
…私はあの時の自分へこう伝えたい。

そして今日もこうやって『何か』を必ずしも来るとは限らない明日へと創って遺していく。


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