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『今を生きる』という意味①

「今を生きる」と言う言葉に、皆さんはどういったイメージをお持ちでしょうか?

良いイメージの言葉?
強いイメージの言葉?
深いイメージの言葉?

…いろいろなイメージがあると思います。

私は病気になる前は、ここまで深く考えたことがありませんでした。だけど今はわかることがあります。

若い時や健康な時って、「今、生きているんだ」と何かをするたびにその都度実感しながら生きていたことありますか?
いつかは死ぬとか、いつか病気になるとか考えながら生きてきたことってありますか?
病気になりながら生き続ける事とかも考えたことがありますか?
死ぬほど苦しいのにその病気では死ねないという病気があると考えたことがありますか?
死ぬ病気にかかってタイムリミットがあることを考えたことがありますか?

私は昔生きているということに意識をせずに生きていました。
それはどういうことかと言うと、「健康であることが当たり前で、その当たり前の上に生活がある」というイメージです。
無意識に呼吸をするように無意識に生きているのです。

当たり前が当たり前でなくなることを想像しない人生。
当たり前に生きて当たり前に歳をとって気づけば80歳位になっていて寿命を全うする人生。

今やりたいなと思った事は、健康がある限りいつでもできると思ってしまう。
そして「いつでもできる」と思っているがゆえにいつでもできると思って後回しにしてしまう。

…これが昔の私でした。
でも、健康であることを理由に「いつでもできる」と思っていたことのほんの数%しか実行できていませんでした。

それはいつでもできると思っていたから。
健康であるということ、そしてそれが無限に続くと思い込む事で、昔の私はそれを最大限に生かすことができていなかったです。

…しかし、私が今の病気「脳脊髄液減少症」になってからは3年間かけてやっと考え方が変わりました。
先ほど述べたように、「無意識に呼吸をするように無意識に生きるということができなくなった」のです。
どういうことかというと、
今を生きるということに意識を向けていないと、生きることが生き続けることが難しくなってしまったのです。
生きるということに意識を向けないと一瞬で死ぬことができてしまいます。
これは非常に困ったことです。理由は病気の症状が苦しすぎるからです。


寝たきりになって最初の1年は、必死に元通りになれる方法を探しました。
「元通り健康になったら何でもできる」という考え方です。
健康を取り戻すことが最大目標で、取り戻さえすれば何でもできると思っていました。

次の2年目で「今の医学では難しいのかもしれない」と気づき始めます。
途端に生きる気力を失い始めます。自ら死に首を突っ込み始めました。

「死ぬほど苦しいから死のう」この頃の私は、全力で死ぬ方法を考えます。
今まで必死に治す方法を考えていたのに、今度は逆に片っ端から死ぬ方法を調べます。
…こんなことをしているうちに、一瞬はっと我に帰って気づくことがあります。「人間いつかは死ぬんだ。なのになぜこんなに慌てて自ら死のうとしているのだろう。」と気づきます。

寝たきりになって2年たっても、「まだ80歳位まで寿命を全うして生き続ける」と思っていたことに気づきます。

治る可能性のある治療は、3年間の間でほぼほぼ試してみました。
そんな中、今までの考え方を覆す転機が訪れます。
寝たきり3年目にして、
「髄液漏閉鎖術」という全身麻酔下での手術を受けることになりました。

私はこの手術を受けるにあたり、「これで良くなったらラッキー」「でもこれで良くならなくてももうこれを機に好きに生きよう」
どちらに転んでも、いいようにあらかじめこのように考えてから決断しました。

手術当日、全身麻酔をかけます。
この病気の重症患者の方々お分かりの通り、
「今の症状がある状態で生き続けることが地獄」なので、
「このまま生き続けることの方が死ぬより辛い」のです。

先生がこれから手術をしようと思っているにもかかわらず、「この全身麻酔の最中に何か起こってこのまま天国に行けたらいいなぁ楽だろうなぁ。停電でもしないかなこのまま人生終わらせたいなぁ。これで死ねれば自殺ではなくなる。何でもいいから楽にしてほしい。」そんなことを皮肉にも考えながら手術室に運ばれていました。

24時間激頭痛が続く吐き気が続く。めまいが続く脊髄が締め付けられるように痛む脊髄が入っているところ全部が圧迫されて捩れている、仰向けで横になることもできない24時間寝たきり。
これを3年間続けてきたわけですから、もう楽になってもいいだろう。この苦痛から解放して欲しい。

思いはただそれだけなのです。苦痛の解放の仕方には手段を選びませんから、生きようが死のうが「楽になりさえすれば」いいのです。

その髄液漏閉鎖術を受けてから結果的には良くならなかったわけです。
こんなに痛い思い、辛い思いを繰り返しても治らない生き地獄の中、生きる覚悟と生きる意味が私には必要になりました。

そのため事前に決めておいたように、

私はこの手術を受けるにあたり、「これで良くなったらラッキー」
「でもこれで良くならなくてももうこれを機に好きに生きよう」
どちらに転んでも、いいようにあらかじめこのように考えてから決断しました。

これを機に好きに生きる道を歩むことに決めました。

もう無茶苦茶なことをし始めます!!
私は夢しか見ません。
現実を殺すぐらいの勢いで叶えることの出来る夢、ただ一点を見つめて走り出しました。

だって、本当はもう死んでいたのですから、怖いものはこの世には何もありません。
今ないはずの命がここにあるという事は、この命を最大限に『生かす』ことを考えます。

…その小さな小さな消えかけていた命の灯が、今の私を描き出しているのです。

いつもありがとうございます♡とても励みになります。