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指さし、共同注視なし。言葉の遅れ…いっくんの発達記録②1歳台~

前回の0歳時代の記事の続きです。

目も合う、よく笑う、おっぱいも大好きですくすく体も成長し、発育も問題なく、言葉については生後2か月ごろからいくつかの単語をしゃべっていました(笑)

そんないっくんに違和感を覚え始めたのはいっくんが立って歩くようになってきた1歳前後でした。

いっくんが歩くようになったのは1歳になってすぐのころで、体の発達は平均的だったと思います。


呼んでも振り返らない。声掛けに反応がない。

いっくんは好奇心旺盛で、動くようになってからは目的の場所に行ってそれを探求するのを楽しんでいました。
近所の公園にもよく連れ出していましたが、なにか目当てのものをみつけたら一目散にかけていき、わたしが「これも面白いよ、これしてみようか?」などと声をかけても、全く応じず、聞いていないので、公園に一緒に行く私は、とりあえず危険なことがないように、けがをしないようにと後ろをついて歩く…という感じでした。

でも、これは一人では登れないと思ったら手を握ってくれるし、助けを必要として振り返ってはくれました。

果敢に挑戦


視覚優位、聴覚劣位

とても集中力があり、観察力があるなと思いました。

そのため遊び方も独特で、三輪車やベビーカーをひたすら押して手で動かす。それを30分とか40分とか、ずっとやっていました。
上のお兄ちゃん、お姉ちゃんの運動会に1歳1ヵ月で連れて行った時も、自分のベビーカーをひたすら押して動かすのを40分くらいやり続けてくれたので、静かにみることが出来ました(笑)
大きいものでも小さいおもちゃでも、いっくんはタイヤが回るのを見るのが楽しいみたいでした。
公園ではよその子のおもちゃを奪い、それでず―――っと遊ぶので、非常に困りました。

興味津々。構造が気になるようです


水遊びもとても好きで、水たまりにひたすら石を投げていた時は感心しました。
石を水にぽちゃんと投げるのですが、投げる方向を変えるとどうなるかをひたすら観察している感じでした。

なので、この子は賢いなぁと思いました。自然の法則性みたいなのを確認しているんだな、と。

寒くないかと心配になるけど、水遊びもエンドレス


空間認知力もあり、外に連れ出すと公園に行く道のりをわかっていて、自分でどんどん歩いていきます。
三輪車に乗せて別の公園に行こうとしたら、こっちじゃない!と嫌がられたりもしました。

いっくんの特性でとにかくはっきりしているのは、視覚の優位性が高いこと。そして、聴覚からの情報処理ができない(もしくは苦手な)ことです。

生後2か月の時はオウム返しをしていたのにできなくなったのは、目が見えるようになって、そっちで世の中を観察するのがすごく楽しくなったからかもしれません。

ASDの人は、特定の高さの音は聞き取りにくいとか、人の声と生活音の区別がつかないとか、右から左に聞こえる音がすり抜けてしまって、それを意味のあるものと思えないとか、いろいろ言われるようです。

大人になってもこの特性は続くようなので、ずっと付き合うことになるんだと思います。

最初はあまりにも振り返らないし、声掛けに反応をしてくれないから、聴覚の問題も疑いましたが、聞こえてはいるんだよねぇ。

指さし、共同注視がない

わたしの知り合いにも、子どもさんが3歳まで話さなくて、でも3歳を過ぎたら2語文、3語文を一気に話し出した、なんて人もいましたし、言葉の遅れだけならASDを疑わなかったかもしれません。

ただ、いっくんは自閉症独特の「指さしをしない」「共同注視がない」という特徴もあります。
もうすぐ3歳になる今でも指差しはなくて、絵本などをみながら指差しをすると、私の手を使って指差しをしたりします。(その名もクレーン指差しw)

最近は、自分の「手を使ってみな、こうやるんだよ」なんて教えると、しばらく自分の手も使って指差しをしますが、また次の日には私の手で指差しをします(笑)

概念を抽象化できないから言葉を理解できないのではないか


視覚の優位性が強く、細かいところを見る特性があるため、いっくんは概念を抽象化するのが苦手なのだと思います。

例えばいっくんの大好きなトーマスですが、
トーマスを指さすときに、トーマスの顔を指さしてみたり、車体の後方を指さしたり…
細かい部分はさておき、全部ひっくるめてトーマスなんだよ、と、概念化、抽象化することが難しいのだろうと思うのです。

例えばコップ、といってわたしがコップを指さしたとしても、わたしが使うコップといっくんが使うコップはデザインや素材が違うし、家で使うコップと保育園で使うコップも違いがあります。
でも、飲み物を飲むときに使うものはコップと呼んでいい、この感覚がわからないのだと思います。

こうして抽象化してものを理解するというのは、ある意味上記の細かな違いを無視する力が必要になります。
なんとなくわかる、と、そういう力が必要です。

例えば犬だって、見た目だと犬種によって大きさや毛並み、顔つき、色などが全然違います。
でも全部「犬」だと、わたしたちはいつから理解できるようになるのでしょうか。

そういう違いにかかわらず全部を「犬」と理解できるということは、ある種思考にバイアスをかけることでもあります。
バイアスをかけず、世界をあるがままに認識する力を言葉は邪魔するのかもしれません。

わたしもものを書く仕事をしていますが、言語化したときに、思考や感覚に制限がかかるのを感じます。
「悲しい」と書いたときに、自分の感覚は「悲しい」なんだ、自分は悲しんでいるのだ、ととらえます。
でも本来感情って、一言では言い表せません。

悲しみの裏には愛があったりする。愛がないと悲しさは生まれない。

何か話が脱線しましたが、いっくんはとにかく、今はあまり言葉を話すことに必要性を感じないのだな、とも思います。

何かを要求するときにはクレーンで済ませています。
あれを取って、これが欲しい、そんな時だけ、私たちの手を引っ張ります。

あとは自分の世界の中で、存分に物事を認識している。
言葉はなくても、きっと困らないのだろうなぁと。

春から中学2年になる娘は、言語コミュニケーション能力が非常に高く、1歳の終わりごろには図鑑の動物の名前を全部言えたりしました。大人でも知らないよ…という動物も、とにかくすべて覚えて言えました。
ただきっと、「この図鑑のこの絵の動物はこういう名前なんだ」と、きっと言われるがまま覚えたのだろうと思うと、ある意味言われたことを疑わないというか、独創性みたいなのは生まれにくいような、そういう印象もありますね。

世間的には娘のような子は発達が早くて賢い子なんでしょうし、実際に今も勉強はよくできますし、忖度能力もとても高いです(笑)

脳の認知機能の違いって面白いですね。

その他の困りごとは特にないのでありがたい


いっくんに関してはこんな感じで、言葉の遅れとコミュニケーションの欠落だけが気になっています。

その他の自閉症特有の問題はあまり感じません。

ASDの子の中には、感覚過敏があるために抱っこをさせてもらえず、愛着形成がしにくい子もいるようですが、いっくんにそれはなくて、とても甘えてくれるし抱っこが大好きですし、ママのことも大好きです。

こどもを抱っこできなかったら、つらいだろうなぁと思います。

病的な癇癪やこだわり行動や常同行動(つま先立ち歩きやぐるぐる回り続けるなど)もありません。

うまくいけば、5歳まで言葉を発さなかったアインシュタインのようになるのか、それとも知的レベルは平均的か、境界知能なのか、知的な障害があるのか、今は全くわかりません。

どうなるのかなぁって思いながら、私たち親ができるのは、この子をかわいがることだけだなぁと思います。


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