私の七月


七月は
コロナの関連で休園が多くて
職場にはあまり行けず
かといって 平日を家族と
何処でも行けるご時世でなく
近場の公園や 川縁を てくてく散歩していた

低い葉が茂るところで いくつもの蝉の抜け殻を見つけては
その一生について考え耽ったり
雨の降る前に 生垣にとまっている四 五羽の蝶をじっと見たり
川の浅いところで泳ぐ亀や
鴨の親子や
子供のこぼしたジュースに集まる蟻や
そんな事ごとを 見つめては
ゆっくり 
時に考えたり
何も考えなかったり
そんな時間を過ごしていた

数十年前の
あの街にも
この街にも
こんなふうな親子が いたのだろうと思う
どのような政治状況の ただなかであっても

抱っこ
と 求められて
川風に身体を冷やしながら
橋の中ほどで ふいに
燃え尽きてしまったことだって
きっと

懸命に
論理的に
倫理的に 考え
なにかしらの一貫性を得ようと していたけれど
ただ 今日のことや
目の前にある
喜びや悲しみの その絶対的な大きさを
自分勝手に感じてもいい と
私は自分に 言い聞かせた
 

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