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教壇に立ち続ける ⑩ 高校古典の教材研究【note限定記事】

今日買い出しに行って、遂にカルーアを買ってきてしまいました。どうも星野です。おうちでバー気分。そんなことになったのは早起き回避ができなかったためです。ちくせう。
今回から連続して「教材研究」をテーマとして連載していく予定です。1日1本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneはマイページから、Fantia(ファンティア)はこちら。新商品を追加しているので是非。

https://fantia.jp/fanclubs/34269

今日取り組んだのは「徒然草」の「九月二十日のころ」です。高校3年の古典で扱う内容です。5月から始められるか見通しがまだ立っていないのですが、それでも短い内容で完結すること、そして話がわかりやすいことを理由に第一の単元としました。ノート例はこちら。4月15日更新版。

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以下に目標と読解の展開法について述べたいと思います。
目標は「主語判定」「敬語の用法の理解」「反実仮想の用法の理解」の三本柱としました。省略された主語をどのように判定するか、の技術を身につけることと、敬語の使い方をリンクさせて考える練習にいいな、と思ったのがきっかけです。この話は月見に出た時たまたま入った家の主が素晴らしかった、といった内容ですが、主語がほとんど出てきません。だからまず「登場人物は何人いるのか」から考えさせたいと思います。話を読んでいく中で3人だと気付けたら、第一ステップはクリア。そのあと省略されている主語を、敬語の使用によって判別していきます。具体的には「敬語が使われているのは『ある人』のときだけ」「じぶんのことには敬語を使っていない」ことに着目させます。そうすると「家の主」には敬語が使われていないのをどうするか、という問題が出てきますが、それは「兼好法師の目を通して描かれた人物だから、心内語による描写だから」として扱おうと考えています。反実仮想「~ましかば……まし」の形を徹底帝に反復練習させます。「~せば……まし」の形も教えようかと。必ずテストにも反映させようと思っています。
読解活動としては、「月見」と「雅」の意味合い、位置づけについて解説した後、風情があるとはどういうことなのか、自力で考えてもらうことにしています。風物を愛で、その心づかいに優美さを感じ取るメンタリティに目を向けさせたいです。また、「無常観」も大きなテーマになるので、文学史と連動させながら教養を身につけていってもらう予定です。

この作品の面白さは「儚さ」にあると思うのです。雅や情趣を解する家の主人との、一晩のめぐり逢い。まさに一期一会の妙味。そんな家の主人は間もなく死んでしまう。人間の生き死にとはかくも儚く無常であるのか、と、淡々と綴られる中に見出される筆者の想いに共感していくと、読みは深まると思います。じぶんもいつかは死んでしまうけれど、その過程でどんな美しいものや素敵なひとと出会えるだろう。そういうことも考えてみてほしいなと思っています。それにあわせて、最後の発問は「雅と無常観の関係性」で140字記述。一回Twitterに投稿するくらいの量で、簡潔にまとめてもらいます。どんなに悲しくても淡々と日常は続くし、世界は回っていくのだ、とも感じてほしいですね。

定時制でやった時は基本的な文法事項(動詞の活用、過去の助動詞など)も身についていなかったので、教えるのも一苦労だったのですが、全日はさすがにもうちょっといけるだろうと踏んでいます。誤算だったらどうしよう。それでも助動詞の基本的なところは指導しますし、識別問題などもやらせたいです。反復しないとおそらく定着しないので……ただ、複数クラスの足並みを揃えるためには、コンビを組んでいる先生との連携と、こまめな報告が大事だと考えているので、私の良くない癖・「なんでもワンマンプレーで済ませてしまう」&「意固地になって他者のアドバイスを受け入れられない」を直すようにします。これは絶対。
テストまでにはもう一単元くらいやりたいと思っているので、次は更級日記です。更級日記は明日済ませます。場所は「薬師仏彫っちゃった」のあの場面です。個人的にはオタクだとバレたくないのでこの単元は避けたかったのですが、たぶん文学オタク丸出しになると思うので、もうドン引きされる覚悟で教えます。オタバレしたくないよ……。


明日もこうして教材研究を公開しますので、お待ちください。それでは、また。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。