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Knight and Mist第十章-6 ほんとうのこと 異世界(げんじつ)

「待て、待て、落ち着こう。いくらなんでも話が飛びすぎる。まずは絆のはなしから教えてくれない?」

セシルの眼差しひとつでドキドキしながら、ハルカは言った。

「この絆ってなんなの? セシルはいつから気づいてたの?」

露天風呂にて。美味しいものを堪能しつつ、セシルとハルカは微妙に距離をあけて座っていた。

温泉でのぼせそうなのか、セシルの発言でのぼせそうなのかハルカ自身分からなかった。

「僕はーー俺は、奴隷として売られた頃にハルカの声が聞こえはじめた」

セシルがぽつりぽつりと、いつもとは少し違う調子で話し始めた。

「もう猫被る必要もないですよね? 俺はずっとあんたのことが好きだったんだ。それだけが生きる意味だったから」

ハルカは眉根を寄せた。

「生きる意味?」

「俺は奴隷として扱われ完全に無価値な存在だった。たしかに奴隷としての価値はあっただろうが、俺である・・・・価値はなかった。そんなときに声が聞こえたんだ。泣き声だった。寂しいと言っているのがわかった。だからいつか助けようと思って、なんとか生き延びたんだ。それが、あんたが俺の命を助けた一度目」

セシルは哀しげに目を伏せた。

「父親も母親も失って、村も焼かれてーー正直自暴自棄になっていた頃だった。生きてはいたが死人みたいな状態だっただろう。俺を奴隷として使ってたヤツはそれに漬け込んでずいぶん好き勝手してくれた」

言って、酒をあおる。思い出すのも嫌、といった雰囲気だ。

「ハルカはなぜ泣いてたの?」

セシルに尋ねられ、ハルカは首を傾げた。

周囲の期待、なりたい自分、理想とのギャップ、他人とのやりとりに感じる無理、自分という人間がわからなくなる感覚ーーコンプレックスだらけではあるが、セシルと比べればまったく泣くような理由などない。

ハルカは首を横に振った。

「泣いてないよ」

思ったより乾いた声が響く。セシルがそれをいたましそう見ていた。

「俺は職業柄よく拷問に合うけど、わりとすぐに痛みは消えるんだ。あるのは希望と絶望のせめぎ合いだけだ。俺の場合、希望も絶望もないけどね。ともかく、人は痛めつけられすぎると傷に無頓着になる。痛みも麻痺してしまう」

「怪我したらセシルが治してくれるじゃない」

「そういう話じゃなくて。ハルカが泣いていたのはたしかだ。ひとつひとつの経験は大したものではないのかもしれない。だけど、俺には分かる。ハルカが誰も頼りにできないと思い詰めていたことも、そのために必要なことをしようとしてずっと失敗し続けていたことも。希望を持つたびに打ち砕かれて、いつしか期待する自分さえ嫌いになってーーそんな感じだったんだろう」

優しげな声でセシルが言った。ハルカは今では遠い"異世界げんじつ"を思い出そうとして少し考えた。

「セシルには、それが『聞こえて』いたのね」

「まあ、そんな感じかな」

セシルの窺う視線。気遣い、心配の目線だ。ハルカは考えた。

(ーー独りで生きる力が欲しい、誰にも頼らないで生き抜ける力が欲しい、たしかにそう思っていた)

剣とは生き延びるための一つの手段である。だからハルカは剣を手に入れたとき、心の底から打ち震えた。それがどんな剣であろうとかまわない。これで自分はここで・・・生きる資格を得られたーーそう思った。

だが同時に。

(どんどん世界が遠くなっていく感覚もあった)

エルフの女王、グレートマザーが『ハルカの望むもの』がハルカの身を滅ぼす、とも言っていた。

(私が欲しかったのはチカラ。だけど、それならーー深峰戒の言うとおり、魔族になればいいのよね。こんな、無力なだけの私は捨ててしまって)

ふと、泣いている自分を思い出す。

たぶん転んだとか、そういうのだろう。他の子は親から優しい声をかけられている。だが、自分はーー

『泣かないで偉いね』

そう言われて、誇らしかった。

だから何度転んでも、何度転んでも。

一度だって泣かずにここまできた。それが誇りだった。立っているだけでもキツい状態でも、その意地だけで立ち続けた。

限界を何度も越えた。でもそんなので限界を迎える自分が弱いのだと何度も自分を叱咤した。

惨めな自分なんか認めない。誰かに認めて欲しい自分なんて要らない。自分が自分を誇れればそれでいい。

だけど。

そんな日は来ない。

延々と剣を振るう日々。

讃えられることもなく。

理解されることもなく。

勝てる日など来るはずもなく。

ただただ戦い続け、重荷を増やしていくだけの。

ときどき『すごいね』って言われるだけの。

何もすごいことなどない。

永遠に何も手にできない。

時間が手から零れ落ちていく。

大切な何かはすぐに灰に変わってしまう。

誰かは誰かといつも楽しそうにしている。

ショーウィンドウの外から眺めているだけの。

それを欲しいと思うのは矜持が許さない。

孤独は深まる。だが誰も入れたくない。

こんな醜く弱いだなんて知られたくもない。

きっと誰も入りたがりもしない。

入口で『すごいね』『えらいね』って言うだけだ。

霧のようにまかれる。

人が近くにいる、それだけでいい。

ーー私は私でやっていく。

ランプの灯りを頼りに独りで歩む。

だけどーーーー

ーーーーいや、だからこそ。

ドッと再び笑い声が起こる。大浴場からだ。勇者、仲間、旅の一行。

「わたしーーーー」

かすれた声でハルカは言った。

「本当は、仲間が欲しかったの…………」

知らず、ハルカの目から涙が溢れていた。


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