Knight and Mist第九章-9拷問部屋で
拷問部屋は鼻や目にツンとくるような異臭と汚臭がして、吐き気を催した。
鉄錆のおぞましい器具の数々、吊し上げるための滑車のついた装置、小さな檻、鉄の棘がついたなんだかよく分からないもの、トラバサミのようなもの……それらが血をかぶって存在していた。
そんななか、ロープで天井からぶら下げられ、気絶しているらしいセシルを発見した。
背中は皮膚が裂けていた。何がおこなわれたのか、ハルカにはさっぱり分からなかった。
「ここは俺様に任せな」
それで言葉をなくしているハルカに代わり、イーディスが前に出た。
「おい、眠たそーなところ悪いが」
するとセシルがピクッと動く。
「眠たそうなんじゃなくて死にかけてるんですが。衛兵や拷問官はどうしたんです?」
「その減らず口ならまだ元気だな。今はテメェの心配だけしてろ。いやーーハルカはちょいと心配かな?」
またピクッと動くセシル。
「なぜあなたを信用しなきゃならないんです? 助けが来たと思わせる手口は常套手段ですよ。今の僕なら幻覚も見るでしょうし」
「これを説得するのは大変そうだな。それよりお前さん、異端審問院に魔族もどきがいた理由を知ってるか? これはオレのカンなんだが、ハルカが狙われてるんじゃねえか?」
セシルが笑ったように体を震わせた。
「ふーん?」
あくまで話さないセシルにイーディスは呆れた顔になった。
「ハルカを連れてきて正解だな。まあ聞くだけ聞けよ。問題はだな、ハルカがそいつのことを、いい奴なんじゃないか、って言ってることなんだ」
「………………」
沈黙。
「死にてーならほっといてやるけどよ、お前がいねーとたぶんハルカはーーんー、どうなっちまうかな〜。とにかく俺様の忠告に耳を貸しやしねえのよ。まったく、困ったちゃんだな」
「魔族にとって彼女はエサなんですよ。それに都合も良い。殺されはしないでしょう。彼女は世界にあいた穴のようなもの。《魔霧》のようなものです」
「ふーん? なんだか分からねえが、俺様だってテメェの国の戦でいそがしーのよ。そろそろ行かなきゃならねーが、ハルカをほっぽって行くにはちと心残りでな」
「え、イーディス、もういなくなるの!?」
ハルカがびっくりして言う。それに対して、イーディスは首を横に振り、静かにするよう身振り手振りで伝えてくる。
「ハルカもそこにいるのか」
「ホラ、死ねねえだろ」
「ちょっと動けないので……顔、見えるところに……」
ゼエゼエという息。イーディスにうながされ、慌てて下からセシルを見上げる。
「すみませんが、縄……」
「よし、やる気になったな。ハルカ、どいてな」
イーディスが縄をぶった斬り、セシルが床に落ちる。ただちにイーディスが応急手当てを始める。
「背中の裂傷、肩関節の脱臼、足も潰されてるな、肋骨が折れてて肺に穴があいてたらヤベエぞ……ハイ、右肩関節の整復終わり」
ブツブツ言っているうちにセシルの肩がガコッと変な音がした。
「もう片方いくぞ」
「手の関節もぐちゃぐちゃで痛いのでもう少し丁寧にお願いします」
文句をたれるセシル。
「内臓にもダメージがあるとみたほうがいい、声からして食道も裂けているかもしれん。熱も出ているな」
言っている途中でまたガコッという音。
「いいか脱臼の整復はいてえから、1,2,3の2とかフライングしてやるといいんだ。覚えとけよ」
ハルカにレクチャーするイーディス。
「どこもかしこも痛いのであんまり関係ないような気もするセシルです」
「おい、立てるか」
「足首も脱臼してるかと……とにかく足の感覚がないので立つのは難しいですね」
イーディスはセシルの足を見た。見た目には、ハンマーでめちゃくちゃに叩かれたあとみたいになっている。
「これでも魔導で治せんの? 骨粉々だぞ? すげー技術だな……」
イーディスが呑気にセシルの怪我をマジマジ見てるので、ハルカはだんだん焦り始めた。
「はやく逃げようよ。それにイーディス、セシルは助かるの?」
「助かるさ。死ねない魔法かけたから」
セシルが充血した目で天を仰ぐようにした。
「イーディスも魔法が使えるの?」
「なーに言ってんだボケ。こういうときはな、執念でとどまってもらうしかねえんだ。死ぬ体だと分かると、途端に怯えて投げ出すやつと、死なねえって執念燃やすやつとで生き残る確率はかなり違う。そしてこいつはこの状況自体は慣れっこだろ。それで生き残り続けるんなら、そこに死ねねえ理由があれば、限界までは保つさ。今死んでねえのが何よりの証拠だ。だからハルカ。お前はセシルに顔見せてろ。手を握ってろと言いたいところだが手は足と同じでダメだしなあ」
セシルがフッと笑った。
「痛みなんか感じないですよ」
「おっ? それはハルカに手を握っててくれっていうおねだりか〜?」
「なんとでも言ってください」
軽口を叩きながらちゃっちゃと包帯を巻いていくイーディスの手際がすごい。戦場で、魔導なしで戦うからこそ身についたものなのだろう。怪我すれば魔導で治せばいいーーそんなふうにかまえているアザナルたちとはまた違う迫力があった。
ハルカはセシルの横で何もできないでいて、とりあえず遠慮気味に手は避けて前腕あたりに触れた。
流れ込んでくるよく分からない感情。自分のものなのか、セシルのものなのかもよく分からない。
だってそれはその場にまったくそぐわない感情だったのだ。
それはただ単に、愛しい、という感情だった。
それが唐突にブツっと途切れた。セシルが意識を失ったのだ。
「まー、そうなるよな。大丈夫、気が抜けただけだ。とにかくやれることはやった、あとは逃げてからだな!」
イーディスがよっこらしょ、とセシルを担いだのだった。
つづき
前回
最初から読む
目次
登場人物
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?