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消えた木曜日

歳を取るにつれ、時の進む速度が増すことは広く知られている。
もちろん、実測ではなく体感としてではあるけれど。
それについては深く共感するところでもあり、「あぁ、もう金曜か」とか、「えー、また月曜?」といった余計なお世話の七日間が指標となって付きまとう。

考えてみれば、子どもの頃は一日のすべてが自分のものだった。
学校の時間は決まっていたけれど、そこから頭の中だけ抜け出してふわふわと思いを巡らすこともできた。
頭の中の時間にはいつも、「ご自由にどうぞ」と札が下がっていた。
ところが、大人になるにつれ、自分の頭に他の誰かの時間が入ってくるようになる。
仕事仲間の時間、お客さんの時間、恋人の時間、子どもの時間。
誰かのために開けておく時間が増えるたび、自分の時間は狭くなってゆく。
限りある空間が小さくなれば、同じことをこなしていても、自然とサイクルは短く早くなる。

自分の時間は今どれほどの大きさなのか。
ずいぶんとこじんまりしているのではないか。
人の時間にギュウギュウ押されて、抜け出す隙間もない。
頭を半分に切ったところでわかるものではないけれど、できることならちょっとひとつふたつ不要な時間を取り除きたくなる。

週末はゆっくりしたいから、手早くできる食事にしよう。
頼まれていたものを買い忘れた。
明日は出勤したらすぐあの作業の対応をしなければ。

そんなことを考えていたら、明日の夕食の材料を買い忘れてしまった。



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