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七不思議④~沈む巨像 沈まぬ太陽

ギリシア ロードス島の巨象

現地の店に売られていた当時のヘリオス像をイメージしたポストカード

 エーゲ海の東に浮かぶロードス島。中心地ロードスタウンの港にかつてあったというのが太陽神ヘリオスの巨像。今は跡形もありませんが、在りし日を想像しつつ…といいますか、太陽神といえばアポロンが有名ですが、ここではヘリオス。後にアポロンもヘリオスも同一の太陽神として習合されたようです。

 その巨像がなぜ造られたかというと・・・紀元前323年にギリシアから中央アジア、インダス川流域(現在のパキスタン)まで一代で征服した名高きアレクサンダー大王が死ぬと、その将軍たちが後継権と領土分割を巡って争い(ディアドコイ戦争)、ロードス島民はエジプトを獲得したプトレマイオス将軍に協力しました。大王の部下でマケドニアやアナトリアを支配していたアンティゴノスはこれを良く思わず、ロードス島を攻めました。

 島民はこれを撃退し、太陽神ヘリオスに捧げる高さ50m(台座含む)の巨像を建設し前284年に完成しました。しかし58年後に地震で倒壊したそうです。先に紹介したポストカードのように、港の入り口を跨ぐデザインだったのか、そうでなかったかは不明ですが、その後も残骸が残っていたようですが、7世紀にイスラム系のウマイヤ朝の支配が及ぶと、商人たちがその残骸を売り払ってしまい、現在は何も残っていません。

 港の入口を跨ぐデザイン説はあまり支持されていないようです。それでもニューヨークの自由の女神像のような巨像があったことは間違いなく、ランドマークとして来島者の目をひいたのでしょうね。

 ヤマザキマリさん、とり・みきさんの漫画「プリニウス」には、この巨大像が倒壊した後、海に残骸が残っているシーンが描かれていました。こうして漫画で紹介していただけると嬉しいですね。

ロードスタウンの背後の丘の上に残るアポロン神殿。

 ロードス島がどんな島かといえば、まず古代ローマ時代は学問の島として有名で、多くの留学生を受け入れたそうです。かのユリウス・カエサルも来たそうですよ。

アポロン神殿遺跡の周辺には戦車競技場や観客席などが復元されていました。

 ヘリオス像の話は逸れますが・・・14世紀になると、十字軍の一派、聖ヨハネ病院騎士団がここを拠点にしました。元々は11世紀からの十字軍運動に加わり、テンプル(聖堂)騎士団などと共にエルサレムに駐屯して防衛や診療などを行っていましたが、イスラム軍との戦いに敗れてキプロス島へ逃れ、ここロードス島を拠点に「ロードス騎士団」として再出発しました。オスマン帝国領土の目と鼻の先にあるため、「キリストの蛇どもの巣」「トルコの喉に突き立てたナイフ」なんて言われるほど、イスラム相手に大暴れしましたが、1522年、オスマン帝国のスレイマン大帝に敗れて島を去ります。

 騎士団は拠点を求めてヨーロッパをさまよった挙句、マルタ島を得てマルタ騎士団として再々出発。ロードス時代に若き騎士だったジャン・ド・ラ・ヴァレッタ・パリゾンはマルタ騎士団長として、1565年、マルタ島を襲撃したオスマン帝国を撃退。ロードスの借りを返すかたちとなりました。。マルタ共和国の首都名ヴァレッタはこの人の名前からです。(塩野七生さんの小説「ロードス島攻防記」より)

 マルタ騎士団はナポレオンによって征服され、騎士団はまた流浪の身となりましたが、2022年現在も「ヨハネ騎士団」はイタリアのローマを本部に「独立国」として存続しています。まさに沈まぬ太陽のごとし。

 現在もロードス島内には騎士団の城や見事な城壁、病院、宿泊施設などが残っています。オスマン帝国時代の名残のモスク跡などもあり、観光客にも人気の島です。

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 ◆私の歩き方:ロードス島へはアテネから飛行機、長距離フェリーなどで行けます。私はアテネのピレウス港から大型フェリーに一晩中乗って到着しました。3日ほど島内を観光し、出るときは飛行機でクレタ島へ向かいました。

表紙の写真=海から見たロードスタウン。
ここにヘリオス像が建っていたのかも?と港到着前から妄想爆発

(訪問日:2016年9月15日)

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