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【日本神話⑧】国譲り 剣豪の社

 前回の「国譲り」では、武神・建御雷之男神(タケミカヅチノオカミ)について、茨城県の鹿島神宮と共に紹介しました。今回は、日本書記でタケミカヅチと一緒に出雲に行った経津主神(フツヌシノカミ)ゆかりの千葉県の香取神宮に行ってみましょう。

千葉県香取市の香取神宮の鳥居と総門(2013年8月13日撮影)

 「国譲り」の章でフツヌシは古事記には出てこず、日本書記では最初に声がかかったのがフツヌシだそうです。それを聞いたタケミカヅチが同行を懇願したようです。高天原軍としては総大将がフツヌシで、筆頭将軍がタケミカヅチという関係になるのでしょうかね?

香取神宮の赤い楼門(同日撮影)

 日本書記では「国譲り」について大国主命(オオクニヌシノミコト)ら出雲側と争いは起きず、話し合いの末にすんなりと成立します。フツヌシについては、宝剣を神格化したものだとか、古代大和王権で武官としても名高い物部氏の祭神ともいわれます。フツヌシを祀る香取神宮が、タケミカヅチの鹿島神宮と利根川を挟んで向かいの地に建つことからいずれにせよ、武神の双璧といったところでしょうか。

香取神宮の本殿・拝殿は改修中でした(同日撮影)

 工事用の幕の向こうにうっすらと荘厳な建物が見えますが、鹿島、出雲、伊勢と同じく改修期間中だったのが残念です。それでもしっかりとお参りして来ました。

香取神宮の神楽殿(同日撮影)

剣豪も帰依 日本の兵法発祥の地

 日本神話の話から逸れてしまいますが・・・鹿島神宮と香取神宮は日本史の剣豪たちにもゆかりある神社です。なにせ武の神様の神社ですからね。武道は相撲もそうですが、神社とも密接に関わっています。

京都の鞍馬駅前にある天狗のモニュメント(2018年8月9日撮影)

 まず、剣術・剣道の源流をさかのぼっていくと、京八流と東国七流に行きつきます。京流は平安末期に鞍馬山中の天狗こと鬼一法眼(きいち・ほうがん)という正体不明の怪人?破戒僧?が創始したといわれる剣法。牛若丸(源義経)も彼に武術を習ったといわれています。その後8人の弟子が継承したそうです。戦国時代末期から江戸初期にかけ、宮本武蔵とも戦ったといわれる吉岡拳法(清十郎)も京八流の流れを汲むそうです。

 これに対して東国七流は鹿島・香取の社人(神職)らが創始し、7人によって継承・拡大したといわれています。これを背景に室町時代初期に登場したのが飯笹長威斎(いいざさ・ちょういさい=1387~1488年)。足利将軍家に出仕した後に帰郷し、60歳頃に鹿島と香取の剣法を基に「天真正伝香取神道流」を興しました。一般に「しんとう流」として広まったそうです。長威斎は100歳近くまでの長寿でした。

 新陰流の創始者・上泉信綱(かみいずみ・のぶつな)も、この流派の門を叩いたそうです。上泉信綱の弟子が柳生新陰流の柳生宗巌(やぎゅう・むねよし)と宝蔵院流槍術の胤栄(いんえい)というのは有名ですね。井上雄彦先生の漫画「バガボンド」を愛読していれば知れたことです。

香取神宮の御手洗池(2013年8月13日撮影)

 飯笹長威斎の流れを汲む剣豪として有名なのは、塚原卜伝(1489~1571年)。鹿島神宮の神職の家に生まれ、地元豪族・鹿島氏の家老の家柄だったようです。天真正伝香取神道流を学びつつ、自流の「新当流」を興しました。新当流は13代将軍・足利義輝や伊勢の国司で武将の北畠具教(きたばたけ・とものり)に受け継がれ、卜伝は二人に秘伝の「一つの太刀」を授けました。

 余談の余談ですが20年ほど前、ヨーロッパからの帰りの飛行機(ドイツ・フランクフルト発ー成田行き)で、隣に座った白人系の男性(20~30代くらいか?)が、蛇腹折りの和紙を開いて眺めていました。横目でチラ見すると、そこに「天真正伝香取神道流・印可目録」と書いてありました。人見知りな私はそれについて話しかけはしなかったのですが、驚きましたね・・・欧州にまで伝わっているのでしょうか?

 と、ウンチクは尽きないのでここまでにします。鹿島神宮、香取神宮とも剣豪好きにはたまらない神社でもあるというわけです。さすがは武の神様。日本神話と離れてしまいましたが、剣の歴史というのも興味深いところです。では次回は、もうひとつの日本の伝統武道である相撲の起源を「国譲り」の歴史から見ていきたいと思います。

香取神宮↓

表紙の写真=香取神宮総門(2013年8月13日撮影)


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