友達と言う存在
人と会った後はいつだって生命力持ってかれて、疲弊しきってしまう。
気心の知れた友達の前でも「完璧でなきゃ」って気持ちがいつだってあって、遊んだあと解散してその帰り道に放心状態になるとか普通だし、「アクティブな人ってホント凄いなぁって」ってずっと思ってる。
別にインドアではないし、寧ろアウトドア派なんだけど、それは大人数でバーベキューするとかって事では無くて、私は少人数でまったりお出かけしたり観光したいって感じ。
「人は好きだけど嫌い」。私が昔からずっと言い続けてきたことだけど、いくら説明してもあまりピンと来てくれる人には未だに出会えない。でもHSPという特性を知って、「あっ、これもしかしたらHSPの人には分かってもらえるのかもしれない」って最近気づいた。
会社を辞めて無職になって、コロナが流行って仕事が決まらなくって、最近精神不安定でマジどん底状態なんだけど、先日あまりに辛くて友達に連絡してしまった。
前述にも述べたとおり、私は人付き合いが得意ではなくて、HSPとくいうの「誰かと会った後の気疲れ」を考えると人との交流に積極的にはなれなくて。
自分から連絡を入れることも無く、そしたらいつしか疎遠になって、誰とも連絡を取らない大人になっていた。
人に弱みを見せないって昔から友達の前でも頑張って来てたのに、此処まで落ちて縋るものが欲しくてたまらなくって連絡をいれたのだ。
HSPの「大丈夫」は「大丈夫じゃなくてもなんとかする」の「大丈夫」で。「大丈夫じゃない」っていう時はもう終わりの時だったりする。
助けて欲しくても「助けて」なんて言えなくて、だけど生まれて初めてかもしれない。友達に「もうだめかも」と弱音を吐いて、電話越しで泣いて、話を聴いてもらって。
「歳を取ると人は弱くなる」とよく言うけれど正にそれだ。だけどそのお蔭で私はたまった胸の内を話すことができた。
子供の時から大人っぽくて、大人になったら子供になった。盛大な赤ちゃん返りみたいだ。
友達に勇気を出して弱音を吐いて、改めて、友達の存在って本当に凄いなと思った。
狭く深く。この人のためなら命を惜しまない!って友達が片手で、いや欲を言えば両手で収まるくらいいればいい。
連絡なんて滅多にしないけど、それでも唐突に「よぉ!」なんて軽く連絡したら対応してくれる友達がいてくれることに本当に救われた。
死にたいし苦しい日々。でもどこかでまだやれる!生きていたら良い事がある!って望みを捨てきれない自分もいて。だからもう少しだけ頑張って生きたい。支えてくれた友達に今度は笑顔で「ありがとう」と言えるように。
星神侑兎
HSP気質な私に少しだけ救いの手を…。サーポートにより私に生きてる意味を頂けましたら幸いです。