電車のダイヤが変わることで生まれる綻び
先日JR西日本が終電の繰り上げを発表した。更に、始発の繰り上げも視野に入れているという。
時代の流れで、終電の時間が延び、始発の時間も早まった。それがまた昔に戻ろとしている。
延びたのにも理由があって、きっと戻したら戻したなりに適用して行けるんだと思う。
だけどそれはある一定の人の話で、時代の流れで出てきた黒い部分に関わる人はきっと苦悩するんだろうなと。
始発や終電に乗ることを余儀なくされた人々にとっては、その変動があろうと「意地で来い」「タクシーで来い」「ネカフェに泊まろう…」そういう日常が始まってしまうのだろう。
どこかで生まれた綻びは必ずどこかに影響する。
小さな綻びを見て見ぬふりするのが当たり前の世の中になってしまった。
多数決で少なかった方は「少」が有ったことすらなかったことにされてしまう。
一度大きくしてしまった箱の容量は、どうやったって変わらない。
進化で生まれた利便性を人は欲せずにはいられないのだ…。
「皆が倖せ」なんて世界は、夢のまた夢でしかないのだろう…
HSP気質な私に少しだけ救いの手を…。サーポートにより私に生きてる意味を頂けましたら幸いです。