集団内で気の利くトークはできないけど、1対1での深い話は苦手じゃない(Twiterとnoteに寄せて)

Twitterのタイムラインを見てると、自分が何も発言できずにどんどん会話が流れていくのを傍観するだけの人になってます。そしてどんどん口が重くなり、ツイートできません。

その場のノリでわっと盛り上げるトークが上手い子、中高時代のクラスメイトにもいたけど、私はTwitterでたくさんリツイートやいいねがつく人の発言を見ると、その子たちのこと、そして、輪のはしっこにいて、ニコニコ誤魔化し笑いをしてるだけの思春期の自分をふと思い出します。

もちろんTwitterでバズっている人たちの多くが「私そんなタイプじゃなかったよー」と仰るかもしれませんが、でも、短い会話で場を盛りあげるためには、ウイットというか、言葉選びというかの才が必要で、それが教室の中にしろTwitterというSNSの中にしろ、発揮されているというのはなかなか素敵なことだと思います。

集団内の会話では透明人間になりがちな私ですが、1対1、サシでの会話はわりと好きだったりします。お茶やごはんに誘ってくれた奇特でありがたい人の意識が、基本的にサシの場では私だけに向けられているので、安心してなんでも発言することができます。

相手の話をじっくり聞いて、考えぬいたレスポンスを返したり、集団の中ではないので、自分がテンパらないで、相手を笑わせる会話をしたりということも、余裕があるためできたりします。

この時間の流れ方は、noteに似ている気がします。twitterは刺激的ですごく楽しいSNSだけど、140字制限では、誤読や誤解をも生んだりします。私はだから、言葉を尽くして書けるnoteのほうが、Twitterより合っているように思えます。

Twitterは、集団のトークの中に自分のトークをすべりこませる感じだけど、noteは画面の向こうのただ一人の読者を思い浮かべられるというか。

体内時間も、Twitterを見ているとせわしなくなる気がして、逆にnoteに戻ってくるとゆっくり流れ出す。noteはいつもだいたいゆっくり時間が流れる気がして好きです。

noteはだから、深い話も言葉を尽くして書けるのですよね。サシでの会話のように。Twitterでもスレッドを重ねて、長いツイートを読める仕様に最近なりましたが、ブログ形式のnoteのほうが、やっぱり長いものを読むのには適しています。

いつもにぎやかなツイッタランドを「楽しそうだなー」と眺めながら、やっぱり今日もnoteを開き、何を書こうかわくわくしている私です。

Twitterの発言はいつも緊張するというか気が重いというか面倒なのですが、これも個人の特性、というか最近は「おもしろいこと役立つこと笑えることツイートしなきゃ」のハードルが年々上がっているようで、なかなか今日も今日とて黙りこくっていました(笑)

自意識過剰? そうですね。最後にはそうまとめられるようで、何も言えない私です。






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