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2015年6月の記事一覧
【小説】きれいな物語はどこにもない(下)
ドロップアウトした人間が、もう一度社会のレールに乗るのは、とても難しい。その理由が、自分ではコントロールしがたい病気だとしても。
妹が出て行って二か月が経ち、私は相変わらずバイトの面接に落ち続け、心療内科に通う日々を送っていた。食べ吐きはやめようとしたが収まらず、もっと頻度が高くなり、衝動的になっていた。歯ですりむいた手の甲を口にいれるたび、血の味がした。それでも、私は吐き続けた。私が吐き出した
【小説】きれいな物語はどこにもない(上)
平日の心療内科は人が少なく、私は待合室のソファに腰かけて、すぐそばのラックに置いてある料理の雑誌を見るともなしに見ていた。ぱらぱらとページをめくると、にんじん特集をやっていて、キャロットケーキの写真が目に入った。普通の子なら「おいしそうつくりたい」とか「食べたいけどつくるのがちょっと面倒だな」とかそんなことを思うのだろうか。私は、食べ物との正常な関わりかたを忘れてしまった。拒食症と過食症を繰り返し
もっとみる【小説】ふたり(下)
「店はいつから開けるん」
「まだ。父さんの味と一緒なものがつくれてない」
「ちさとの味じゃなんでいかんの。俺は、ラーメンも、ほかのも、うまいと思うけど」
「なんでって言われても。常連さんに申し訳ないよ」
「なあ」
ふいに目の奥を見つめられて、言われた。
「ちさとが本当にやりたいことはなんなん。親父さんが好きだったから、店を継いであげたい。その優しい気持ちはわかるよ。でもちさとは、人のことばっか
【小説】ふたり(上)
厨房に立っているとき、思い出すのはいつも父の背中だ。ラードを入れて煙がたつほど熱したフライパンに、キャベツともやしを放り込んでひとふりする。使いこまれた鉄製のフライパンは、たぶん父がこの小さなラーメン屋「天竜」を身ひとつで始めたころから、ずっと変わらず使っていたものだ。このフライパンと、厨房付きの店を私にゆずるのを決めて二か月後、父は帰らぬ人となった。末期の胃がんだったのだ。
「女がこんな力仕事