さよならの白魚|ショートエッセイ
朝起きると、メールが一件入っていた。
学生時代の恩師からの、卒業以来のメールだ。
「お知らせしておこうと思うことができてしまいました」
いつもとは違う、おかしな言い回しに首を傾げた。
学生時代には、よくその恩師と私の友人とで飲みに行った。宴会の最後は、なぜか決まって一本締めだった。
教育者らしからぬテキトーさと、教育者らしい情熱を持ち合わせていて、学生からの信頼は厚かった。
久しぶりのメールで呼び出され、昔の友人と一緒に中洲で待ち合わせをした。
メールには末期の癌であること、抗癌剤治療も見込めないこと、余命は3ヶ月と告げられたことが綴られていた。
奥さんを連れて、中洲の真ん中に恩師が現れた。出会うなり、ついてくるように、と手招きされた。
馴染みの店と思われる寿司屋の前で、「最後の晩餐だ」と笑った。
暖簾をくぐるその背中は、少し、痩せていた。
恩師は大将に「ちょっと、この子たちに良いやつ食べさせてやってちょうだい」とだけ言って、席に座った。そんな注文の仕方もあるものかと驚きながら、私たちは病に冒された恩師を前に、磨き上げられた木の椅子の上でお尻をもぞもぞさせていた。
恩師は突然壁を指さして言った。
「そうだ。博多の春と言えば白魚」
振り向くと、墨で書かれた「白魚 旬」の文字がある。
白魚の踊り食い。
聞いたことはあっても、実際に食べたことはなかった。何事も経験だと諭され、私たちの前に白魚の入ったお皿が並べられた。
お皿というより、水槽だ。群れの中からそっと一匹を掬い、酢醤油の豆皿に移す。すると、さっきまでスイスイと優雅に泳いでいたのに、大暴れだ。お箸ではつまめそうにないので、豆皿に直接口を付けて吸い込む。白魚は暴れたまま、口の中に入り、喉の奥へと消えた。
隣では友人が酢醤油から逃げ出した一匹を素手で捕まえようとしていた。これを美味しい、と言えるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだったが、踊る魚を酢醤油と一緒に啜るという一種のアトラクションは楽しかった。私たちはなぜここに座っているのかを束の間、忘れていた。
「それでね」と恩師は口を開いた。
癌が見つかるまでの経緯、そして見つかった今、どのように残りの時間を過ごしたいと考えているかを語り始めた。話しながらも恩師は、上手に生きた魚を口に運び続けている。
軽い口調で自身の死について語る姿に、思わず胸が詰まる。
下を向けば、白魚。
掬おうとすると、お皿から飛び出した。
おしぼりで顔を拭う。
水飛沫が、顔に掛かっていたわけではなかった。
恩師は、宣告されていた3ヶ月よりも半月、長く生きた。
「葬儀はウェルカムドリンクを用意して、立食パーティー形式にする」とお寿司を食べながら語っていたが、それは自分の薄くなった頭を笑うのと同じ、冗談だった。
博多の春と言えば白魚。
季節が巡る度、あの最後の晩餐を思い出すのだろう。
あの時、白魚と一緒に、さよならも飲み込んだ。
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