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完全帰国日記④


この日のオークランド〜成田便のフライトの乗客は、機内アナウンスによると、なんと30人だった。
「貨物の運搬のついでに乗客も乗せました」的な少なさである。その殆どは日本人か、日本人をパートナーに持つKiwiだった。

赤ちゃん連れも3組ほどいた。(そのうち2組はママと赤ちゃんだけだった。)みんなそれぞれの事情で、出入国の高いハードルを覚悟して日本へ向かっているのだと思うと、なんだか親近感が湧いてくる。あの人もこの人もみんな、スムーズに入国出来るといいなと思う。

乗り物酔いの薬が効いてきたのか、それとも睡眠不足のせいか、ムスメはフライトの前半を爆睡して過ごした。最初の機内食は好きなものだけ、よく噛んで、ゆっくり食べるよう指示をしたら素直に従っていた。その後も気持ち悪がる様子はない。

水分を摂って、寝て、トイレに行って、寝て…やがて元気になった。若いって素晴らしいとホッとする。

私はニュージーランド航空機内のフリーWi-Fi(太っ腹!)を使って、朝からの一連の出来事をDMで友人に愚痴ったり(私も人間だもの。愚痴らないとやってられない)、オットに「あの状況で怒らなかった私、偉いよねー」と恩を売りつけたり、機内エンタメで音楽を聴いたりしていた。

ニュージーランド航空の機内エンタメの日本のミュージックのコーナーは、なぜかこの5年ほどずっと同じラインナップだ。
私は毎回ドリカムのベストを聴く。
私がドリカムを聴いていたのは大学生の頃なので、分かるのは30年ほど前の楽曲のみ。
それらをひたすらリピートして聴く。
遠い思い出の中の曲は優しい。
50歳にもなると思い出が渋滞しているので、ちょっと思い出そうとすると、芋づる式に次から次へと思い出が溢れてしまう。
あふれ出た思い出は、ごちゃ混ぜになって、輪郭がぼやける。
曖昧さと優しさは似ていると思う。

これからはきっと、ドリカムの曲を聴くと、ニュージーランド航空とニュージーランドのことも思い出してしまうだろう……と思っていたのだが、この2年半の間に1回も聴く機会がなくて驚いている。テレビを見ないせいか。

私は飛行機の座席を予約する時、必ず最後尾の方の席を選ぶことにしている。墜落するような事態になった時に少しでも助かる可能性が高い(らしい)席を選びたいのだ。たとえそれが誤差の範囲ほどの可能性だとしても。

そんなわけで今回も最後尾の席だったのだが、すぐ後ろは客室乗務員さんたちの控室みたいになっていた。
なにせ乗客の人数は30人なので、機内食のサーブもあっという間に終わる。そりゃあお喋りする時間も増えるだろう。
客室乗務員さん達が和気あいあいとしている気配というか声が聞こえてくるので、微笑ましく思って振り返ったら、なぜか渋いKiwi男性乗務員がユニフォームのシャツを着替えているところだった。(サーブ中に汚れたらしい)
ゆる過ぎるところがとてもニュージーランドっぽい。こんなフライト、もう二度と体験しないだろう。

私もムスメも何度もうたた寝をしたせいか、約11時間のフライトも今まででいちばん短く感じた。
ムスメの体調もすっかり元通り。
家族三人そろって、着陸後の勝負(入国審査)に向けて体力は温存してある。
オットは書類の再チェック。
ある意味、これからが本日のメインイベントだ。

成田空港に着陸したのは日本時間の夕方5時。ニュージーランド時間の夜の9時である。

ちなみに我が家の普段の就寝時間は夜10時……。つ、つらい。

飛行機を降りた私達は、停止した「動く歩道」の横へ案内され、間隔を空けて並べられたパイプ椅子に座るよう指示を受けた。

ニュージーランド便の乗客がその椅子に座るやいなや、検疫のスタッフの人達がゾロゾロと投入された。ほぼマンツーマンである。何種類もの書類、1人1台のスマホとQRコードがあるか等、怒涛の確認が始まる。

この頃の水際対策は刻々と変更されていたので、我が家の場合でも、オットが外務省のホームページを毎日のようにチェックして最新の情報を確認していたにも関わらず、そこには載っていない変更が2つほどあった。(ホームページの更新が間に合っていないという説明だった。)

そんなわけで。
この場で書類を1人2枚ずつ追加で書くことになったわけなのだが、そもそもが出国前に用意してある書類が複数あるうえに、チェックポイントを通過するたびに新しい書類やプリントが増える…。

それを各チェックポイントで手渡したり返してもらったりまた手渡したり返してもらったり、赤ペンでチェックが入ったり……

あのQRコードは何のためのものなんじゃーーー?

…と叫びそうになった。(たぶん現場の人達も思っていたであろう……。使わせてくれよ、と。)

オットも「この紙の束…日本に帰ってきたことを実感するなあ」と笑っている。(もう笑うしかない。)

それでもスタッフの方の仕事ぶりは、ニュースで聞いていたよりもだいぶ手慣れていて、チェックはスムーズに進んだ。

ただ…チェックポイントが多いので、ロールプレイングゲームかアメリカ横断ウルトラクイズっぽい。
歩く距離もトータルするとなかなかのもので、小さなお子さん連れにはキツいのではないかと思った。
うちの場合は、機内持ち込みの荷物が大きくて重くてなかなか大変だった。(自業自得)
しかも日本は寒いからと思って着込んだコートが途中から暑くて脱ぐ羽目になって、また荷物が増えた。

そうそう。世の中には想定外の発想の人というのが必ずいて、自主隔離の待機場所としてキャンピングカーを申告する人や(確かに人には会わずにいられるけど、位置情報で待機場所から離れていないかチェックしている立場としては微妙そう)、Wi-Fiの届かない山の中に滞在する人もいて(位置情報や毎日の健康状況が確認出来そうにない…)、担当の人が「ちょっと(上司に)確認してみますね」と困惑している場面もあった。
私達はその会話を横で聞きながら、「さすがニュージーランドに暮らしている人だな」と納得していたのだった。

諸々のチェックが終われば、あとは抗原検査の結果が出るのを待つだけだ。(30分くらい待つ)
この時点で確か18時半くらいだったと思う。
ニュージーランド時間の夜の10時半だ。

子どもだけでなく、大人にも疲れが見える。
言い争いが勃発している家族や、泣いている子もいた。

うちのムスメは……というと、日本の自動販売機に興味津々だったので、小銭を渡して飲み物を買わせてみた。なにやら楽しそうである。
ムスメはこういう長い待ち時間で不機嫌になることがほとんどないのだが、これはもうひとつの才能と言っても良いのではないだろうか。(親バカ。)

この時、私達が待っていた場所からワンブロックほど離れた所で、私達よりずっと前から待たされている人達がいた。
どうやら指定されたホテルで数日、隔離生活をしないといけない国から帰国した人達らしい。

彼らがいったいいつからそこで待っているのか分からないが、どんよりとした雰囲気が漂っていた。
アナウンスによると、隔離のホテルや移動手段の準備が出来ないと移動できないらしい。そして、それがいつになるのか、まだ分からないらしい。まじか……。

気の毒に思いながら、検査結果を待つ。
途中、少し離れたところにあるトイレに行ったのだが、待機場所以外の国際線出発エリアは灯りがほとんどついておらず(非常口を示す緑色のあれだけが光っている状態)、夜の病棟のように暗く、人もいなくて、こんな成田空港を見る日が来るとは思ってもいなかった。
まるでゾンビの集団から逃れるために、私たちだけ、此処に立てこもっているみたいだった。(でも、いずれ策が尽きる展開だろう……。こわっ。)

検査結果が出て家族全員陰性だったので、陰性証明書を貰う。
この証明書は入国ゲートの手前でも見せるし、帰国者用の巡回バス(1時間に一本出ている)に乗る時やホテルのチェックイン時、レンタカーのお店でも見せる必要があった。

最後の最後。抗原検査キット(入国3日目用)を受け取ってやっと入国ゲートに向かえる。

……と思ったら、今までさんざんチェックを受けてきた書類の書式が今週から変更になったから書き直してくれと言われてビックリ仰天する。

今まで受けてきたチェックはザルかーーー!誰も何も言わなかったぞーーー!

そもそも、この時点で書き直す意味とは???アリバイ工作か???

などなど、言いたいことは山ほどあったけれど、疲労困憊していたのでゾンビのような表情で書き直した。

嗚呼、こういう手段が目的化するところ!日本に帰ってきたなあ……と実感する。

腑に落ちない書類の書き直しを経て、やっと解放された場所、そこはなんと到着時に椅子に座ったところだった。

まさかの振り出し。

ここからまた延々と入国ゲートまで歩くらしい。

エンドレス系のホラーによくあるやつだ……。

結局、機内預け荷物を受け取って到着ゲートを抜けたのは19時半を過ぎた頃だった。(ニュージーランド時間の夜の11時半過ぎ……。)

でも、スーツケースは3つとも無事だった!
ありがとうニュージーランド航空!

スーツケース2つ(今度はしっかり鍵をかけた)と段ボール箱4つを宅配便で実家に送り、コンビニで飲み物とおにぎりを買って、帰国者専用のバス乗り場に着いたのが20時25分。

ついにニュージーランドでは日付が変わった……。

次のバスは21時15分なので、50分ほど空港内で待つ。待つ。待つ。
此処でもご機嫌なムスメ。すごいな、君。ニュージーランドの深夜1時だよ。

時間通りに来たバス(さすがだ)に乗ろうとすると、少し離れた所に別のバスが停まっているのが見えた。

そのバスにゾロゾロと乗り込んでいるのは、どうやら3時間ほど前に見かけた強制隔離の人達だ。
やっと隔離先が決まって、移動できることになったらしい。
あの人たちの隔離先が近いことを祈る。

成田空港からホテルまでは帰国者専用バスを使う必要があるのは事前に分かっていたので、私達は成田空港からいちばん近いホテルを選んだ。
しかし、車内アナウンスによると、バスの巡回ルートは、遠いホテルから先にとまると言う。
家族でうなだれる。疲労困憊で余力がないためリアクションも薄い。

結局、私達がホテルの部屋に到着して、全てを放棄した状態でベッドに倒れ込んだのは、23時をとうに過ぎた頃だった。
ニュージーランド時間の深夜4時まであと少し。
ニュージーランドのホテルで起床してから、24時間近く経っていたのだった。

何はともあれ、無事に入国できてよかった。
これにて完全帰国日記もおしまいです。
今や誰の参考にもなりませんが、お楽しみいただけたら幸いです。


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