ひっきーのにっき【フラメンコの世界】

ぼくはきょう、テレビでフラメンコのダンスを初めて見た。
フラメンコは、とてもきちがいじみていた。
なぜか、ひきこもりの僕は親近感をおぼえた。
とても速くて、細かいステップをならし
ときおり哀愁漂わせる、踊り手の表情。
手をたたいて、なにかにおわれるように追うように。
迫力はあるが、どこかせつなさを感じさせるギターの音。
柔軟で、寛容。ということばが似合わない、
きれのある動き。
踊り手はわかっているけれど、見ているものには、いつが終わりかわからない。だから目が離せない。

そのうえフラメンコは、安易な軽さをもたない。表現したいことを、すぐには出さないで、まずはためこむ。そして、あるときおもいきり、はきだして止まるんだ。
だけどためこんだ分だけ、果てしないエネルギーを生み出すことができるんだ。
それはそのぶん、ダンスの魅力になる。

情熱ということばは、いったいどこからやってくるのか。カスタネットのおとからくるのか。それともオーレの掛け声か?
ダンスの足ならしか。
いいや、それはちがう。
情熱という言葉は
涙で湿った
心の大地の上にうまれたのだ
ぼくのように、憂鬱な心の中のように。

そこへ、うたうたいがやってくる
さみしそうでいまにも涙がこぼれおちそうな心を、自然と乾かしてしまう、うたうたいたちの声。
それでも涙がこぼれるもので、うたうたいたちは、
ダンサーをつれだした。
ダンサーがおどり、うたうたいがうたう
ぽっと小さな火がついた
そして、ダンサーはギタリストをつれ、演奏させた
情熱の火は、ついに大きく点火した
フラメンコが大地を震撼させた
大地はすっかり炎につつまれ、そして
ただひたすら、泣き虫の僕の心の涙を乾かすためだけの存在となった

ぱち!
テレビを消された。早くねなさいと、いわれてしまった。
その瞬間!
ぼくの心はすっかり燃え尽きてしまったのであった。

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