【短編小説】神様はいませんでした
『神様はいませんでした』
あーちゃんはすごいね。これは何かあるたびにあんたが口にしていた言葉だけんど、私は、お世辞抜きにあんたのほうこそすごく完成された人間だと思うんよ。勉強もできて料理も上手で、男どもからの人気もあって、だからこそあんたがどうしていつも死のうとするんか、私はきちんと理解でいていなかったんかもしれんね。それは二〇歳を越えたいまでもまったく変わらん。
たんぽぽの綿毛が、ふわり、ふわりと宙を舞っています。捕まえようと手を伸ばしてみても、やつは私を嘲笑うみたいにあちこちを逃げ回ったあと、そのままどこかへ飛んでいってしまうんです。あんたと私の関係は、ちょうど、綿毛とそれを捕まえようとする子どもみたいなもんなのかもしれんね。
遠く、うちから電車でずっとずっと下った先には、昔私が住んでいた家があるんです。小学生のころに私が引っ越してきたんは、あんたも充分知っていることでしょう。転校してきたばかりでクラスに馴染めない私を気遣ってくれたんは、他でもないあんただけだったんでした。私は、あんたを救うために一度地元へ戻ろうと思うんです。
「本気で祈れば、いざというときに神様が助けてくれるんよ」
母がいつも手を合わせている仏壇には、神様の一部が宿っているそうなんです。そして、その神様の本体が、私の地元の神社に住んでいるらしい。だから私はあんたを救うために、ちょっとその神社に行って、本気でお祈りしてこようと思うんよ。そうやって語りかければ返事をしてくれるかもしれんから。私を待つ神様がどんなやつかは知らんけど、もし姿を現したんならちゃんと働けと尻を叩いてやるつもりです。
東京を抜けて背の高い建物が少なくなってくると、それに比例して車内の人数も減っていきました。片方が増えてもう片方が同じ割合だけ減る現象は、反比例じゃないんだよ。それは比例係数が負の数になっているだけで、比例なんだよ。これは、新聞記事を読んでいるあんたが口にした言葉でした。私はそれ知ってから、世界がもう一段階明るくなったような気ぃしていました。いまでも反比例という言葉を誤用する人を見て、得意げな気分になります。
最初の畑を通り過ぎて二時間が経つまで、私はずっと窓の外を眺めていました。建物の背が低くなると今度は山が背伸びを始めるから、不思議なもんです。世界中の白をぎゅっと凝縮したみたいな雲を見たとき、数年前にあんたが飼っていたハムスターのことを思いだしました。あのハムスターがもうすこし長生きしていたら、あんたがここまで自殺を日課にすることはなかったかもしれんね。そう考えると、なんだかもうすこしかあいがってあげたらよかったと思うんでした。
あんたが最後に自殺しようとしたんは、つい昨日のことでした。あんたの家に行くのがもう少し遅かったら、もう二度と言葉を交すことができんかったかもしれません。前の自殺が未遂に終わってからあんたは「どうせ死ぬなら、好きなことをしてみよう」といって小説を書き始めていたけんど、小説はあんたの生きる意味にならなかったんだね。
私はあんたに、死にたい理由を尋ねたことがあります。
「私は私が嫌いだから、自分を殺してしまわなければならないって思う」
上から目線みたいになってしまうけんど、私はその言葉聞いたとき、自分ならわかってあげられるかもしれないと思ったんよ。私も、自分を好きになれなかった時期がたしかに存在していたんです。
自分を好きになれない原因を考えることは簡単じゃなくて、その思考自体が自分を苦しめる可能性もあります。私の好きなあんたを嫌うあんたを、たしかに助けたかったんよ。生きている意味がないといつもあんたは口にしていたけんど、意味を持って生まれてくる子どもは王族か古くから家業続くうちの息子くらいなんです。そもそも人間に生きている意味を持たせること自体おこがましいことだと思うんよ。
だって、人間というのはたまたま生物の世界に上手くはまっているだけで、自分らが考えるような意味なんて本当はないんです。だから意味がほしかったら、自分のなかにぐっと押し留めて、一日を生き延びるための言い訳を作り続けるべきなんよ。
電車を降りると駅のホームに紅葉が一枚あって、人の影が落ちるたび、生理の血の色みたいになるんでした。ふと私は、人が自分を嫌いになるということを思いだしました。たとえば部屋の埃で曇った鏡とか、先にチークの粉の残ったブラシとか血の付いたナプキンとか、そういうもんに自分らしさみたいなことを感じて死にたくなるんよね。そういう細かいものに意味を持たせる必要はない。私はもっと早くあんたにそう言ってやればよかったと思ったんでした。
さて、駅から歩いて十数分、目的の神社が見えてきました。私がこうして神社へ向かっていることを知ったら、あんたは私が信心深い人間と驚くかもしれません。私は、本当は神様なんて信じていないんよ。でも、神様がいないとわかっていても祈らなきゃならんときがあるんだと思います。だから私はあんたが生きているのであればこうして神社へ足を運ぶ必要があったんでした。
真っ赤に塗られた鳥居をくぐると、そこには別世界のような空間がひろがっていました。私は日本古来のものがまとう雰囲気が好きなんです。人や草木だけではなく、空間自体がその空気に誘われて、遠慮するみたいに佇んでいる様子がこころを浄化してくれるような気いするんです。寺や神社にいる人のうちどれくらいが神様の存在を信じているんかはわからんけど、もしいるとしたらただの人間とそう変わらないと思う。神様が完璧な存在だとしたら、私たちのような欠陥品は生まれ得ないはずなんよ。
「神様、神様。どうかゆうちゃんをお救いください」
私は五円玉を賽銭箱に投げ入れたあと、二回手を叩いて、それからお祈りしました。あんたが死にたくならない世界を、私はたしかに作りたかったんよ。私を救ってくれたあんたが救われないのはどう考えてもおかしい。この話を聞いたらあんたは「五円玉って、『ご縁』に掛けてるだけだからね」って笑うだろうけんど、私にはできる限りのことを本気でするしか残されていなかったんです。大切なあんたをどうしても失いたくなかったんです。
脚がぼうのようになってきても、影ぼうしがどんどん長くなってきても、私は祈るんをやめませんでした。落ち葉が首筋に触れても声は上げず、ただただ手を合わせ続けていました。私がなにか苦行をすることで、あんたがすこしでも救われると本気で思ってたんよ。
私はあんたを食べてしまいたかった。何言ってるんか自分でもよくわからんけど、私はあんたをこの身体に取り込んで、希死念慮とかそういう悪い部分だけを消化して吐きだしてやりたかった。私の身体が壊れてもいいから、あんたを救いたかったんです。でも、私にはあんたにとっての救いが一体なんなのか、いつまで経ってもわかりませんでした。それに希死念慮を悪い感情というとあんたは絶対に怒ると思います。死にたいと思うことは悪いことじゃないし、苦しいことをちゃんと苦しいと思ってもいいんです。でも、私はあんたに生きたいと目を輝かせてほしいし、できるだけ苦しまずに生きてほしい。
結局、神様が返事をくれることはありませんでした。私を待っていたのは、からっぽの神社でした。ふわり、ふわりと綿毛が宙を舞っています。捕まえてやろうと手を伸ばして、ぐっと拳を握るけんど、そっと開いた手はなにも掴めていませんでした。ふわり、ふわり。綿毛は私を嘲笑うみたいに舞ったあと、本殿の祭壇のほうへ吸い込まれていきました。
あんたから電話が掛ってきたのは、ちょうどそのときでした。電話の向こうであんたは、新人賞を受賞したと嬉しそうに語っていました。そのとき私は、たしかにあんたの悪い部分がこの胃に入り込んできた気いしたんです。私は、あんたをようやく食べることができたんでした。
〈了〉
最後までお読み頂きありがとうございました。
こちらはエブリスタのコンテストで佳作をいただいた作品です。
小説はカクヨムをメインに活動しています。本作を含めた短編を『おやすみの唄』という短編集に載せています。他の作品も読んでいただけたら幸いです。
6月末、メディアワークス文庫さんの「3つのお題コンテスト」にて特別賞をいただきました。応援してくださった皆さま、選んでくださった選考委員の方々、本当にありがとうございます。
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