人に伝わるということ

自宅から出られなくてどうも鬱屈しますが、そういう時にどう精神をコントロールして正常に戻すのか、自分なりのやり方というものを持っておく必要を感じています。

最近の私の好みは、昔の競馬の動画、特に杉本清アナウンサー実況の動画を見ることです。自分が一番競馬にはまっていた90年代のレースや、そのころ読み漁り見漁ったそれより過去の名勝負の動画を見ると、中高生のころの思い出が色づけしてくれ、程よいノスタルジーとともに少し泣けてきて、気持ちがすっきりとするのです。

杉本清アナウンサーは言うまでもなく競馬実況の神様で、2000年頃より前に競馬を見ていた人なら誰でも知っていると思います。とくに有名なのは、とっさに出る数々のキラーフレーズ。

「金襴緞子が、泥にまみれてゴールへゴールへと向かいます」

「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ」

「雪はやんだ、フレッシュボイスだ」

そんな言葉の選び方、普通はしませんし、とっさには出ません。こうした数々の名フレーズは「杉本節」と言われ、空前にして絶後の競馬実況の神様として名を残す所以となりました。

私が特に良いと思うのが1600mと3200mの実況です。1600mのテンポの良い言葉運びには音楽性があり、3200mの落ち着いた言葉運びは詩的です。有名になった名フレーズのないレースでも、とても心地よく耳に響きます。

ただ、改めてその実況映像を見返してみると、実は上手とは言い難い。ちょくちょく噛みますし、言い間違えや見失いもある。しかし、それがかえってレースがもたらすリアルタイムの緊張感を伝え、レース結果を見るだけでは現代に伝わらないその時の空気をタイムカプセルのように残してくれています。まれに絶句してしまうこともあります。普通実況アナウンサーが絶句するなんてことは許されないかと思いますが、その絶句の間の取り方が最高です。

例えば1996年春の天皇賞。前哨戦の阪神大賞典で前年の年度代表馬マヤノトップガンとの火の出るようなマッチレースを制した2年前の三冠馬ナリタブライアン。多くの人は三冠馬の完全復活やマヤノトップガンとのライバル対決の再演を希望していたはずです。実際レースはその希望通り4コーナーから直線にかけてナリタブライアンとマヤノトップガンとが競り合いとなり、そして競り潰したナリタブライアンが勝利に向けてゴールへひた走ることになります。しかし最後になってサクラローレルが後ろから迫ります。その瞬間、多くの人がナリタブライアン頑張ってくれ、と思ったはずですが、その思いをサクラローレルの末脚は打ち砕きます。物語のある馬であったナリタブライアンの新しい1ページを、物語を持たないサクラローレルが引き裂いたのです。その無念さを反映して杉本清アナウンサーは絶句しました。言葉にするとこれほどの語数を要することを、わずか1~2秒の絶句によって表現しています。

アナウンス技術は今の現役アナウンサーの方が上なのかもしれませんけど、心に伝わるのは得てしてそういう人間味やライブ感のある実況なのだろうと思います。

実は高校生の時、縁あって杉本清アナウンサーにインタビューをさせていただいたことがあります。お忙しい中、1時間以上にわたり様々な話を聞かせてくださいました。ご自身の著書にも書いておられますが、いわゆる杉本節は「こういうことを言ってやろう」と準備していたものは受けが良くなく、有名となったのは全て何かの拍子に「言ってしまった」言葉ばかりだ、とおっしゃっていました。

その時はお話していて何とも言えない落ち着き、山奥で波のない泉を見たような静けさを感じたのですが、一方でレースになるときっと競馬が好きで、のめりこんで、熱くなってしまう、その感情が言葉に出てしまうという、静けさと熱さの二層構造になっているからこそ、数々の名実況が生まれたのだと感じられました。

さて、こうしたお話を私のこのnoteの最初の投稿に選んでしまったわけですが、これはまさに何かの拍子に選んでしまっただけで、狙ってやったものではありません。

匿名にこだわることもなく実名にこだわることもなく、テーマにこだわることもなく、その時々の自分の好きなことを書いていくつもりです。でもまぁ、医学の話が多くなるでしょうかね。誰かに伝えるように書きますが多くの人に読んでいただくことを目指すわけではなく、偶然読みたい人に出会って伝わったらいいかなと思っています。伝える相手を想定していないのに伝えようと書くとどうなるのか、自分にとってはちょっとした実験でもあります。

昨今は新型コロナウイルスが蔓延し、それとともにまさに玉石混交の情報が世にあふれ出ることとなりました。Infodemicという言葉も一気に市民権を得ています。そんな中で、医学的に正しいことが伝わらず、正しくないことの方が多くの人の心に響いているような例も多数見受けられました。その状況に心を痛め、多くの科学者、医師が、専門知識を持たない人に何とか伝えようとしている姿も多数見られます。

しかし、その努力の中で、どこかに「正しくない知識を駆逐しよう」という意識が働くと、「自分こそが正しい知識を持つものである」というように無意識に他者に対する優越感のはけ口になってしまうだけに終わることもあり得ます。受け取り手はそれを敏感に感じ取るでしょう。まさに、静けさと熱さの二層構造を保たねば、人には伝わらないと思うのです。

さぁ、私がそんな風に言葉をつづれるのか、どうか。わかりませんけど、まぁ始めてみるとしましょうか。うん、雨はやんだ。

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