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「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備すること  ② それができないと、いかに自分にとってマイナスか

「~~は、その時、こんなことを言ったのよ(或いはしたのよ)」という類の、いかに自分が嫌な思いを他人にさせられたか?という昔話を40年も50年も言い続ける人がいる。

気持ちはよくわかる。自分だってそうだ。

でも、聞く人にとってはなんのプラスも無い。
で、話す本人にとっても。

笑い話のネタならともかく、どこの誰かも知らない人、或いはよく知らない人の〈悪いこと〉を聞いたところで、よい気分にはならない。

もしかすると相手には「何の悪気は無く、たまたま状況やタイミングがそうさせてしまっただけのこと」かもしれないからだ。


第一、何十年も経ってから、そんなことを「もう済んだこと」と清算できていないと他人に悟られるのは、その人にとって大きなマイナス・イメージなのである。


時にそういう話をすることがあっても、いいだろう。
しかし、その結びには、「まぁ相手も悪気は無かったんだろうけど」とか「相手には相手の事情があっただけ、なんだろうけど」という言葉を添えると、聞き手は「この人は、懐の深い人で、なかなか含蓄のあるエピソードだった」と受け止めることができる。


また話し手にとっても、そういう風に言葉に出して結んでやることによって、心の中に「確かに、そういうことかもね」という納得、消化ができるものなのである。
一度しかない貴重な自分の字先生の時間を浪費しないためにも、「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備することをお勧めしたい。



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