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質素に慎ましく生活することは、実はあたりまえの事

「世界一貧しい大統領」として話題になった元ウルグアイのホセ・ムヒカ氏の記憶は多くの人の中にあるでしょう。

ムヒカ氏の述べることは、すべてもっともなことです。
しかし、このもっともな意見ももはや過去のものとして風化しつつあるのではないでしょうか?
相変わらずテレビ放送では、食べ物の大食いや食べ歩き、新商品の紹介・宣伝ばかりが垂れ流されています。

一方で、私たちの手中にあるスマホの中には、世界中の難民や食糧難に苦しむ人たちの悲惨な有様が次々に飛び込んできます。

事業で儲けた男が、100億もの金を払って、宇宙旅行をしました。概ね、賛同・羨望のコメントが寄せられているようです。
しかし、自分のお金だから何にお金を使おうが自由なのでしょうか?

100億もの「価値」は、実は今の世界に存在する全ての命の為のものではないのでしょうか?

2021年の現在、世界中の難民の数は8000万以上と言われています。
この8000万人に日本円の100億円を分配すると、125円もあります。日本円で125円ですから、このお金で助かる命も相当あるでしょう。

しかし、実際にそんな分配は不可能だとしても、そのような富を独り占めしている一握りの人間が、そのような試みをしようとしたなどということは聞いたことがありません。
それどころか、次の事業の為にプールしたり、買収に使ったりなど、欲望むき出しといった感じです。


ムヒカは、スピーチの中で、次の言葉を引用しています。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

この観点で言うと、恐ろしく貧乏で強欲な一握りが、世界中の富と資源を食い散らかしています。

「そこまで、やっていないよ!」という人でも、やはり「他人よりももっと欲しい。所有したい」と思う人が巷に溢れているようです。

なぜ正解中の8000万人やもっと多くの飢えた人や子どもたちに「分けてあげよう」と思わないのでしょうか。

質素に慎ましく生活すること」を実践する人は、偉いと言われたりするのかもしれませんが、実はそんなの「当たり前のこと」なのではないでしょうか。


お時間が許すならば、次のムヒカ元大統領のスピーチを今一度、読んでみてください。



ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領のスピーチ
【:2012年のリオ会議(地球サミット)にて】

会場にお越しの政府や代表者の皆さま。ありがとうございます。ここに招待いただいたブラジルと、ディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。

私の前にここに立って演説した、快きプレゼンターのみなさまにも感謝いたします。国を代表するもの同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。しかし、頭に中にある厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。私達の本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?

それは可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!

そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので、作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることに、お気づきでしょうか。

これは紛れもなく政治問題ですし、この問題を別の解決の道に進めるため、私たち首脳は世界を導かなければなければなりません。なにも石器時代に戻れとは言っていません。マーケットを再びコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス(古代ギリシャの哲学者 快楽主義の祖)、セネカ(小セネカとも:古代ローマの哲学者で、皇帝ネロの家庭教師を務めた)やアイマラ民族(南米の先住民族)までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

私は、環境に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。しかし、世界でもっとも美味しい牛が、私の国には1300万頭もいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は牛肉やミルクの輸出国です。こんな小さい国なのに、領土の80%が農地なのです。

働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では6時間だけ働く人が増えてきました。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。

こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分にこんな質問を投げかけます。

「これが人類の運命なのか?」私の言っていることはとてもシンプルなものです。

発展が幸福の対向にあってはいけないのです。発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。幸福が私たちにとってもっとも大切な「もの」だからなのです。

環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。





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