「老いては子に従え」よりも「老いては、子ども扱いを捨てよ」
「老いては、子に従え」については時代背景もあるので、一概には言えないと思いますが、もし冗談でも、そういう風に言われている人がいるとするならば、その人は、少なくとも子どもから、「いつまでも親だからと言って、親を振りかざし続けて、疎ましく思われている」と自覚した方がいいと思います。
私の教員時代の話です。
ある小さな離島に赴任していた教師時代、勤務していたある学校の校長先生が定年を迎えられました。その校長先生は、とっても人柄がよく、さっぱりしていて、よく生徒や職員のことを見ている素晴らしい人でした。
退職の宴の後、その島では校長を実家まで送るのがしきたりとなっていて、その時も教師数名で、その校長先生を実家まで送っていきました。
すると実家から、校長先生の母親が出てこられました。校長先生の母親ですから90歳前後だと思います。そして、送ってきた我々に向かって、こう言われました。
「皆さん、どうもありがとうございます。この子(校長のこと)は、~なところがありますから・・・」
決して、呆けて言っている感じではありませんでした。
その時は一同、苦笑して帰ってきたのですが、今思えば、あのお母さんは、これまでずっと校長先生の事を「自分の子ども」という扱いをしてきたのだと思うのです。
確かに60歳になろうが、自分の子どもは子どもに違いないのですが、「子どもが社会において一人立ちした」と判断できた時から、親は基本、子離れ・子別れしないといけないのであって、物理的に同じ距離にあったとしても、親だからという看板は下さなければならないのだと思います。
その看板を下ろさ(せ)ないと、上記のように様々な場面において、子どもにとってマイナスな言動や態度をしてしまうと思います。
「親として言わせてもらうが」
「お前も、親の立場になれば、わかる」
「ここは、俺の家だから」
「これは俺の遺言だから、ぜったい~するな(しろ)」
「生意気なことを言うな!」
・・・等がそうですね。
前述の逸話の中の「この子」もそうで、そういう扱い(親の目)が、これまで校長先生の自立を数々妨害してしまったのだろうと思います。
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