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ちょっといいハナシ

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#日記

幼少の頃、どうしても買ってほしいお菓子があった。でも、親には言い出せなかった。(その弐)

しかし、ある時、私にとって「またと無い」チャンスが訪れた。 母の知り合いの子どもが、何かちょっと大きな病気をしたというのでお見舞いに行く際、何かお菓子を持っていきたいが、何がいいか?と私にたずねてきたのだ。 私は迷うことなく、長崎大学前にある商店の、そのお菓子こそが、その子のお見舞いにふさわしい!それしか無いのだと熱弁した。 別に、自分が買ってもらえるわけではない。 しかし、あれほど見つめ続け、憧れ続けた、あのお菓子を他の子の為とは言え、買うことができるのだ!手に取るこ

物の価値は、値段ではない

まだ子どもが小さかった頃の日記を開いてみた。 今から、11年前のある日の日記が目に留まった。 娘が少額2年になって間もない頃、二人でホーム・センターの中にあるペットショップに子犬や仔猫を見に行った。 その帰り、思い立って娘にサンダルを買ってあげた。 それは1,500円くらいの安物だったのだが、娘はたいそう喜んで、家に帰ってからも家の中でずっとそのサンダルを履いて、寝る時も枕元において寝た。 もうそのサンダルも、どんなものだったか、記憶にも無いが、その時の娘の喜びようが印象

親が子どもに最低限しなければならないこと。一円もかけずに出来る、子どもへの最大のプレゼント

☆1 親が子どもに最低限しなければならないこと。子どもを「子ども扱い」せず、リスペクトすべき存在として関心を持ち続けること。 ☆2 一円もかけずに出来る、子どもへの最大のプレゼント母親は、身籠った時から、毎日のことを日記に記録する。特に本人に明確な記憶の残らない5歳くらいまでは毎日どんなことがあったか、メモでいいので必ず毎日記録する。 出来れば、小学校高学年までは付けてあげる。 父親は、誕生後、記録を始める。父親だけが知っている事実などを記録しておく。 ☆1については、

35年前の東京での会社員時代、事務所に訪ねて来た親子の外国人から、1本の讃美歌集カセットを買った

もう35年近くも前の事である。 大学を卒業後、親戚の伝手で就職した会社の事務所はJR池袋駅・北口のそばにあった。 クリスマスも近いある日の事。 事務所に、幼い男の子を連れた外国人のセールスマンが入って来た。 男性は白人だが、男の子は黒人の血が入っており、ニコニコしていた。 用件は、「讃美歌の入ったカセット・テープを買ってくれませんか?」というもの。要は、セールスだった。 事務所には、事務員の若い女性もいたし、それこそ部長クラスの人間もいたのだが、誰も彼らを相手にしな

Beautiful and impressive things

A day 6:15 pm at Michinoo JR station I saw beautiful and impressive things at there A stray cat was sleeping on the young girl's knee. The cat is the famous stationmaster cat called "Neru". The girl didn't mind the Neru's dusty body at

ヒトの暮らしって、なんだろう

2011年9月、webでふと読んだ東北の記事は切なすぎる内容でした・・・・ 宮城県石巻市の三條慎哉さん(37)は小学生だった2人の娘を失った。 小3の長女、葵ちゃん(9)と小1の次女、舞夕ちゃん(7)。市立大川小に通っていた。児童の7割に当たる約70人が死亡。今も4人が見つからない。 あの日、会社が休みだった三條さんは、すぐに消防団の服に着替えて飛び出した。同居する妻の母が「孫が帰らない」と心配する声を遠くで聞いた。同僚とポンプ車で避難を呼び掛けて回った。 目前に迫る津

私の教師ノート③ ~チーム・ワークは、求めるものでなく、与えるもの

「チーム・ワークが大事」という言葉。 小さい頃から、いったい何回聞かされていただろう?と思います。 大学2年。 関東の地方大学に入学していたものの、その内容は、想像していたよりもはるかに下回るもので、虚しさを振り払いたい思いでラグビー部へ入部しました。 もちろん自分の為に入部したのですが、チーム側にとってみれば「チームの戦力として使えるか?」だけだったようで、そのような扱いでした。 高校生からやり始めたスポーツだったので、それは十分わかります。 嫌気がさしたのは、ある

「私の高校生活は、1095日から成る、失望の日々だった」と卒業文集に書いた同級生がいた・・・

これを書いたのは、一度も同じクラスになったことの無い、同学年の女子。 3年の時、隣りのクラスで、時折見かける彼女は、静かだけどいつもニコニコと笑っている、笑顔のかわいい美人だった。 しかし、同学年の約360人が書いた文集のコメントは、自分を含め、ウケ狙いの、「いかにも」といったコメントばかりで、こういう真面目なことを書いたのは、他に誰もいなかった。 しかし、今でもこの彼女の言葉はしっかりと心に焼き付いている。 その通りだった。 他者より1点でも多く点数を取り、少しで

私は宗教は持たないが、目に見えないものを信じる

この手の話を胡散臭いと思う人にとっては全く意味の無い話。 亡くなった対州馬、ひん太の牧草地の横に住む地主さんに、ひん太のオリジナルカレンダーを進呈するために、バイクで向かっていた時のこと。 いつもの小径に差し掛かった時に「あれっ!?」と思った。 すぐ横を、ひん太がいっしょに歩いている気配がありありとしたから。 もう何度も通っている道だけど、そんな感覚になったのは、その時が初めて。 「え、ひん太来たの?」とかしか思わなかった。 地主さん宅を訪ねると、ちょうど出掛けよう

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遠い夏の思い出

昔、行ったイングランド旅行。一番覚えているのは、ある田舎のレストランでのウエイトレスさんの笑顔

昔、行ったイングランド旅行。 一番覚えているのは、ある田舎のレストランでのウエイトレスさんの笑顔。もう25年くらい前の旅行である。 旅程とか、今覚えていることはかなり少なく、かつ断片的。 そして、それらは、全て風景とか街の文化のこと。イングランド人の印象は特に無い。 でも、たったひとつ覚えていること。 それが、表題の通り、ある一人の若いウェイトレスさんの何気ない笑顔。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 嫁さんと車を借りて、イングランドを巡っているものの、 カーナビなんて無いし、(

身体が弱いので、お風呂をもらいに来た隣のアパートの女の子

今からもう50年以上も前の話。 私が住んでいたアパートは、戦後6,7年後に建てられたものだった。 全8棟には「うぐいす」「はと」「かもめ」といった鳥の名前がついていたが、間取りが少しずつ違っていて、いずれも風呂場は付いておらず、最も狭いものは、ベランダも無い一間だけというものだった。 私のいた「はやぶさ」には、かろうじて「洗濯場」があったので、風呂桶を置くことができた。 隣の「つばめ」には、それもなく、風呂桶はベランダに置いてベニヤで囲むしかないのだが、冬場は当然寒い