見出し画像

物の価値は、値段ではない

まだ子どもが小さかった頃の日記を開いてみた。
今から、11年前のある日の日記が目に留まった。

娘が少額2年になって間もない頃、二人でホーム・センターの中にあるペットショップに子犬や仔猫を見に行った。
その帰り、思い立って娘にサンダルを買ってあげた。
それは1,500円くらいの安物だったのだが、娘はたいそう喜んで、家に帰ってからも家の中でずっとそのサンダルを履いて、寝る時も枕元において寝た。

もうそのサンダルも、どんなものだったか、記憶にも無いが、その時の娘の喜びようが印象に強く残っていて、日記にも記していた。


娘は、めったに物をねだることをしないが、靴屋で見た、そのサンダルはよっぽど「かわいい」と気にいって欲しかったのだろう。
それを親父が買ってくれたことが嬉しかったと、きっとそういうことなのだと思う。

私が売っている物も、粗末なものであるが、そういうエピソードを生むような物を作れれば、これにまさる喜びはない。




※「チップ」は有難く拝受させて頂きます。もし、この記事が多少でも役に立った、或いは「よかったので、多少でもお心づけを」と思われましたら、どうぞよろしくお願いいたします。贈って頂いたお金は1円たりとも無駄にせず大切に使わせて頂きます。