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ちょっといいハナシ

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記事一覧

最終回でも、寂しさより清々しさを感じたNHK第一ラジオ「ごごカフェ」

外での作業時、時計を見る暇も無いので、時間の経過がわかるようにつけてる、NHKラジオ第一放送。 これまで「すっぴん」や「ごごのマリヤージュ」「らじるラボ」などのお馴染み番組の終了は、なんとももの悲しかった。 しかし、一方でたまに思うことがあった。それはNHKラジオに対してのちょっとした不満。 それは、 「ビルの中の二重窓の中のエアコンの効いた場所で、きゃっきゃっ言ってるが、そんなんで全国のリスナーに伝わるかよ!外へ出ろ!」ということ。 もうひとつは、 「リスナーからのお便り

食品売り場で、活アサリと白魚の踊り喰いセット?を見る

三連休の中日。商業施設の食品売り場へ妻と行った。 活アサリのパックが置いてある。 中で、すいかんを出しているのが見える。 私もアサリの蒸し焼きなど好物であるが、やはり見るに耐えない。 娘が中学生の頃、夏休みの自由研究で、「アサリは本当に海水を浄化させるか?」という課題に取り組んだことを思い出した。 貝が水を浄化させるという事は、教科書のどこかに書いてあって、誰もがなんとなくわかっているのかもしれない。 しかし、知識として知っているのと、目の当たりにして実感するのでは、その意

「名犬ラッシー」の元になった犬のエピソード

私が幼い頃、犬と言えば「コリー犬のラッシー」で、当時のお金持ちの家庭では、よくコリー犬が飼われていた。 原作者エリック・ナイトはイングランド・ヨークシャー出身のアメリカ人であり、「 Lassie - come home 」は1938年に米、サタデーイブニングポスト誌上に初めて発表された。 ラッシー・シリーズは、その後何度もドラマ化、映画化され、日本でも大人気となったわけだ。 私の子ども達も尚、「めいけんラッシー」という子ども絵本で、この物語を読んでいる。

軍艦島(端島)出身の坂本 裕美子さんの早逝を知る

かつて私が、軍艦島ツアー・ガイドをやるきっかけとなった、NPO軍艦島を世界遺産にする会の坂本 道徳氏の奥さんである裕美子さんが、昨年(2023年)10月に亡くなられていたことを新聞紙面で知った。 ともに軍艦島で生活をされていたのだが、坂本氏とは正直言って、肌が合わなかった。いつも不機嫌そうで暗い。 炭鉱町出身者というのは、特徴としてカラッとして明るく、けち臭くなく、さっぱりしているものなのだが、同氏は、この特徴を何一つ備えていなかった。 そういう間柄だから、私がガイドを長く続

成人式について、「X」上で、母親のことを綴った文章

基本「X」は、情報を得る以外には、あまり見ないのだが、先日「成人式」について、フォローしている方の投稿があったが、非常によいものだったので、ご紹介したい。 特筆すべきは、言うまでも無く、 『 CHANEL と背中のタグ。 20歳の頃、全く服に興味がなく 全く気がつかなかった。 慌てて母に聞く。 「女の子で産まれたのに わたしが足を悪く産んだばっかりに エナガは着物が着られなかったから。 一生に一回。びっくりするような 店で、お母さん、場違いだったよー!」 と笑う。 ブラ

追悼 八代 亜紀さんと 対州馬ひん太

八代亜紀さんのこと 小学校高学年の頃、社会科見学な何かでクラスでバスに乗っていたことがあった。おそらくバスガイドさんの手引きで、「歌の語尾でしりとりをする」といったゲームをしていました。男女に分かれてやっていたのですが、「よ」で女子が歌う番になった時、女子たちがせ~ので「よ~る~の、しんじゅ~く、う~らどおり~♪」と唄いました。後から思えば、それが八代さんの大ヒット曲「なみだ恋」だったのですが、その時はそんなことは知らず、そのメロディーだけが頭に焼き付いていました。 それ

やっとTNRを行うことができた日

一昨日、やっとの思いで、野良仔猫2匹の不妊手術(TNR)を行うことができた。 昨年10月から試行錯誤を重ねて、実に3か月が経過していた。 まず今までにTNRの為の捕獲に使ってきた、特大のたも網で捕獲するつもりだったが、この2匹は今までの猫に比べて、異常に警戒心が強く、5か月近く経っても、触れることすらできなかった。 近寄れば、すぐに逃げてしまうので、網での捕獲はあきらめるしかなかった。 次に考えたのは、市が貸し出している捕獲ケージ。 実際に使用したことはなかったが、自力で捕

私の叔母 クリスマスになると、思い出すこと

叔母は、神戸に長いこと住んでいる。 若い頃、アル中の夫を亡くしたが、その夫が存命中は、大変な苦労をした。 靴下すら満足に買ってもらえず、いつも穴の空いた靴下を履いていたという。 そんな叔母は、現在95歳くらいになっており、だいぶ意識があやしいというのだが、未だに私に年賀状を送ってくれる。私や兄が幼い頃からずっとである。わざわざ甥っ子に年賀状など送るだろうか?私はまったくそんな気はない。 そして、クリスマスになると、この叔母のことを思い出す。 うちは大変貧しかった。と言うよ

「人のシアワセを喰いものにする商売・商法」は、他もやってても、合法だとしても、断じて許せない

私は、「義務教育から、経営(マネージメント)学を学ぶべき」と考える。 なぜなら経営学こそ、「総合人間学」であるからだ。 そういうことを学ばないから、「巧妙な手口を使って利益を生み出すこと=経営」だという思考で営業している人間が実に多い。コンプライアンスやガバナンス以前の問題なのだ。 娘が二十歳になった。 来年早々の成人の日に備え、全国展開している「きもの」チェーンで着物レンタルを予約し、先日「前撮り」に行った。 いったん会場に送った後、撮影時に合流し、撮影の様子をそばで見

街づくりにおいて大切な事 ~ 変わらないという事の価値

下の画像は、フェイスブックで見つけたもの。 「Lennoxvale_Malone Road_ Belfast1927(レノックスベール・マルーン・ロード、ベルファスト、1927年)」とある。 今から100年近く前に北アイルランド・ベルファストで撮られた一枚の写真。(元はモノクロ写真なのだが、AIで色を復元してある) この場所を、2023年12月現在、Google Map で検索してみると、下のようなストリート・ビューを見ることができる。 ポストは、さすがに新しいタイプに代

処方箋によって引き起こされる、「常用量依存」という「死のヤク漬け」に対処する医療機関が極端に少ないのは何故か?

言わば、「医療ミス」を認めてしまうことになるからだ。 私の母親は、約10年近く、脳神経外科医からのベンゾジアゼピン系向精神薬でヤク漬けにされていたが、救済される機関などは、この世には無いと悟った。 政治職と医療業界(製薬会社を含む)は、持ちつ持たれつの闇社会だからだ。(一部そうでない人たちも多数おられるだろうが) 高齢化社会で老人向けの施設やサービスが増えたと言うが、その施設内ですら、手のかかる老人を落とすために向精神薬で薬漬けにする事例すらあるというから事は深刻だ。 母

現在までの経験を持ったまま、昔に帰れるとしたら、絶対やること ①

私が小学生の時のこと。 ある日突然、家族で飼っていたダックスフントを、母親が知り合いの知人に譲ることにしたと言ってきた。 母が近くの知り合いに、「うちの犬は、よく人に吠えて困る」みたいなことを話してたら、その知り合いの知人で、長崎市南部に住んでいる人が犬を欲しがっていると言い、そのまま譲るという話になったらしい。 そんな馬鹿な話があろうか! 家族間で、一度もそういう話題になったことなどなく、母が近所の立ち話で、調子に乗って軽く言ったに違いなかった。 犬は、快活なオスの犬で名

溌溂としたネパール人生徒たちとの授業を思い出す

5年前の、日本語学校での授業。 校長として、たまに「日本文化」という授業を担当していた。 公立中学校では、行うことが叶わなかったことを、外国の青年たちに向けて リメイクした授業。 彼らは英語が堪能なので、英語をつかって授業を行ったが、生徒の表情をみてもわかる通り、彼らは実に溌溂としていた。 2018.12.5Asahi.J.L.S

今更だが、私は高校時代、実際何ひとつ学んでいなかった

私は、長崎にある県立長崎北陽台高校の一回生である。 そもそも私が、この高校を志願したわけではない。 その頃、総合選抜と言って、当時市内にあった4校に、この北陽台を加えた5校に、受験後、振り分けられるということで、この学校に入学が決まった。 この学校については、正直口にするのもおぞましいのだが、それはさておき、第一回生の中から現役で東京大学の医学部に受かった者が出たというので、当時ちょっと話題になったことがある。 つまり、高校時代の3年間は、ひらたく言えば、「ただ大学合格率=