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少しラクに生きるためのヒント

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#言葉

「すいません!」がすぐ言える人になろう ~ 感謝・謝罪・挨拶・依頼・注意・了解などを表す、万能な言葉

「すいません」と聞くと、どうしても「謝罪」のイメージが強いと感じる人が多いのだろうか? 私が一時期在籍した語学学校の経営会社の上役は、会議室にお茶を運んできてくれた事務員さんに、私が「すいません、ありがとうございます。」と逐一口にしていると、「(校長が)そんなにペコペコする必要はない!」と言った。 彼は社長と校長と事務員が、単なる役割に過ぎないという事を理解していなかった。 やってもらったことに「感謝」の意を伝えるのは、けっしてペコペコすることではないのだ。 ある日、長崎駅

人の気持ちを高める言葉① 「流石」「君ともあろうものが」

NHKラジオ第一放送の番組内に寄せられたお便りの中で紹介された言葉。 元校長だったという人が、現役時代に生徒に対し使っていた「とっておきの言葉」だとして、生徒がいい事をした時には「流石」、よくないことをした時には「君ともあろうものが」という言葉を用いたという。 よくわかる。 どちらも生徒を「子ども扱い」せず、人としてリスペクトする言葉である。 しかし、これはあくまでも「心得」として使うべきもので、いつもなんでもかんでも同じ言葉を乱用するようでは、どんな生徒にもたちまち見抜

教育を考える ① 「必要なことを言う」と「必要ないことを言わない」

百年以上も前から、良識ある学者や有識者が指摘していることだが、日本の「国語教育」は漢字を覚えることに、余りにも膨大な時間を浪費し過ぎている。 児童・生徒にとって、もっと現実的に悩まされるのは、「言葉の使い方」である。 もっと言うと、日々学校生活の中で、「心無い言葉」「余計な言葉」に傷つけられている。 これは実社会の中でも似たようなものだろう。 私の年老いた親は、「どうして、そう余計なことばかりを言うのか!」と思うのだが、私自身もつい、調子に乗った時、「余計なこと」「いう必要

言葉遣いがまずい人は、けっして仕事が うまくいかない ~ パリの美術館と琵琶湖有料道路で

かつて日本語学校の校長をしていた時、外国から来たばかりの青年たちに言ったことがある。 『 日本にきたら、「ありがとう」と「こんにちは」を沢山使ってください。その言葉が、将来きっとあなたを助けてくれるはずです。』 彼らが、卒業後もずっとこの2つの言葉を使い続けていたら、きっとどこへいっても、どんな職場でも温かく迎えられただろう。 どんな外国にいったとしても「笑顔」「ありがとう(現地語で)」「こんにちは(現地語で)」は世界共通なのだ。 一方、仕事をする上で「世界共通の大事な

1つの悪い言葉は、100の良い言葉を消してしまう

昨日、岐阜県中津川出身のフォークシンガー、笠木透 さんが10年も前に亡くなっていたことを知った。直腸癌だそうだ。 深くお悔やみ申し上げる。 私自身、大学4年の時に、笠木さん率いるFolksのコンサートを大学内で行うイベントに関わったことは、良くも悪しくも自分の人生に大きな影響となった。 教育に関する様々なインスピレーションが芽吹いたこともそうだし、つれあいと出会うことになった、きっかけもそうである。 但し、私には笠木さんが発した言葉で、いまだに脳裏から離れないものがある

「赦す」「譲る」「認める」「謝る」 を常備すること  ② それができないと、いかに自分にとってマイナスか

「~~は、その時、こんなことを言ったのよ(或いはしたのよ)」という類の、いかに自分が嫌な思いを他人にさせられたか?という昔話を40年も50年も言い続ける人がいる。 気持ちはよくわかる。自分だってそうだ。 でも、聞く人にとってはなんのプラスも無い。 で、話す本人にとっても。 笑い話のネタならともかく、どこの誰かも知らない人、或いはよく知らない人の〈悪いこと〉を聞いたところで、よい気分にはならない。 もしかすると相手には「何の悪気は無く、たまたま状況やタイミングがそうさせ

ニーチェの言葉より④  自分の生きた意見を持つ

『 生きた魚を手にするためには、自分で出掛けて行き、うまく魚を釣り上げなければならない。 これと同じように、自分の意見を持つためには、みずから動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない。 そしてそれは、魚の化石を買う連中よりもましなことだ。 自分の意見を持つことを面倒がる連中は、金を出してケースに入った化石を買う。 この場合の化石とは、他人の昔の意見のことだ。 そして彼らは、買った意見を自分の信念としてしまう。 そんな彼らの意見はいきいきとしておらず、いつま

生きていく上で、役に立つ言葉

『 生きていく上で、役に立つ言葉 』・・・・これは、有名な人物が遺したものもあれば、自分だけの知り合いが言ったもの、実に様々でしょうし、どのような言葉がその人に響くかは、その人が置かれた状況や環境によっても、まったく違うでしょう。 自分の息子や娘は、今一緒に暮らし、毎日顔を合わせ、実に多くのことをお互いに話しています。 しかし、やがては自分の元を離れて巣立っていくでしょう。 親である自分と離れた後は、子どもは、自分自身の人生を逞しく切り拓いていかねばならず、その途中では