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「陰謀論」と「常識」のたった一つの違い


陰謀と常識のあいだ

それは、一言でいえば「世に広く報道されるかどうか」の違いでしかないのだという結論に至りました。

例えば、現代の風潮に倣えば「地動説」とは当時の代表的な"陰謀論"です。人々は天動説、つまり地上に立っている私たちから見た印象の通り、「天」の方が回転しているのだと固く信じきっており、世間一般的にも広くそう伝えられていました。

そのような時代に「地動説」がどれだけ悪質な陰謀論だったかといえば、地動説を支持していたガリレオが異端裁判に掛けられ、死刑にされそうになったほどと言えばわかりやすいでしょうか。寸でのところで自分の主張を折ったことにより、幸いにも死刑だけは免れたようですが、結局、彼はその後頭のおかしい陰謀論者として有罪判決を受け、軟禁生活の末に両目を失明し、その生涯を閉じたとされています。

ところが、その後長い時間を経て世間の風潮が「地動説」へとひっくり返りました。まさに「世界がひっくり返った」といったところでしょうか。誰もが予想していなかった事態です。ガリレオからしてみれば何とも報われない話でしょうけれど、死後350年が経った頃に、当時の裁判が誤りだったとしてローマ教皇が公に謝罪をしたと伝えられています。

この一件からは、つまるところ世間で重要視されるのは「情報の権威性」なのであって、真偽性などは端から軽視されているということを指摘したかったのです。

権威バイアス

権威性のある人の言動をすべて正しいと思い込む状態のことを
「権威バイアス」と呼びます。

「上司や先輩の言うことだから絶対に間違いはない」

「業界で有名な〇〇さんの意見だから正しい」


このように思い込むのは、権威性バイアスにかかっている状態と言えます。

もちろん上司や先輩でも間違いはありますし、著名人でも間違えることはあります。しかし権威性バイアスにかかっている当人は、相手の意見が間違っている可能性を考慮せず判断を下してしまい、結果的に失敗しかねません。

https://corp.miidas.jp/assessment/5878/

このように、「権威バイアス」といった心理学の概念も存在しています。

これによっても「情報の具体的な内容ではなく、権威性を見て判断を下してしまう」という厄介な現象が、人間の認知の世界では起きてしまうのです。

「陰謀論」ではなくなった陰謀論たち

近代の例を挙げるならば、「自民党と統一教会の癒着」については、所謂陰謀論の世界ではだいぶ前から有名な話でした。もう10年以上は前から指摘されていたと思います。自民党の大物政治家の系譜を根拠に、そのような推論を導き出すことが可能だったからです。また、宗教団体の壇上で政治家が懇親の挨拶をしていると思われる写真も出回っておりました。しかし当然、「日本には政教分離の原則があるのに、もし本当にそんなことがあればとっくに大問題になっている筈だ」「陰謀論者どもめ、悪質なデマを流すなら通報するぞ」といった具合で世間からは全く相手にされていませんでした。それもそのはず、これはまだTVでは報道されていない事項だったからです。

ところある時、この疑惑が一度マスメディアの壇上に上がったのを機に、陰謀論→時事ネタ→常識といった風に情報の権威性が急激に上がってゆきました。TVで取り扱われ、専門家やコメンテーターの名札を着けた人間が言及してさえしまえば、もう手堅いものです。情報の権威性を獲得できるからです。このように、世間とは意外にも単純な原理で動いているのではないかと思います。そしてこの原理の恐ろしい部分は、まだ証拠が見つかっていない疑惑(それこそ本当の陰謀論)であっても、一度メディアで取り上げてしまえばその情報は権威性を獲得し、もはや常識して効力を発揮し始めてしまうということです。紅麹の騒動に関しても、内容の真偽を問わず既にそういった力を持ってしまったのではないかと思います。

あまりにも内容が酷いので言及したくありませんが、「エプスタイン島事件」についてもかつては陰謀論として笑われ、一蹴されていたものですが、ある時から公共メディアでも取り上げられたことから「最悪の犯罪事件である」と認知され、時事ネタ→常識へと至り、今や関係者の追求といったところまで世間が動き始めています。

炎上する国とYouTuber

そして、今話題の新型コロナワクチンについても「重い後遺症が残る」「打てば死ぬかも知れない」などと危険性を指摘する声は当初から多く上がっていましたが、いずれも「陰謀論である」として激しく弾圧されていました。医師や専門家らによる具体的な指摘もある中で、一括りに陰謀論として叩くような姿勢は個人的にも行き過ぎた何かを感じていたものです。

また、一時期では恐らくAIによる誤検出によって、ワクチンという単語を用いただけのYouTube発信者がアカウントの停止処置、最悪はチャンネルの削除を受けるなど、視聴者側のユーザーとしてもちょっと異常な空気が感じられておりました。「新型ワクチンを打たない奴は馬鹿だ」という声は著名人の発信を筆頭に、民間でも多く飛び交っていたと思いますし、海外では政府が未接種者に対し、法によるペナルティを増させながら、「未接種者をうんざりさせてやる」などと発言し、話題になっておりました。アレルギー疾患や思想上の問題により接種できない人も多く居る中、振り返ればあれらは「差別」以外の何物でも無かったなと思います。とにかくこのように、新型コロナワクチンについては世界的な強行姿勢を感じられていたことは事実です。

そういった風潮が、今まさにひっくり返りそうになっています。新型コロナワクチン被害によって家族を亡くされた方々により、いよいよ国が集団訴訟を受けるにまで至ったからです。リスクやデメリット部分を伝えずに推進したことが違法であるとの主張がされており、個人的にも、良い内容だけを並べて危険性について言及しないはあくどいやり口だなと感じておりました。同様の理由で、特に若年層へ向けての接種を促した人気YouTuberのはじめしゃちょー氏が、数多くの批判コメントを受け、現在炎上しているようです。従来のワクチンによる薬害件数を遥かに上回り、もはや陰謀論ではなくなってしまったmRNA(遺伝子)ワクチンの危険性。この流れが一体どう着地するのか、今後の動向に注目しています。

まとめると、陰謀論と常識といったものの境界線は厳密には"無い"に等しく、その立ち位置は時と場合によって二度も三度も入れ替わる。誤った道を歩まぬ為には、「陰謀論」「常識」といった単純な二元論的な判断思考から脱却し、いずれの情報についても疑い、精査し続ける姿勢が求められる、という当たり前の事を言いたいだけの記事でした。

世の中には自分のことを「常識人」だと考えている方もいらっしゃるでしょうけれど、うっかりタイムトラベルでもしてしまった先では、そういう人でも世間からの扱いは「陰謀論者」に成り得るのです。タイムトラベルどころか、ちょっと国境を跨いだり、関わる集団を変えるだけでもそうなるかも知れません。陰謀論と常識の境目とは、本当にその程度の曖昧なものなのです。

コミュニケーションに於ける前提の土台としてはこの「常識」を上手く活用しつつ、それと同時に個人としては「常識」に切り込んで精査し続けられる強さが求められています。ポジティブなものからネガティブなものまで、日夜大量の情報が飛び交うようになった現代の情報社会では、尚更そうなっているように思うのです。

おわりに

ちなみに私は随分前から様々な陰謀論の収集を趣味としておりました。それも、元はといえば怪談の収集趣味から派生したものです。界隈では素人でも専門知識を使って真面目に様々な検証に臨まれている方が多く、中には本物の医師や専門家の方もいらっしゃる中、陰謀論という呼び方は本来失礼に当たるのですが、この記事では世間の認識を鑑みて敢えてそのまま「陰謀論」と称させていただきました。何卒ご容赦ください。

余談(新型ワクチン薬害の予防)

今となっては、新型コロナワクチンを接種したことを後悔されている方も多いかも知れません。まずは有名なリスクとして挙げられる目先の「血栓症」を抑えるために、その予防策となる食品の適度な摂取(納豆、玉ねぎなど)や、適度な運動による血の循環や排毒を促していただいて、後は「昔ながらの日本食」をヒントに"免疫力の向上"に重きを置いた食事と習慣を続けていただくことで、その他の万が一のリスクも大幅に軽減され、安心して過ごせるのではないかと考えております。方針が見当たらないという方は、よろしければ参考にされてください。



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