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「ネットに書き込んだところで現実は何も変わらない」

「ネットに書き込んだところで現実は何も変わらない」

昔からインターネット上ではたびたび、上記のような文言を用いて熱意をある誰かの活動を嘲笑、封殺しようといった動きが見られるものです。

思考の緩んだ状態であればふと納得してしまいそうにもなる、この感情的で挑発的な文言は、しかしただ淡々と現実を見詰めてみた場合すぐに「嘘である」ことが判明します。

個人規模での体験としましても、何らかのサービス利用や商品購入のきっかけ、または物事の仔細を調べるに至ったきっかけが「ネット上の誰かの書き込み」であったことはかなり多いのではないでしょうか? 恋愛や、旅行や投票にも関しても同様です。

たかが「ネット上の誰かの書き込み」に過ぎないものが、それを目にした誰かを通じて「現実を変える」ことが頻りに起きる。そして、この構造が社会的にも有効であると認められている故に、企業は日々自社に関する「ネット口コミ」に気を配り、そして時に「サクラによるネット書き込み」といったものを高いお金を支払ってまで用意するようになっています。

この封殺の為の文言は、ネットの中では殊に「政治」の界隈で頻出しているように体感しておりますが、「政治」の分野などではむしろこの有効性が尚更に高いのではないでしょうか。政治を論じる場などとっくに追放されきった現代社会に於きまして、現政治の光、そして闇の部分についてを、知らない誰かに伝えられる貴重な手段であるからです。実際に私も政治に詳しいわけではないながら、ネット上の書き込みを見て特定の政策に興味が湧き、自身でも詳しく調べ、理解が深まったという経験は多いです。明らかに、ネットの書き込みが誰かの現実を変えています。

勿論、ただ衝動や承認欲求のままに意図的なデマをばら撒いたり、罵詈雑言を発信し続けるようなことは結果的にネット空間、並びに自身をも貶める後退的な行為なので避けねばなりませんが、何かしら自身が「発信すべき」「誰かに伝えたい」と感じられる事柄があれば、他人の熱意を憎む怠惰な人間の罵倒に怯むことなく、じつはただ粛々と現実世界と地続きになっているこのネット空間の中で、広々と個人の意思を発揮すべきだと私は思います。それが誰かの人生を変え、行く行くは世界全体をも変える一投となり得ます。

地球上に生きる多くの「種族」とは、透明のネットワークを通じて全体の個体数を調整したり、危険を避けたり、種が誤った方向へ進みそうならばブレーキを掛けたり、果ては種族全員が望む大発見を遂げたりするものです。これは「集合的無意識」という学術用語で表現されているものと同一かも知れません。ともかく私は人間にもこの透明なネットワークシステムが搭載されていると予感しており、「"なんとなく"〇〇した方が良いのではないか」、「"なんとなく"△△だと皆に伝えたい」といった風に、個人の欲求や理屈を超えて胸中に浮かび上がってくる純粋な感じというものこそ、その透明なネットワークによって齎される黄金の指令であり、異なる景色と体験を持つ各個体がこれを共有しあうことで、種族全体はより適切な方向修正と、豊かなる進化の道を歩むことが叶うだろうと考えております。このようにインターネット以前にネットワークを有している我々生命体でありますが、とにかく可視化されたものが偏重され、本能の声さえも聴けなくなった現代社会に於きましては、辛うじてインターネットを使いそれを代行する必要があると考えています。なので、各自が「発信すべき」と思うことがあれば、それは自信を持って発信すべきなのです。

こんな記事もまた「ネット上の誰かの書き込み」に過ぎませんが、これを認識された誰かにとっての静かなる激励となりますように。

このサポートという機能を使い、所謂"投げ銭"が行えるようです。「あり得ないお金の使い方をしてみたい!」という物好きな方にオススメです(笑)