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近すぎると見落とす(映画「バーニング」を観て)

村上春樹さんの短編小説『納屋を焼く』を原作にした、韓国映画「バーニング」。

映画「ドライブ・マイ・カー」の映画感想文でも触れた通り、村上作品の解釈を楽しめるかどうかという点において、非常に興味深く観ることができた。

村上春樹さんは納屋、映画ではビニールハウス、というように若干モチーフは変わるのだが、地方において「打ち棄てられている存在」という意味では共通しているものだろう。

チョン・ジョンソさん演じるヘミが、謎の友人・ベンの出現によって消えてしまう。主人公によっては残酷だけど「焼かれたがっている」納屋=ヘミと繋げるのであれえば、確かに、ヘミの存在自体は刹那的で。地に足がついておらず、死に場所を探していたのでは?というのは多少の理解はできる。

ただ、ちょっと関係者を巻き込み過ぎ / 巻き込まなさ過ぎという印象は受けた。『納屋を焼く』は抽象性を突き詰めた短編だった、つまり、ストーリーは特に重要でなかった(と僕は解釈している)作品なので、そこにストーリーが加わった途端、少し無理があるような感じがしなくもなかった。

と、言いつつ、原作があれだけ抽象性が高いと(そしてそのレベルが凄まじく高いので)、映画として作品に仕上げたいという野心が刺激されるのはとても理解できます。結末は、ああいう結末しかないと思う。

主人公もベンも、どこかで「焼かれたい」と思っていたのかもしれない。『納屋を焼く』でも、納屋を焼いている彼は「焼かれたい」と思っていた「節」が見られるのだが、主人公はどうだっただろう。

*

でも実際のところ「近すぎると見落とす」ということは起こるんだよなと。背筋が凍るような怖さを感じるのが、原作と通ずる普遍のように思う。

それは「大事な他者という存在」だけでなく、自分自身の価値観や感性も含まれるだろう。

近くて見えない。

それがいつの間にか、なくなっている怖さは肝に銘じたい。

*

It is a story about young people in today’s world. When they think of their lives and this world it must feel like a mystery,”

と、イ・チャンドン監督は語っている。

監督なりの若者観なのだろう。そこに同意できる部分もあるが、できない部分もある。本作のミステリーは、ストーリーの筋としてのミステリーだけでなく、テーマそのものもミステリアスになっている。

解釈は、受け手に委ねられる。あなたはどう捉えるか。

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